住職オンステージ 正福寺が発行する『正福寺だより』です。

このページでは、正福寺が月に1度発行している『正福寺だより』を掲載します。

2024年4月号

身に染みてわかる人間のモノを見る眼の不確実さ

《TV特番「芸能人格付けチェック」を観て感じたこと》

人間って、物事がわかっているようで、本当のところは何もわかっておらないのやな~、と思い知らされるTV番組がある。朝日放送の「芸能人格付けチェック」という年に数回、節目の季節に放映される特番だ。この春にも流れていて、楽しませてもらった。
番組の内容は七組の芸能人が登場し、二者択一(最後は三者択一)の問題が出されて正解を当てるという単純明快なもの。これが簡単そうで、なかなか当たらないのが面白いところだ。
例えば、4本の弦があるヴァイオリンやチェロなど弦楽器六丁を用いて演奏した曲と、いずれも2本ずつ弦を減らした(つまり弦2本だけの)弦楽器で同じ曲を演奏したのを聴き比べて、どちらが正常な4本弦で弾いたものかを当てる問題があった。
このぐらいはわかるだろう、音の豊かさが違うはずだ、と芸能人たちも思ったに違いない。「これは間違いようがない!」と自信たっぷりに聴き臨んだミュージシャンだったが、見事に?正解を外してしまった。その落胆ぶり、恥じらいぶりがまた興味深い。普段は見れない表情や、素の人となりが出て、それが魅力の一つともなっているようだ。
という私も間違えてしまった。モノを見る眼の不確かさを思い知らされた。
他にも、赤ワインと白ワインを飲み分ける問題で、ほとんどの出演者が「自信あり」と言って試飲に臨んだが、「わからない~」と自信なさそうだった前川清さんただ一人が正解で、後は全員、間違いだったのには驚いた。
私たち人間は、ほとんど思い込みで判断してしまう。あるがままにその本質まで深く会得するのは難中の難である。仏の眼は、思い込みと揺れ動きを繰り返す私たちの心の有りようを、微塵も違わず見ていてくださっている。
4月8日は仏さまの誕生日、花まつりである。

【住職のコメント】
4月はいつも新たな気持ちになります。出会いと別れの季節でもあり、これを機に生活をただす方も、けじめをつける方も、わくわくする方もたくさんいるでしょう。
今年は4年ぶりにナムのひろばのフェスタが復活します。住職を継職して初めてのフェスタ。私の友人も誘いながら、わくわくして準備をしてきました。新たな繋がりからお寺にご縁をいただく方も増えました。お寺のハードルを下げる。門をくぐってもらう。先代から受け継がれているお寺のあり方を、このフェスタを通じて伝えていきたいと強く思っています。
フェスタではお寺の紹介コーナーも作ってみるつもりです。数多くの門徒さんが改めてお寺ってこんなところだったんだ。と気づくような新たな刺激を4月はお届けしたいなと思います。

2024年3月号

誰も見ておらなくとも仏さまがご覧になっている!

《引き取り手のない遺体、遺骨が急増する無縁世界》

僧侶などの宗教者を招かず、遺族のみで行う「直葬」が近年、その数を増しているようだが、加えて、引き取り手のない遺体や遺骨も急増していることが関係機関の調査で明らかになった。
読売新聞が福島県内の自治体を対象に行った調査によると、2012年度に22件だった「無縁遺体」の数が、2022年には223件と、約10倍になった。また自治体の代行火葬も、12年度の44件が22年度には250件と6倍になった。たとえ親族がいたとしても、絶縁・疎遠を理由に引き取りを拒否すると、自治体が代わって火葬する。結果、「無縁遺骨」がより多くなるのだ。
総務省によると、2018年4月から2021年10月までの間、引き取り手のなかった無縁遺体は計10万6千人に上り、自治体が管理・保管する無縁遺骨は2021年10月時点で、6万柱になっているという。
しかし、これらの遺体や遺骨となった亡き人たちには、確実にかつて両親がおり、家族や友人やさまざまな人たちと出会い、交流があったはずだ。さらに、毎日何らかの食べ物の恵みを口にし、大自然の営みに心躍らせ、実に多くのいのちと触れあって共有、共感してきたことだろう。
そうして生きてきた人の一生を、心に留め、自らの人生に活かしていこうとする人が誰もいないというのは寂し過ぎる。看取り、追悼する人がいないというのは悲し過ぎる。このいのちが誰とも「無縁」であるはずはないのだから…。
そう思った時、私がかつてインドの街中の路上で出会った死者が脳裏に甦った。誰一人立ち止まることなく、横たわる死者を避けるように通り過ぎていく人びとの傍らで、私は思わず手を合わせ、「南無阿弥陀仏」とお念仏したのだった。
仏さまは、いかに数多くの「無縁遺体」があっても、誰も見ていなくても、一人ひとりに「よく生きてきたね!頑張ったね!」と、優しく微笑みかけておられるに違いないのだ。

【住職のコメント】「プログラミング」チームが全国大会で「最優秀賞(日本一)」獲得の快挙!
2月はとてもおめでたいニュースが入ってきました。ナムのひろばで活動しているプログラミングの子どもたちが、マイクラカップという大会で最優秀賞(全国1位)を獲得したのです。
これには大変驚きました。テーマが「誰もが元気に安心して暮らせる持続可能な社会」で、その世界を空間上に創っていくのですが、子どもたちはどんな人でも、宇宙人でも住みやすいまちを作りました。発想も素晴らしいのですが、お寺・仏さまとの出会いでみんなが暮らしやすい、そんな社会が実現すればなとしみじみ感じた瞬間でした。本当におめでとう!

2024年2月号

崩れない基盤と展望を持ち歩み続ける浄土への道!

《先の見通しが立たない能登半島地震の被災者の思い》

 正月早々、能登半島地震が発生し、多くの犠牲者が出て、甚大な被害がもたらされた。まずは犠牲者、被災者にお悔やみとお見舞いを申し上げたい。
 今もなお日常生活が取り戻せず、先の見通しが立たない人びとが大勢おられるという。そんなこともあって、今回の大災害で思い知らされたのは、人間が生きていくには、依って立つ基盤と将来の展望がいかに大事かということだった。
 すなわち、住んでいた家が無くなり、仕事場やそこで作った商品が消失し、作り出す手段も壊れてしまっては、手の施しようがないではないか。「呆然と立ち尽くす」よりほかはないように思われた。
 生きるには自分が依って立つ場所(基盤)が必要であり、どこへ向かうかという行き先があって、その上で実際に歩み続けるのが「生きる」ということなのだ。
ところがこの娑婆世界、いつどこでその歩みを止めなければならないかわからない。酷なようだが、ずばり予期せぬうちに、人生を終えなければならない時がくる。それは、今まで思い描いていた娑婆世界の基盤では通用しないし、行き先も具体的な形で見えるものではない。
 しかし、死によっても、けっして崩れ消え去ることのない基盤であり、揺るぎなく歩み続けられるもっとも確かな道となる宝物がある。ほかでもない。それが仏の救いであり、浄土往生という念仏の道である。その教えを説いてくださったお釈迦さまの涅槃会が2月15日に営まれる。(然)

【住職のコメント】
 新年早々の能登での震災には大変驚き、合わせて動揺が残る中、羽田空港での衝突事故も立て続けに起きました。犠牲者・被災者には心からお悔やみ申し上げます。
 震災については先代の記述通り、私も同じ思いで、【基盤】というものは重要です。その基盤とはなにか、現代で出会うことは大変難しく、一方でお釈迦様との出会いに気づいた時に心がほっとすることはこの上ないでしょう。
震災の話が続きましたが、私は羽田空港の事故で事故後、当たり前のように行動ができた航空関係者の方々の行動に感銘を受けました。燃え盛る炎と煙が命の危険を知らせてくる中で、不安な中、懸命な指示誘導をされたのだろうと。普段の訓練と同じく、動揺を外に出さず、今できる最良なことをするその姿を見た方は【生きる】ということの素晴らしさに出会えたのではないでしょうか。想像するだけで涙が出てきます。どうか、簡単に命が失われてしまう現代社会で、いのちの尊さに気づくことができる人々が増えますように。と強く願います。

2024年1月号

「翁」の発信が苦悩する人びとに届けば嬉しい!

「老いゆく」わが身が照らされて、見えてきた世界

月刊誌『御堂さん』の新年号に“知の重鎮”山折哲雄さんのインタビュー記事が載っている。山折さんは御年92歳。宗教思想から社会論、文明論まで幅広い分野で造詣が深く、今も執筆活動を続けておられる。
新年号の記事で、私の目に止まったのは「(人は)歳をとって死んで神になるんです。だから老人は神にもっとも近い存在なんです」という箇所だった。
山折さん曰く「ヨーロッパでは、老いというのは醜いもの、保護すべきもの、救済すべきもの」であり、その福祉思想が日本にも入って、老人が保護の対象になったという。
しかし日本の伝統思想では、神に近い老人は尊敬されるべき存在だった。老人を敬って使う言葉に「翁」がある。実際、能楽では、神は翁となって登場する。
他にも、時代劇の「水戸黄門」は「ご老公」と敬われ、数々の難敵を懲らしめてくれた。また、私の祖父も「ご老僧」と呼ばれていたし、村の物知り老人には「長老」の称号が与えられていた。
はたして、そうした敬意をもって見られていた老人が、いつから厄介ものになったのだろう?それに老人自身も、体だけでなく、心まで萎れてしまっているように思える。
私のことを言おう。確かに身体はガタが来ている。もの覚えも悪くなった。しかし思うようにならなくても、日々が何とも有り難い。人生を歩むうちに、崩れない確かなものが染みついてきたように思う。その確かなものの光に照らされ見えてきた世界を、誰よりも今、傷ついている若者や大人たちに届けたい――そう思って今年も発信し続ける。

【住職のコメント】
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。昨年の今頃、自身はどのように感じていたのか、1年前のこのコメントを読み返してみました。すると、暗い世の中を少しでも明るくしたい、いのちの大切さや輝きを、お寺を通して伝えていきたいという趣旨の言葉を記載していました。
1年が経ち、振り返ってみても、気持ちは変わりません。この世の中でお寺が果たすべき役割は、社会の心の拠り所であり、誰でも気兼ねなく来ることのできる空間でもある。今年もきっかけを与え続けたく思います。私からは未来の若者への問いかけがどうしても多くなりますが、忘れてはならないのが、人生は何よりも人生の先輩が良く知っているということです。元気溢れる若者でも迷うことはある。そこを照らしてくれる存在に感謝しながら、その生き生きとしたパワーを分け与える。そんな人と人とで助け合って生かされている世の中になればいいなと願います。

2023年12月号

除夜の鐘の響きは、阿弥陀さまの救いの喚び声!

《報恩講公演「浄土から舞い降りた」菩薩の息遣いに思う》

先の報恩講の公演「浄土から菩薩が舞い降りた」では、ジャワ舞踊家の西岡美緒さんが見事な菩薩の舞を演じてくださった。特に興味深かったのは約10分間、ご本尊前の外陣中央で、まるで仏さまの坐像のように身動きせずに座り続けられたことだった。まさに阿弥陀さまの浄土から降臨した観音菩薩であった。「苦脳・悲しみ・執着・不満・不安・怒り…。そのすべてを超えてあるがままに今、ここに存在することの尊さ」を噛みしめておられるようなお姿なのだ。その上で、「阿弥陀さまの真心をすべての悩める人びとに届ける。お念仏の心を届ける」という決意も揺るぎがない!そんな印象もお姿から感じられた。
公演のあと、その時の心境を西岡さんに聞くと「いろいろと心は揺れ動いていました」と正直に答えられた。「うーん、そんなものなんだ」と妙な頷き方をすると「お師匠さんからは、いつも心を“空(から)”にするようにと言われますが、なかなか難しいものです」と、これも正直に答えてくださった。
とはいっても、いわゆる仏像と違うのは、一呼吸、一呼吸の息遣いが伝わってきたことだ。「生身の仏さま」が目の前におられるようなインパクトがあった。浄土の情景といい、仏さまの私たち衆生を救おうとされるお心といい、それらがごく身近な手の届くところまで降りてくださっている。遠い世界のことではなく、すぐ傍で、阿吽の呼吸のように受け取ることができる。その喜びを感じた次第だ。
今年もあと1ヵ月。荒んだ世の1年だったが、ここはじっくりと心を落ち着かせ、除夜の鐘の響きを聞きたいものだ。「正覚大音 響流十方」(阿弥陀さまの救いの喚び声が十方世界に響きわたる)――その大悲の響きを受け取るのだ。

【住職のコメント】
先月の報恩講ではたくさんの方にお参りいただきました。初日の午後は法座ではなく交流会に形を変え、自身が思う社会の価値観の変化とお寺の今後の役割について話をさせてもらいました。このような機会で徐々に仏教の話をすることが増えている中で、最近たくさん考えさせられることがあります。
些細なことですが、最近息子とこんな会話をしました。「パパ、僕ポケモンで最強になりたい!どんな敵にも勝ちたい!」ポケモンでは戦う時に相性という設定があり、水には草が強く、草には炎が強く、炎には水が強いのです(じゃんけんみたいなもの)。息子はすべてに勝つために、水・草・炎の力が欲しいといったのです。でも、そのあとにこういう話をすると、不思議な顔をしていました。「すべての力を得るとすべてに強くなるけど、その分すべてに弱くもなるんだよ。」
身近な遊びからなかなか思い通りにはいかないんだなー、と5歳ながら感じたようでした。

2023年11月号

麗しきお浄土の世界が生き生きとはたらき出した!

《本堂内陣の「極楽浄土図」が「オラクルカード」に》

本堂内陣に「極楽浄土図」(寺門孝之画)が掲げられて早や2年が経った。テラピカワールドと呼ばれる寺門氏独特の鮮やかな色彩と個性溢れる表現によって、阿弥陀仏の浄土が私たちに向かって生き生きとはたらき出したのだ。
まごころと優しさと豊かさに包まれたこの「寺門浄土」をより多くの人に知らせ、阿弥陀仏のお心に触れて心を満たしてもらいたい――そんな思いから、浄土図に描かれた絵画を48種のパーツに分け、私の解説文を添えたカード作りが始まった。そして今、ここに「(日本の)浄土オラクルカード」(税込価格4,400円、ヴィジョナリー・カンパニー刊)が完成したのだった。
発売されてまだ10日ほどだが、主にAmazonやYahoo、楽天などWebサイトからの注文が多く、直接購入は紀伊国屋、ジュンク堂といった大型書店に限られるそうだ。
お蔭さまで反響はあるようで、各サイトを見ると、大勢の方がたが購入されているようで嬉しい限りだ。
ところで、「オラクル」という言葉だが、この語は英語で神託、つまり「神のお告げ」を意味する。しかし、正福寺は仏教寺院だ。当然、神ではなく仏さま。したがって「オラクル」は「阿弥陀仏の真心(大悲心)のはたらき=お念仏」を指していると思っていただきたい。
ともあれ、人のいのちが軽んじられ、人と人との触れ合い、信頼関係が希薄になりがちなサモシイ世の中になっている。麗しいお浄土に触れて、潤いを取り戻して頂きたいものだ。また今月19日の報恩講では、カード発刊記念公演「浄土から菩薩が舞い降りた!」がある。お箏演奏のもと、浄土カードのスライドと優雅なジャワ舞踊が演じられる。この機会に、報恩講にはぜひご参拝願いたい。

住職のコメント
秋も深まり、急に寒くなってきました。私も少し風邪気味で万全の体調ではない日々が続いています。さて、11月となると報恩講法要が近づいてきます。毎年どのようなことをしたら門徒さんをはじめたくさんの方々にお参りに来ていただけるか考えているのですが、今年は長年続いていた三座の法要から少し形式を変えて、二座(初日は二部制)としてみることにしました。そこでは時間を作り、私の思う正福寺、私の思う現代と仏教について、お話ししようと思います。住職継職をして2年、まだまだ勉強・試行錯誤が続く中ですが、私がここまでに感じ取ってきた現代の社会に加え「私がやるべきこと」「私がやりたいこと」をお話ししたいと思っています。是非私のありのままの思いをお聞きいただければと思います。

2023年10月号

阿弥陀さまの大悲の願いを若い人に知らせたい!

《先代住職著の「浄土カード」が10月中旬に発売》

この世を生きるのに、悩みなく過ごせる人はまずおらないだろう。苦手なこともあるし、嫌いなことも生じる。欲しいものがなかなか手に入らないとイライラするし、誤解されて心傷つくこともあるだろう。
第一、生きるということは、老けていき、病の身となり、やがて死んでいくことでもある。誰しもが経験するもので避けることができない。そこに、人間の根本的な苦悩があると言えよう。
阿弥陀さまは、そうした苦悩なしには生きていけないこの(娑婆)世界の私たちを憐れみ、真如から呼び声となって現れてくださった。一切の苦悩がなく、楽のみがある「極楽」という浄土を造り上げ、そこに苦悩する存在であるすべての人びとを救い取ろうとされたのだ。その救う手立てが、呼び声となった阿弥陀仏の名を聞いて称える念仏だった。
念仏は誰もができる簡単な行為だが、肝心の阿弥陀如来のまごころから発出された浄土の救いが間違いないものとして受け取ることは難しい上にも難しいと言われる。
念仏の呼び声を聞けば、まるで「浄土」に生まれたかのように、好き嫌いがなくなり、「アレがほしい、コレがほしい」と欲に駆られることもなく、さらに、嫌な老病死が有り難く思えてくる――と。そうなれば言うことないが、やはり我のある人間には難しそうだ。特に成長盛りの若者にはなお更だろう。
そこで今回、正福寺の内陣に「極楽浄土図」を描いてくださった画家の寺門孝之氏のご協力で「浄土オラクルカード」(ヴィジョナリー・カンパニー刊)なる出版物を上梓した。10月中に発売される予定だ。若い人にも阿弥陀仏の願いと浄土の世界を文と絵を通して、少しでも身近に感じてもらいたい、と心から思う。(然)

住職のコメント
暦の上では秋が始まっています。が、暑い日がまだまだ続いているものです。夜寝るときは寝つきも悪く、昼はできる限り動きたくなく、エアコンを付けるとそれはそれで寒い。私はそんなぐうたらです。そんな中、先代が記した浄土カードを見ていてふと気になりました。お浄土は一切の苦悩がなく、とても居心地がいいところなのだろうなと。と思う一方でこんな日にも毎日暑い中、外で働いている方もいるんだなと。何気ない日々の悩みまでも聞いて、はっと自身の我にも気づかさせて頂ける仏さまには感謝がこみ上げてきました。

2023年9月号

短冊を通して触れ合ってほしい人の心と仏の願い

《60年ぶりに復活した正福寺の七夕まつりに思う》

正福寺にとって60年ぶりとなる七夕まつりを今年のお盆で実施した(8/7~14)。全国で行われる夏祭りや花火大会にあやかり、若い世代や子どもたちがお寺を身近に感じる機縁になればとの思いからの復活だ。
境内に5本の竹を設置、金銀の星形や色テープなどで飾った。お寺に来た人は誰でも自分の願いや悩み、思いを短冊に書いて捧げることができる。そうすることで、お飾りは一層、華やぎ、人の温もりも感じられることだろう。
実際に捧げられた短冊の数は60枚を超えた。いくつか紹介すると、
〈自分の夢・希望〉*おおたにせんしゅになりたい *1億円ほしいです *ITの会社たてれますように *イケメンとつきあいたいです♡ *パン屋さんになる *探し物が見つかりますように
〈家族に対して〉*ママがこれから先、ケガもびょうきもせず、わたしが死ぬまで元気に、しあわせに生きていってください *パパのかみがふえますように *じいじとばあばがなかよしになりますように
〈社会に対して〉*世界のみんながしあわせに暮らせますように *熱中症にならず皆元気ですごせますように *地球安泰
どれも素直な心の内が伝わり、思わず共感してしまうものばかりだ。
実は、竹飾りには予め、仏さまの願いも掲げられていた。
*必ずたすけるよ *心からの安らぎを与える *浄土で再び会うことができるようにする――等々。
皆の願いを聞き留められた仏さまが真心から願われる中身を、私たちが聞いてみる。そんな仏と人との触れ合いが正福寺の七夕まつりで実現できればといいなと思う。(然)

住職のコメント
先代が七夕まつりの企画を発案し発起人として復活させてくれました。
「発起」とは思い立ってことを進めることを指しますが、その言葉は仏教用語でもあります。一念発起という言葉も浄土真宗ではよく出てきており、意味はその瞬間に思う、行動する、まさに今この現実で即行動をするという意味です。
この企画を進めていく中での先代の思いはとても輝いて見えて、ありがたいなーと感じていました。仏さまの思いもこういう思いなんでしょう。
いずれ救うのではなく、「今、常に」人知れず救ってくださっているお心にどれだけ気づけるか。現実は難しいものですが、この七夕の願いに代わって仏さまに感謝の気持ちが届けばいいなと思いましたし、七夕を正福寺の伝統にしようと決意したきっかけにもなりました。

2023年8月号

猛暑にめげず逞しく生きる虫たちの姿に感服!

《境内の水遣りで見つけた見事な蜘蛛の巣》

夏になると毎朝、境内の木々や地面に潤いをもたらそうと水を撒いている。だが、このところのカンカン照りでは「焼石に水」、すぐ蒸発してしまう。それでもやらないよりましだと自分を慰めつつ、長いホースを引っ張って隅々まで水を届けている。その時、水先に生き物がいると反射的に当たらないように避ける。
時節がら、多い生き物はセミである。クマゼミが大半だが、アブラゼミもいる。一本の木に20,30匹はざらにいる。欅に桜、樫の木にハナミズキ……。幹の上下に列をなして喧しく鳴いている。アゲハチョウにシジミチョウ、オニヤンマにシオカラトンボが、花々の間を活発に飛んでいる。どの生き物も水が当たるとびっくりすることだろう。
そんな中で、気になった生き物がいる。黄と黒の縞模様の蜘蛛である。身の丈1センチ余、足を入れると5センチはある。注目したのには訳があって、蜘蛛の糸を立体的に張りめぐらせていたからである。場所は仏塔の北西隅の壇上で、傍にある木々の枝先に上下左右、糸を巧みに絡ませて球形に張り渡していた。大きさといいボリューム感といい、見事な蜘蛛の巣だった。残念ながら、巣に掛かっていたのは花の殻と小枝ばかり。餌になる生き物は見当たらなかった。それでも、猛暑にじっと耐えながら、巣の真ん中で堂々と胸を張っているように見えた。
逞しく生きる虫たちの姿に感服するひと時を得て心和んだ。(然)

住職のコメント
7月23日に子供向けのお寺体験を実施しました。普段経験することのない坐禅や落語の体験など、新しい刺激に子どもたちも笑顔が溢れていました。その中で、境内の探検を目的に宝探しを実施したのですが、お寺には本当にたくさんの仏さまがいることに改めて気づかされました。当たり前ですが、本堂はもちろん、報恩堂や一心庵、仏塔にも仏さまはいらっしゃいます。ほかに境内を見てみると所々に石仏があり、報恩堂前、鐘楼堂前、共同墓の横。子供たちはすべての仏さまと出会い、どう感じてもらえたでしょうか。日々懸命に生きる自身をどこからでも見守ってくれていると少しでも感じられると、本当の【宝】を見つけることができたのではと思いました。

2023年7月号

星々を仰いで宇宙と繋がっていた古人の心を想う

《七夕伝説発祥の地・交野の星田妙見宮を訪れて》

前回の「カメラを楽しむ広場」は、久しぶりに屋外に出て、交野市の大阪公立大学付属植物園に行った。広い園内を研究員のガイド付きで巡り、さまざまな樹々や花々を知ることができて意義深かったのだが、欲張りな私は、近くに妙見さんがあるというので、何人かで訪れてみた。
星田妙見宮というのだが、「妙見」は北斗七星を神聖化した名だ。いったいどんなところか興味を抱いた。
小高い坂を登り切ると、左手に石造りの鳥居があった。潜るとこじんまりとした空間があって、案内板やマップが点在している。その先の参道は、常緑樹の並木が両側から覆い被さって薄暗く奥まで続いている。
説明板には、弘法大師・空海が岩屋で修行していた時、七曜の星(北斗七星)がこの山(妙見山)に降臨したのを感得し、「正身の妙見」と称えて祀ったとされる。因みに「妙見」とは妙見菩薩、丁寧にいうと、「北辰妙見大菩薩」だ。北辰は神聖化した北極星。すなわち不動の北極星を宇宙の根源とし、周りで補佐する北斗七星は、万物に恵みを与える慈悲の仏である。大宇宙と小さな存在のこの私。それが一つにつながる世界を持っていた古人の心の雄大さを想う。
また、降臨したとされる岩座は織女石とも呼ばれる。織姫と彦星が天の川を挟んで年に1度、逢うという七夕伝説の話もこの交野が発祥地とされる。
現に妙見宮の近くに「天野川」が流れる。もっとも織女は「棚機(たなばた)つ女」ともいわれ、神仏に捧げる着物を織って棚に供える女性のことだ。
いずれにしろ、夜空の星々を仰ぎながら日々を悠々と送るような生活を、ぜひとも取り戻したいと思う今日この頃である。もうすぐ7月7日、七夕である。(然)

【住職のコメント】
夏の暑い日が続いていますが、最近は時折スコールのような大雨が降ることも多いですね。ただ、雨が降った後には心地よい風が吹くことがあります。私はその何とも言えない空気感が大好きで、思わず周辺を散歩したくなります。
駅まで散歩をしていると、暑い日中には気づかないふとしたことに気づくことがあります。先日はいつも歩いている道路にきれいなアジサイが咲いていて、雨上がりの水が滴って鮮やかな色で気分を盛り上げてくれました。朝に急いで駅まで向かう時には気づかず、心に余裕があるからこそ気づき、さらに心が一層穏やかになるその瞬間がたまらなく、心が平穏であることの大切さ・有り難さを改めて感じました。

2023年6月号

静かに降り濯ぐ雨の中に息づく無量のいのちを見た

《梅雨入りの朝、本堂の向拝下の階段に佇んで…》

永代経法要が修了した翌朝、あいにくの雨模様だったが、一瞬、止んだのを見て境内へと降りた。山門を開け、ナムのひろばの扉を開けるためである。いつもならその後、境内を一回りしベンチに腰をかけて樹々や大空を眺め、季節の変化を楽しむのが日課だった。
しかしその5月29日は雨だった。しかも梅雨入りだという。5月中の入梅は珍しい。気候変動、温暖化、異常気象の一環なのか?―大災害が起きないことを願うばかりだが、如何せん自然相手である。被害を少なくする方法を考えるしかないだろう。
それはさておき、この日は、門を開けた後、すぐに本堂に引き返し、向拝の階段で佇むことにした。
すると、雨が再び降り出した。細かい粉糠雨だった。風も吹いてきた。濃淡織り交ぜた樹々の新緑が、雨で一層瑞々しさを増している。豊かに盛り上がった樹々の葉が揺れて擦れあい、心地よい音色を醸し出す。自然が奏でる音楽である。
地表近くに目を転じると、右手にピンクのサツキが華々しく咲き競っている。正面奥には遠慮がちにガクアジサイが三輪咲き、鐘楼前にはドクダミの白い花が群生している。さらに、左手に並ぶ墓石の花立には、色鮮やかな赤いシャクヤクに白百合、紫の百合、白や黄色の菊などが供えられていた。
粉糠雨に大気中の埃だけでなく、雑踏音まで吸収されたかのようだ。周りの情景が耳目を通じて我が心にはっきりと焼き付けられる。そこには、樹々の新緑や色とりどりの花だけでなく、門前の道を行く人びと、通過する電車やモノレールの動力音と、乗客の姿がくっきりと映し出されていた。静かに降り濯ぐ雨の中に、今まさに息づいて輝く無量のいのちを見たような思いがした。
そんな私を、仏さまは後ろからそっとご覧になっていた。(然)

住職のコメント
住職になって2度目の梅雨を迎えようとしています。今年は門徒さんの前で話す機会も少しずつですが増えてきました。思えば、継職当初は何を話そうか戸惑いもありましたが、最近は毎月の祥月法要の場で、自らの言葉で伝えたいことも出てきています。今は、身近に感じる仏教話を簡単にわかりやすく伝えることにとてもやりがいを感じる毎日です。また、今年の夏に向けて、新しい企画に挑戦していこうと思っております。様々発信することで、お寺を身近に感じたり、お寺が何かご自身の日々の活力になるきっかけになればなと思います。いつも変わらずの言葉ではありますが、気軽にお寺にお参りください!

2023年5月号

仏の言葉“己が身にひきくらべて殺してはならない~”

《「慈悲と平和」をテーマに行われる集いに寄せて》

この5月3日、ナムのひろば文化会館で「慈悲と平和」をテーマにした集いが開かれる。これにはニューヨーク在住の僧侶・中垣顕實師が来られ、師が生涯を通して説き続けておられる「平和・和解」の実現への思いを語ってくださることになっている。
私はこれまで「平和」という言葉には馴染めなかった。言葉だけが独り歩きして、心が伴っていないような気がしたからだった。自分自身が堂々と平和を主張できない何か後ろめたい思いがあったというのが正直な気持ちだったかもしれない。
しかし、そう後ろめたい気持ちばかりでは、前に進めない。つまり「戦争」とか「平和」が自分とは遠い世界の話ではなく、むしろ自分の生活、人生に直接関わる身近な問題であることを、世のさまざまな出来事から痛感させられたからである。権力者たちの動向を見ているだけでは済まされない、自分自身の思いと行動が問われる性質の事柄なのだ。
ロシアのウクライナ侵攻、最近のスーダンの内戦、シリアやパレスチナなど中東での弾圧や敵対的緊張は、権力者だけの問題ではない。関係国、地域の一人一人が被害者となり、また加害者ともなるのが戦争だ。
日本社会の現状を見ても、けっして平和とはいえない。薬物依存や特殊詐欺に手を染め、重大な罪を犯したという人は数知れず、首相を狙った爆弾テロも複数回となるなど、物騒な世の中になったものだ。しかしそれは、特別な人間が起こしたわけではない。人は誰だって生活に不遇を感じ、人生が追い込まれると怒り、怨み、恐怖心が生じ、他を傷つけてしまうものだ。親鸞聖人も「殺すつもりがなくても(縁があれば)千人でも殺すことがある」と申された(『歎異抄』)。
何を仕出かすかわからない私たち人間に、すべてのいのちを慈しむ仏さまの心が届いた時、はじめて「平和」な世が実現するように思う。ブッダの言葉『己が身にひきくらべて殺してはならない。殺さしめてはならない』が身に染みる。(然)

【住職のコメント】
先日、同朋の会総会を実施しました。住職を継職してまもなく1年半、少しずつ新しい取り組みも始めていきます。5月は27日に「ナムのひろば開放日」を設定し、地域に開かれたお寺の名のもと、子どもからお年寄りまでどなたでも立ち寄れる企画を始めます。気軽に門をくぐれるお寺になるために工夫し続けますので、是非周りの方がたへお寺の魅力をお伝えください!

2023年4月号

別れの季節は新たな出会いの季節!

《哲学を教えてくれた若き研究者が秋田へと旅立った》

年度末の3月は、卒業や転勤で生活の拠点を移す人が多くなる季節だ。そこに「別れ」がある。慣れ親しんだ土地や人びとと離れて、たった一人で人生を歩むのだ。寂寥感に襲われることもあるだろう。送られる側だけでなく、送る側も一抹の寂しさは感じるものだ。
しかし、別れは悲しいことではない。ともに過ごした一コマ一コマは脳裏に焼き付き、目に見えない財産となる。その財産は消えることがない。いつでも蘇る財産だ。寂しさも一時的だ。4月には新たな土地で新たな出会いが待っている。
私の身近なところでも一人の青年との別れがあった。出会いはナムのひろばが開設した直後だった。ナムのひろばのフェスタに来ていた彼は、特に楽しむ様子もなく、会場の片隅で佇んでいた。気になって声をかけると、哲学を研究する阪大の院生だとわかった。話すうちに、僧侶と若手研究者で宗教実践についての勉強会を開くことになり、各3人のメンバーが集まって三哲会が始まった。
初めはお寺で感じたことなどを発表していたが、次第に宗教哲学の専門書を読むに至り難解になった。丸10年、100回近く続いた三哲会だったが、彼がこの春、秋田大学に赴任することで、解散となった。
その間、彼はメンバーで一番若かったが、常にリーダーとして導いてくれた。その博学は際立つ。20歳代で京大の学生に「日本近代哲学史」を教え、30歳で取得した博士論文は600ページになる大作だった。
秋田に出発する日の夕方、寺に立ち寄った彼の手にヴァイオリンがあった。読書と思索ばかりでなく、ヴァイオリンも奏でていた。それがわかって彼との距離がまた近づいた。お別れにドビュッシーを弾いてくれた。年寄りの硬い脳に新鮮な油を注いでくれた若き哲学者との別れは寂しいが、かの地で新たな出会いと活躍が待っている。そう思った時、ふと、私自身の浄土への旅立ちが重なって、思わず感慨に耽った。(然)

【住職のコメント】
4月を迎え、新たな年度が始まります。息子は年中へのクラス替えがあり、不安と期待に胸いっぱいの様子です。まだ4歳ながらも出会いと別れを感じているみたいで、転園するお友達とは手紙交換をして寂しい気持ちになり、担任の先生ともお別れで泣いていました。その一つ一つが幼い心を揺さぶり、成長していく様子を見て、新鮮な気持ちにもなります。新たな刺激を受け、挑戦することが大事だと思わせる、春の何とも言えない心地よさを感じて爽快な気分になりました。

2023年3月号

春の陽光がさまざまないのちを育み、輝き始めた!

《阿弥陀仏が光明となって一切衆生の心に至り届かれる》

春の訪れは、たとえ風は冷たくても、陽光の明るさで感じることができる。冬の間、枯れたようにジッとしていた木々の枝から芽が出て、蕾が膨らみ、花が咲き始める。すると、どこからか小鳥たちがやってきて、楽しそうにさえずり合いながら花々を啄む…。
さまざまないのちが春の陽光を浴びて目覚め、輝き始めるのだ。光はいのちを育み、生かしていく源となるものといえるだろう。
そんな光を、仏教では、仏さまのはたらきに重ねて使われることが多い。すなわち光には、①明るくする②温もりを与える③硬さをほぐし軟らかくする―といった特性がある。仏さまのはたらきも同様に、生きとし生けるものの①暗く沈んだ心を明るくし、②冷え切った心に温もりを与え、③頑なになった心をほぐして柔らかくしてくださる―というわけだ。ちょうど、暗く冷たい冬から、明るく温もりを感じ始める今の季節の陽光にピッタリではないか。
「阿弥陀仏は光明なり」(『唯信鈔文意』)と親鸞聖人はおっしゃった。阿弥陀仏ご自身が光明となって、一切衆生の心の闇を晴らし、苦悩の原因となるこだわりの壁を突き抜け、届いてくださると味わわれたのだ。
昨年、浄土往生を遂げられた青木新門さんの詩に「西の国の詩人ゲーテは 死に臨んで 〈もっと光を〉と叫んだ するとそこにいた人が 窓のカーテンを開けた / 東の国の誰かが 西の彼方に浄土という 光の国があると言った すると人々は 夕陽に向かって手を合わせた」(「眼に見えない光」・桂書房『雪道』)という一節がある。
光は物体に当たって初めてその存在がわかるが、体だけでなく、心で光を感じ取れる能力が日本人には具わっている。阿弥陀仏の光明はその心に届けられているのだ。新門さんもきっと心に届いた仏さまの光を詩にされたのだろう。もうすぐ春のお彼岸である(然)

住職のコメント
3月に入り、春の日差しが少し温かみを感じてまいりました。春はお花の季節です。梅は見ごろを迎え、桜もまもなく咲き始めますね。春のお花を見ると心も新たになる方も多いかもしれません。境内のお花も、少しずつ咲き始め、お参りの方を包み込むようにお待ちしております。なんとなく1年が過ぎている方も、お寺にお参りに来ることで何か活動してみるきっかけにしてみてください。私の思う春のイメージは、気持ち新たに!です。心も体もリフレッシュしましょう!

 

 

2023年2月号

悠久の時の流れの中で受け継がれる“いのち”の重み

〈「墓終い」で途絶えさせてはならない真心の絆〉

墓じまい―という言葉がよく聞かれるようになり、ナムのひろばの仏塔でも、墓から改葬して永代納骨する方が増えている。
高齢化と少子化、それに世代間の生活形態の違いが加わって、先祖から受け継がれてきた「心の財産」の継承が難しくなってきたようだ。
確かに、形だけ残って中身が伴なわないなら止むを得ないかもしれないが、せめて「心の財産」だけは受け継いでもらいたいのだ。そのための「仏塔納骨」であれば有り難い。
いま「心の財産」といったのは、人として生きる上で大切な精神的支柱になるもののことだ。人は他の人びとや環境に育まれ、恩恵を享けて初めて生きていくことができる。
ところが、仏教では「生きることは苦悩である」という。自分の思い通りに人は動いてくれないし、自然も人の都合に左右されるものではない。つまり、思い通りに生きたいと願う私の人生が、思い通りには生きられないという現実に直面して苦悩する。それが私たちの人生なのだ。
しかしまた一方で、私が生きているのは、途切れることのない他者からのはたらきがあったればこそともいえる。自然界でいえば、大気という空気があり、常に「生きよ生きよ!」と私の体内に酸素を送り続けている。水は体と心を潤し、数限りないいのちが毎日、わが口から入って血液と合流し、体のあらゆる細胞を活かしてくれている。人は話し相手になってくれるし、家族にもなってくれる。困った時には助けて、悩みに寄り添ってくれる。そして何が大切か教えてもくれるのだ。そのすべてが自我の枠、人間の枠、生死の壁を超え、悠久の時の流れの中でつながり、一つの“いのち”となってその真心を私たちに届けてくれているのだ。先人たちはそれを仏さまと仰いで重んじてきた。
形は変わっても、仏さまの真心の絆は絶やさないでほしい。まもなくお釈迦さまの涅槃会を迎える(然)

一久住職のコメント
2月15日は涅槃会で、仏塔でお参りします。ナムのひろばは10周年ですが、思えば仏塔も10年もの間、さまざまな方がたとご縁がありました。
不安な世の中が続いていますが、仏塔を通して、いつでも安心して仏さまとご一緒できることを感謝しつつ、先代が感じている「心の財産・絆」を絶やさぬように、ひたすらお念仏を続けるのみです。
まもなく年度が変わりますが、新たに受け継がれる世代へもこの心が伝わるように、気軽にお参りできるお寺を目ざします。

2023年1月号

愚かで、無力で、残忍な人間の心に届く大悲の光明

〈凍て付く冬の朝に咲いていた水仙の花の輝き〉

凍て付く冬の朝、山門を開けに本堂から境内へ降りると、足元で陽光を浴びて白く輝く水仙の花が目に入った。こんなに寒いのに、花冠の中側の黄色と外側の白色が鮮やかなコントラストを見せて、活き活きと咲いていた。
振り返って、令和4年は暗い一年だった。新型コロナは終息するどころか今も感染者数を増やしている。私自身も罹って、ホテル暮らしを経験した。
何といっても酷いのは、ロシアのウクライナ侵攻である。人のいのちと生活を何と思っているのか。国家権力による武力行使の非情さ、残忍さがこれほどまで鮮明に人びとの心を突き刺したことは、私の中ではこれまでなかった。と同時に、人間の本質的な愚かさ、無力さ、恐ろしさを他人事ではなく思い知らされて、心が滅入った。
さらに地球温暖化は、自然体系の破壊を招き、人類社会を危機に陥らせるところまで来ていることが、さまざまな天候不順や、海と大地の異変を通して、日々の生活でも感じられるようになった。それでもなお、従来通りの経済成長にこだわり続ける愚かさから抜き出せないでいる。
私自身のことを言えば、とりわけ老いの苦しみを感じた年でもあった。体は硬く乾燥化が進み、あちこちに弛みとデキモノができてくる。頭は回転が利かず、物忘れが激しくなる。第一、動くのが面倒になってきた。ということは、自分に活気がなくなる。もう一つ悲しいことには、縁ある人たち、恩義ある人とか、助けを必要としている人たちのために、何もしてあげていないことへの自責の念が増えてくることだ。
「自分にできることしかできない」とわかっていても、それさえできない情けなさに凍える。しかしそんな私にも、仏さまは倦むことなく大悲心を注いでくださっている!――水仙の花が仏さまの光明と重なって、心が和んだ。(然)

【住職のコメント】
新年あけましておめでとうございます。
令和4年は試行錯誤の1年でした。先代の言葉にもあるように暗いニュースが多く、お寺でどのように活動することが社会・ヒトのためになるのか、少しでも明るい気持ち・いのちの輝きに触れる機会を増やすことはできないのか、と日々の活動を通じて考えていました。令和5年はそのような思いを具現化するために、少しずつ私の思うことを伝える機会を作っていこうと思います。
まだまだ道半ばではありますが、是非正福寺が第二の心の拠り所になるように徐々に‘ともに’歩んでいきましょう。

2022年12月号

人はみんな真っすぐに伸びたがっている!

《「皆が支え合って生きる村」造りをめざす藤大慶師》

報恩講の講師でお越しいただいた藤大慶師は、本願寺布教使である一方、長年に亘り青少年問題に関心を寄せられ、社会に適応できずに悶々と暮らす若者たちを蘇らせようと、生涯をかけて取り組んでおられる救済者だ。80歳になられた今も壮大な構想を実現させようと精力的に日々を送られている。

 藤師はおっしゃった。「親鸞聖人の時代、生は死と隣り合わせにあった。庶民が生き残るには、他人の物を盗み、嘘をついて誑かし、時には暴力で奪い取り、生き物を殺していのちを繋がなければならなかった。親鸞聖人が“悪人”と言われたのは、単純に罪を犯した者とか、善人・悪人の色分けしたものでなく、現に生きているこの庶民の姿だった。阿弥陀如来のご本願は、悪を犯さずには生きていけないすべての“私”を救うことだったのです(要旨)」

 現代もその状況は形を変えて続いていると言えるだろう。だから、如来さまの願いは藤師の人生にも活かされているのだと私は思った。

 50年前、藤師は深夜ラジオのDJをされていた。そこに若者の投書が続々と届く。「義父に強姦された」「シンナーを吸って手紙書いている」「妊娠したけど、彼に逃げられた」「死にたい!」等々。悩みの深刻さを知らされたと藤師は言う。社会の表では見えない裏の実相だ。薬物、校内暴力、深夜俳諧、暴走…。

 現代の成長一辺倒の社会の陰で、“落ちこぼれ”のように扱われ、身も心も発揮できないでいる若者たちを蘇らせたいと大願を発こし、実現した一つの形が20年前に開園した児童心理治療施設「るんびに園」だった。いよいよ今度は生涯を通した居場所「皆が支え合って生きる村」の構想実現に向け、日夜奔走されている。その基軸に如来さまの本願の光明を享けて『みんな真っすぐ伸びたがっている』の心がある。 (然)

※同名の新刊書をお寺に置く予定。希望者はお寺まで。

【住職のコメント】

あっという間に年の瀬がやってきました。住職を継職して掲げた抱負の一つに、お寺をどなたでも門をくぐれるコミュニティーにするということがあります。昨年まで東京のど真ん中で働いていた自身にとっては、年齢・職業・住まいに関係なく形成できるコミュニティーはお寺ならではの魅力だと今も強く思っています。そんな中で一つのきっかけになると思っているのは除夜会(鐘撞き)です。お寺で行う活動の中で最も知名度があるのではないかと思い、開かれたお寺を作っていくために、少しずつ工夫を凝らしていこうと思っています。年末年始は是非ふらっとお寺の門をくぐってみてください!

2022年11月号

混迷深める今の世に仏の光明を届け続けたい

《ナムのひろば文化会館が開設されて今月で10周年》

万感の思いで、ナムのひろば文化会館の落慶の日を迎えてから丸10年の歳月が経った。
その年の11月号「正福寺だより」には、次のような趣旨の文言を載せている。
「隣接地の話があって4年、取得の意思を示して3年、実際に土地を取得してから1年7ヵ月の歳月を費やし、今ここに仏さまの心を味わうことを目的とした市民開放のひろばが誕生します。感無量です。さまざまな困難がありました。心を痛め、力を落としたこともありました。それらもろもろのことは皆、かけがえのない人生の思い出として心の財産になるでしょう。正福寺の〈ナムのひろば〉に込められた仏さまのお心を、多くの方がたが受け取り、その人生に慶びを感じてもらいたい。ただそれだけです。この偉業が達成されたことは、仏祖のおかげと、同感いただいた大勢の皆様のご懇念とご協力のおかげです」
やや興奮して語っていたことを、今、懐かしく想い返している。
この10年間で、ナムのひろば文化会館に足を運んでくださった方は、おおよそではあるが、コーラスや太鼓、ヨガなどの定期活動の参加者は約3万人。月1回の特別イベントなどホールの催しに参加された方が約1万人。仏教講演会や研修会等の参加者が約3千人。外部団体の催しに参加された方が約7千人……。総計約5万人という数字になった。
1年で5千人、1ヵ月で約420人。これ以外にも仏塔の参拝者や本堂での法要に相当数の方が来てくださっている。思うに、よくぞ仏さまの元へ来てくださったものだ。
そうした有縁の方がたが心の芯から潤い、生きている喜びを実感していただけているだろうか。それを念頭に置きながら、益々混迷を深める今の世にも仏さまの光明を届けるべく〈ナムのひろば〉がその一翼を担い続けていくことを期したい。(弘然)

【一久住職のコメント】
先月から祥月法要の後に「極楽浄土を訪ねる」の連続講座を開いているため、第一日曜日は「お寺で過ごす日」になればよいなと思っています。祥月法要の後の時間は、是非本堂でゆっくりくつろいでみてください!お茶菓子もお出ししますし、本堂でリラックスすることで、新たな仏さまとの出会いのきっかけになるかもしれません!
11月は報恩講があります。住職を継職してはや1年が経とうとしています。あっという間ですね。もっと対話しなきゃですね!

2022年10月号

体は辛いが“上りは気楽に、下りは覚悟をもって”

《愛宕山から聖人ゆかりの月輪寺を廻った登山の一日》

9月下旬の晴天日、京都市街の西北に聳える愛宕山に登った。防火の神として知られる愛宕権現を祀る神社が924mの山頂に建つが、江戸時代までは山岳仏教の修業場で、白雲寺を始め愛宕五坊が存在感を示す信仰の山だった。
清滝の登山口から山頂まで4.2kmの参道が続く。その半分以上は丸太や石の段が整備されているが、高低差900mはきつい。私はトレッキングシューズを履いていたので足への負担は少なかったが、汗で幾度か着替えをし、水飲み休憩したので、山頂まで3時間近く掛かった。
日曜日だったため登拝者は多かった。周りに人がいることで安心できる。体は辛いが、気分は楽である。
山頂付近で昼食後、私は参道を引き返さず、沢を下った。愛宕五坊の一つ・月輪寺に寄るためだった。しかし、沢の道は狭くて凸凹が激しい。参道とは雲泥の差だ。それに人影がまったくなかった。頼るのは自分だけである。2時間余りの道程で出会ったのは人二人に鹿一匹。熊に出会うかもしれないと、丈夫な木枝を拾い、足元の石ころを確認して歩いた。覚悟の下り道である。
山中にひっそり佇む月輪寺は、法然聖人と親鸞聖人が流罪前に、九条兼実と最後のお別れをした場所とされる。そのお三方の像が三祖師堂に安置されている。ご住職は「今は形だけの世の中。仏教は形では見えない心を大切にする…」と昔日に想いを馳せておっしゃった。「聖人は90歳になるまでここに来られていた」とも。熊も出ただろう危険な山道を登られる聖人の、覚悟のほどが偲ばれる。
修行中の釈尊のお言葉が遺っている――「歩き立ち止まり坐し臥している時に恐怖とおののきが迫った。だが私は、歩き立ち止まり坐し臥している時に恐怖とおののきを除去した」。釈尊と親鸞聖人と、相通じるお心があったのだった。(然)

【一久住職のコメント】
9月のお彼岸が終わり、急に秋を感じるようになってきました。今年は台風の影響もあり、おかしな天気が続いていますが、10月は心地よい風が吹く過ごしやすい気候になればよいなと思っています。秋は芸術の秋・スポーツの秋・読書の秋など色々なことに挑戦してみる時期ですね。散歩がてらお寺に足を運んだり、先住の本を読んだり、何か新しいことを一緒に始めてみましょう。
お寺でも芸術に触れる催しもいくつか開催します。是非楽しみにしていてください!

2022年9月号

生死を超える「いのちのバトンタッチ」を発信!

《お念仏に出遇い、喜ばれた作家・青木新門さん往く》

去る8月6日、作家の青木新門さんが亡くなられた。映画「おくりびと」の原案者で、わが正福寺へも9年前と5年前の報恩講にお越しくださり、人生の肝要を内からほとばしり出る力強い言葉でお諭しくださった。
最晩年にはウェブ上で「念仏広場」を開いて、自らが戴き慶ばれた浄土真実の教えを再度、咀嚼し噛み締めながら、惜しみなく発信し続けられた。
死の直前まで続いた発信は「南無阿弥陀仏」のお念仏で溢れていた。お念仏に出遇い、お念仏を浴び、お念仏とともに歩んで「ありがとう」と「いのちのバトンタッチ」をし、お浄土に往き生まれられたのだ。
その生きざまは、私がこれまでに出会い、先立って往かれた念仏者の先輩・友人と共通したものがある。ある友人は「死ぬ気がしない。新たな出会いが待っている」と語り、ある先輩は「今、生きているか死んでいるか、もはやどうでもよい。お浄土にいるような気分やね」と、意識朦朧の中で声を発してくださった。
人は「生まれ、老い衰え、病を患って、死んでいく」――これは自明の理だ。にもかかわらず、人は死を目の前にすると、生きている今が、戸惑い、狼狽え、怖れ慄く状態に襲われる。つまり生と死が明と闇、真逆のように見えてくるのだ。
阿弥陀仏の大慈悲心に出遇えた人たちの共通点はこの「生」と「死」の境が薄れて、容易に超えていくことができることだ。生きても死んでも、お浄土に生きる「今」が蘇ってくる。
青木さんは、お念仏がそうした生死を超えて生きる道であることを、生きている時からしっかりと、メッセージとして送り続けられた稀有の念仏者だった。(弘然)

一久住職のコメント
8月は盂蘭盆会の法要があり、たくさんの方にお参りいただきました。本堂で一堂にお参りした人数はコロナの影響が出だした頃から、最大の人数でした。人が多いから良かったというだけではなく、お盆の期間はお念仏に触れるきっかけになることが多いのかなと感じます。お盆のお参りでもたくさんの方々とお話ができました。家族が集まり、亡き人を偲ぶことにより会話や称名も増え、念仏を通して普段何気なく過ごしているいのちのありがたさに触れるご縁になりました。裏面に記載しましたが、お寺の環境整備と催し物を今後も充実させて、お寺で念仏に触れる機会を増やすため、何かきっかけを作っていきたく思います。

2022年8月号

いのちの温もりを縦横の繋がりの中で味わう時!

《盂蘭盆会のこころを憂き世の生きがいにして…》

今の世に生きがいを見出せるだろうか。つくづく浮き世であり、憂き世であると感じてしまう。富める者同士が争って、勝者はますます富み、敗者は転落していく。しかも、貧しき者はどこまでも貧しいままである。力を持つ者の都合で世の中は動き、小さな当たり前の願いは届かず、泡のように消されてしまう。
人間の欲望に基づく経済成長は、ここにきて完全に頭打ちになっているにも関わらず、なおも発想を変えずに突き進もうとする社会。温暖化による自然破壊と人類生存の危機はすぐそこまで来ているのに、懲りないのだろうか?
民主主義、基本的人権、個性尊重、世界平和……掛け声は立派だが、現実社会は理想とは程遠い。
たとえば、力を持った者はその力を誇示して他者を従わせ、世論を操作して、結局自分たちの欲望を叶えることに向かわしめる。また、グローバル化の名の元、多種多様の生き方をしてきた人びとに一つの価値観を植え付け、それに基づいて善し悪しを判断させていく社会だ。有名になること、一番になること、人にはない才能を発揮することが人生の目的となり、生きがいにならざるをえない。そこに我欲と他者を動かす力と豊富な金銭が得られるからである。
しかし、それが果たして民主主義と言えるだろうか。ごく一部の“成功者”だけが恩恵を享けるいびつな社会ではないのか?
8月はお盆である。盂蘭盆会のこころは、み仏に手を合わせ、ご先祖を偲びつつ、さまざまないのちの恵みに感謝することであろう。つまり、このいのちが、縦の流れの中で途方もない時間の営みを経て今に至り、横のつながりの中で、自然空間の量りなきいのちの営みに育まれていることを知って喜び、その温もりを味わうのだ。
これは万民に開かれたかけがえのない生きがいとなるはずなのだ。(然)

【一久住職のコメント】
7月に毎夏恒例?の子供の集いを実施しました。コロナが心配な中ではありましたが、子供たちは元気に遊びまわっていました。普段はできないお経を読む体験、本堂の掃除、坐禅の体験はもちろん、飯盒炊飯なんかも新たな気づきになってくれたら本望です。3歳の息子も小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんが来て遊んでもらえて笑顔を振りまいていました。近年はお寺の体験はもちろん、地域の子供の集まりも減り、さらには土や草木に触れる機会も減っています。お寺に集まってくるセミたちを取る子どもの姿も久しぶりに見ました。自然と触れ合うことで「命」を実感するようになればなと思いました。

2022年7月号

小さないのちの息吹きを感じて喜びに満ちる!

《鳥も言葉を使って会話していたことを知って…》
たまたまテレビを観ていると、鳥の鳴き声には種類があって、それらはきちんと言語としての機能があり、互いに情報を伝え合っているという内容の番組だった。私はその意外性に興味が惹かれた。
主にカラ類(シジュウカラ、コガラ等)の小鳥を調査研究している若手研究者が長期にわたる観察と分析の結果、判明したということだが、その数十種に及ぶ鳴き声は、単語を組み合わせて文章となり、状況や意志を伝えて共有し合う機能を持つというのだ。
例えばシジュウカラは、天敵の「ヘビ」を「ジャージャー」と言い、「警戒しろ」は「ピーッピ」、それに「集まれ!」は「ヂヂヂヂ」と鳴く。続けると「ヘビがいる。警戒しろ。集まれ!」となる。ヘビの存在を知らせて、警戒するように呼びかけると同時に、みんなで協力して追い払おうというのである。
また、鳴き声言語は子育てにもつながっている。「ジャージャー」という言葉で、危険なヘビが巣に近づいていることをヒナたちに知らせ、脱出するように促している。現に、その言葉を聞いたヒナたちはまだ飛べないにも関わらず、巣から転落するようにして必死に脱出する姿が映されていた。
私たち人間は、これまで自分たちは他の生き物から抜きん出て、特別な存在であるかのように錯覚していたのではないか?他の生き物を下に見てしまっていたのではないか? そんな人間の驕りが近年、いかに愚かなものだったかを知らされ続けている。人間同士で憎み合い、いがみ合い、抹殺し合う光景を目の当たりにし、おまけに地球の生態系まで破壊しつつあるという最も危険な生き物となっている。それが何とも情けなく悲しい。
暑くなったある日、前栽の水鉢を掃除していたら、ドロドロの水の中から一匹のメダカが姿を現した。生き残っていたのだ。それを孫に見せたら、満面に笑みを浮かべて喜んでくれた。小さないのちだが、そのいのちは輝いていた。(弘然・先代)

【一久住職のコメント】
暑い日が続いていますが、体調はいかがですか?6月末には過去最高気温の更新がニュースになりました。暑くなるとどうしても動くことが億劫になりますが、動きたくない時に自分がふとやることがあります。それは聞くことです。暑い中でも周りから聞こえてくる音を改めてしっかり聞いてみると様々なことが発見できます。こんなに鳥や虫が鳴いているんだ。たくさん飛行機が飛んでいるな。外で誰が話しているんだろう。想像も膨らみ、単なる音ではなく、声となって聴こえてくる気がします。とはいえ、熱中症にはお気を付けくださいね!

2022年6月号

「シンプル is ベスト!」で自分らしく生きよう!

《行き過ぎたサービスに追い立てられる不自然な社会》

ほとんどの人がスマホを持つ時代になった。一人で2台持つ人も多いことだろう。電話とメールで十分だと思っているわれわれ年寄り世代にとって、カメラや天気予報の機能は確かに便利だが、現金代わりに画面で自動決済する機能とか、ゲームや動画などのエンターテイメント機能とか、別にそれがなくても不自由せず、必要とも思わないものまで数多く付けられているのは、もったいないし無駄だと思う。第一、画面のボタンの数が多すぎる。おそらく一度も押すことなく、一生を過ごすことだろう。
何が言いたいか? それは、私たちが自分らしい生活を送ろうとする時、その生活に寄り添ってさりげなく手助けするような、あるいは必要に迫られた時に、あってよかったと言えるようなものさえあればよいのではないか、ということだ。あれもこれも、ひとりの人間にありとあらゆる機能を用意し、情報も溢れんばかりに提供している現状は、何だか追い立てられているようで落ち着かないし、自分が自分らしく生きるのではなく、こう生きなさいと強いられているみたいに思ってしまう。「時代に取り残されないように~」という強迫観念が生じる生き方は、どう見ても不自然である。
スマホに限らず、過剰サービスは日本社会にまん延している。テレビもエアコンも自動車も、至れり尽くせりの機能をリモコンや電子キーに納めて提供してくれているのだろうが、テレビはチャンネルが変わればいいのだし、エアコンは夏涼しく、冬温かく、でいいわけで、車も結局は走ればよいのだ。2、3のボタン操作と、ハンドルにアクセルとブレーキがあればいい。それが10も20も細やかな違いを設ける必要はあるのだろうか? ずばり「シンプル is ベスト」で生きたい。それが自分らしく生きる道でもある。
因みに、膨大な経典がある仏教の心が「南無阿弥陀仏」の六字にすべて込められていると受け取られたお方の代表が親鸞聖人だ。

 

一久住職のコメント
春から梅雨の季節へ移ろうとしています。お寺で見る虫は花を飛び回る蝶々たちから湿気を好む虫たちへ四季とともに変化しています。じめじめした季節は嫌なものですが、息子が先日「なんで虫さんは家の中に入ってきたら退治しちゃうの?」と聞いてきました。すぐに答えができない自身に日々ハッと気づかされています。虫たちにとっては尊い命が生まれ、輝く最高の季節なんだろうなと。
先月のアンケートのご協力いただいた方、ありがとうございます。引き続き回収しておりますので、FAX/郵送/ご持参ください。要約は来月コメントにてお伝えします。

2022年5月号

いのち躍動する季節にエネルギーをいただいて…

冬の長い静寂の後、境内に訪れた生き物たちの息吹き
つい先日まで、イチョウをはじめ境内の多くの木が、幹と枝だけの枯れ木のような状態だったのだが、3月4月と季節が移り、あれよあれよという間に、芽が出て花が咲き、新緑の葉を繁らせるまでになった。歳の所為だろうか、その変化の速さに戸惑っている。
変化は3月中頃から本格化した。土筆が出て、バラ科の仲間とされるアーモンドの白い花、コブシの濃い紫の花が開き始めた。続いて、仏塔前のハナミズキやソメイヨシノ、鐘楼堂前の桜に似た海棠の木もピンクの花弁を開いた。ボケの花やトキワマンサク、カリンの小花も咲き出し、チューリップや三色スミレも鮮やかな色彩を放った。4月下旬には、豪華なボタンの花が咲いていたのだが、先日の風雨で残念ながら

ボタンの花

散ってしまった。間もなく、ボタンと対になって植わっているシャクヤクが咲くことだろう。今は、ピンクのサツキに、同じ種類で、それぞれに紅白の花を開く久留米ツツジ、琉球ツツジが活き活きと咲いている。雑草といわれるツロシメグサ・クローバーや、ハルジオンなどの草花も茂っている。
これら多くの花・葉が出てきたことによって、さまざまな小動物も現れ出てくる。空中を舞う小さなハエの仲間とか、シジミチョウ、アゲハチョウ、モンシロチョウなど大小さまざまな蝶が飛び、小鳥、特にスズメが小グループを作ってチューチューと鳴きながら、地面と木の繁みを行ったり来たりして活発に動き回っている。私の眼に入らない小さな生物を目ざとく見つけて、エサにしているのだろう。
冬の間、長く時が止まったように静かだった境内に、さまざまないのちが誕生し、それぞれが互いに連動して、にわかに活気づいている。そのいのちの躍動に、私もエネルギーをもらったような快さを感じて、身も心も明るくなってきた。

〈一久住職のコメント〉

2022年度が始まりました。満3歳の息子もこの4月8日に西本願寺立のアソカ幼稚園に入園し、通い始めました。

同世代の子どもたちと会話(対話)することにより、育まれる感情や1日の出来事を楽しそうに話す姿から、リアルコミュニケーションの大切さは万人に共通で、人と人との繋がりから生まれる心の温かさを誰もが求めていることを実感しました。

先日は同朋の会総会があり、初めてお見えになる方がたもいて、新たなご縁もできました。同封のアンケートは日頃の皆さんの声を聴くために新たに取り組んでみたものとなります。是非ご協力の程お願いします。

2022年4月号

一コマ一コマのシーンに人生の重みを感じて…

《わが身の整理をし始めて知る無量のいのちの営み》

住職を交代して半年近くになった。年度替りを機に寺務所のパソコンを入れ換えてデータを移行しているのだが、同時に、新住職が寺務を取りやすいように、書棚や収納庫の整理も行うつもりでいた。
ところがこの整理がなかなか進まない。私(先代)が住職になってから足掛け40年。その間に溜まった書類、書籍、資料が狭い寺務所に溢れかえっている。しかも、私の仕事は寺の住職だけでなく、一個人としての仏教や公益関係の活動も行ってきたので、資料も混在していた。
書棚の中には、年賀状ファイルが年ごとに並んでいる。といっても10年ほど前からの分である。それ以前のものは数年前に処分したのだろう。今回はことしの年賀状だけを残し、それまでのものは捨てようと思った。とりあえず、平成25年に寄せられた400枚ほどの年賀状を1枚1枚、ファイルから抜き出し始める。当然のことながら差出人の名前と文面が目に入る。すると、その人との印象的シーンが、面影とともに蘇ってきた。すでに亡くなっている方、久しく会っていない方も多い。しかし、その出会いや出来事の一コマ一コマがかけがえのないものとして再認識され、わが人生の中身を重くて深いものにしてくださったのだと感じ入り、しばしば中断することになってしまった。
また、寺の活動記録となる各種仏教講座のレジュメや、年度ごとの「正福寺行事」ファイルには、「花まつり」の白象行進や戦後50年の追悼法要に、報恩講の音楽法要の資料などが綴じられていた。
今、思うと一つ一つの行事、活動、行動が「今、生きている」ことの重みを感じさせてくれるものばかりだったと思えてくる。
物の断捨離はできても、心ではしっかりと貯め込み、人生が無量のいのちの営みであることを噛み締めたいと思う。(先代)

【一久住職のコメント】
3月のお彼岸が終わり、本格的に春がやってきました。戦争での痛ましい惨劇が日々入ってきていますが、権力は欲望に目が眩み、人間活動の本質的な尊さを醜くさせていきます。改めて人生とは苦である。思い通りにいかないことが当たり前。だからこそ日々生かせて頂いているかけがえのないこの命に感謝して念仏を称えたいと思います。まん延防止も解け、人びとの行動も温かい心をもって活発化されると良いですね。

2022年3月号

大切なのは濁世に生きる人間の悲しみ共有すること

ロシア侵攻によって奪われたウクライナ人の生活

目が座っていて恐ろしかった――テレビ演説でウクライナへの軍事侵攻を発表するプーチン露大統領の顔である。それまでも、外交交渉の場で西欧の首脳と緊急会談する際の仕草が気になっていた。目をキョロキョロとさせ、地に足が着いていない。心は苛立ちと焦り、それに不安が激しく往来していたのだろう。政治、経済、軍事と国の権力基盤のすべてを握った“専制君主”が、巨大な権力にものを言わせ、自己の主張に勝手な理由をつけて暴挙に及んだと見る。
「威信なのか?」「誇りなのか?」――それが傷つけられた時の怒りは破壊的になるのは歴史が物語っている。権力を握った人物にとって、もっとも重大で敏感なのがプライドであり、自己の権力へのこだわりであった。
人間とは弱いもので、そんな絶対権力者に異議を唱える大臣も国会議員も、誰一人としておらず、権力者の意のままで事態は進んでいったことが、今回詳らかになった。そんな環境に置かれたロシア国民の大多数は、ウクライナ侵攻を「これまで虐殺されてきた住民らを救うための“平和軍”の派遣だと信じて、喜んでいるというではないか!
お隣りの大国でも、また半島の付け根にある閉ざされた国でも、似たような現象が起きているのではないか。専制権力者によって、人の行動も考えも自由を束縛され、いざという時には、国家のための道具にされてしまうのだ。その愚かさ、哀れさが身に染みる。
何より、はっきりしていることは、人口4400万のウクライナの人びとが家族や住居を失い、ふるさとを追われ、生きた心地がしない絶望の日々を送っているということだ。権力者の理屈や世界経済の動向を説明するより、はるかに大切なことは、濁世に生きる人間の悲しみを共有することだろう。(然)

一久住職のコメント
2月は涅槃会で仏塔にお参りしました。仏塔に納骨されている方がたは、宗派問わず、どなたも仏様と一緒になって私たちを見守ってくださっています。お寺がそのような日常の何気ない感謝に出会える場になればいいなと思いながら手を合わせました。寒さが続きますが、お寺の庭では鳥や虫たちが活動を始めています。あたたかい春がもうすぐやってきます。世界中のどんな人々も命に感謝しあって、あたたかい心で包み込み合えるといいですね…

2022年2月号

如来さまを見上げる生き物たちの透き通った表情!

正福寺内陣壁画「極楽浄土図」の魅力に触れて

昨年秋の継職法要を記念して、本堂内陣の側壁に設置された「極楽浄土図」(寺門孝之画伯・作)は、日増しにその魅力を発揮してきている。もっとも私個人の味わいなのだが、一応、経緯を説明すると、私は毎日、外陣の最前列・ご本尊の阿弥陀如来の真ん前でお勤めしている。これまでは、阿弥陀さまがいらっしゃる宮殿をはじめ、内陣の仏具の多くが金色系であった。そこへ宮殿を挟んだ両側面に色彩豊かな浄土図が入り、内陣全体が見渡せる位置でお勤めしている私には、浄土の情景がより立体的に迫ってくる感じがするようになった。

すると、どうしても目が浄土図に向いてしまう。描かれている一つ一つのオブジェ(物がら)の動きや表情に興味が惹かれるのだ。寺門氏の絵には、描いたオブジェの奥に潜む心の表情が透き通って見えてくる。

たとえば、内陣右奥のテーマ「光」に描かれた生き物たち――。浄土で法を説いておられる阿弥陀如来の方に顔を向け、姿勢を正して、お話を聞いているのだ。地上だけでも16種の生き物が描かれている。トラ、ライオン、キリン、ダチョウ、シカ、ウサギ、カメ、ヘビ、ワニ、シマウマ、ゾウ、サイ、イヌ、ウシ、ヒツジ、カバ――そのすべてが、澄みきった心の表情をしており、崇高で凛々しく感じられるのだ。もはや愚かな畜生の存在ではなかった。如来様と心を一つにして、浄土から私たちに清らかで爽やかな“風”を届けてくれているのだった。

浄土図の魅力はまだまだたくさんある。そして、これから新たに発見させてもらえることがあるだろう。どうか、縁ある皆さま、また興味を持たれた皆さま、遠慮せず正福寺の本堂に上がられ、ご覧あれ! 浄土の魅力が満載である。

 

【一久住職のコメント】

あっという間に新年1ヵ月が過ぎました。1月は法会等で門徒さんとたくさん対話ができました。本山参拝では久しぶりに本願寺の御堂に上り、何とも言えないあの空気感、阿弥陀様の溢れんばかりの慈悲心で包み込んでくださっているんだなと感じながらお参りさせて頂き、肌寒い中でも心は温まりました。オミクロン株の影響が拡がり、不安な中ではありますが、正福寺ではお寺の持つ本当の温かさを感じて頂けるようにしていきたいと思っています。2月は仏塔で涅槃会があります。是非ご一緒にお参りしましょう!

2022年1月号

山間に漂う静寂感が実現させた時空を超えた再会

《新著『今昔ものがたり抄』を恩師の元に届けて…》

師走の日曜日、時間を見つけて、念願の新著『仏さまの世界へ誘う・今昔ものがたり抄』(本願寺出版社刊)を亡き恩師・野々村智剣先生に届けるため、ご自坊の奈良県吉野郡黒滝村笠木の祐光寺を訪れた。
10年ぶりの祐光寺だった。先生が亡くなられてからでは丸13年が経つ。麓の下市口からカーブの多い山道に入る。年々道路が整備されてはいるが、それでも私の寺から車で2時間はかかる。左足を剥離骨折した身だが、運転への影響は少ない方の足なので、思い切って出かけた。
国道沿いの馴染みの茶屋で柿の葉寿司を買い、いよいよお寺に向かう一本道に入る。急な坂とカーブの連続だが、懐かしさと“再会”への期待で胸は膨らむ。
山門の横から入って車を止めていると、他家に嫁がれているご令嬢が出てこられた。続いてご本山に勤めておられるご子息も姿を見せてくださった。思わぬ歓迎に恐縮しながら、庫裏の仏間へと向かった。
りっぱな名号本尊の左床に、智剣先生と坊守様の遺影が並んで置かれていた。懐かしいお顔であり、私の頭に焼き付いているお顔でもあった。けっして口が動くことはないが、私が「お待たせしました。ようやく書き上げました。どうぞお読みください!」と新著を御前に置くと、「そうか! 書けたか―、よかった、よかった!」とおっしゃってくださっているようだった。
お二人のお子さまと一緒に『仏説阿弥陀経』をお勤めさせていただいた。山間の静寂の中で私たちの声と小鳥たちの声だけが響いた。ここでは、時空を超えた大自然の営みといのちの通い合いがあるように感じて、芯から心が安らいだ。

【末本一久新住職の新年ご挨拶】
あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします。
住職継職して一ヵ月程、改めてお寺は周りの方々に愛されて守られていることを日々実感しております。お寺だからこそ話せること、落ち着けること、聴けること。一つのコミュニティの場として、阿弥陀様とともに皆様の居場所になればと思っております。ふとした際でも構いませんので是非お寺にお越し下さい。そして2022年もたくさん対話しましょう。

2021年12月号

多くの人たちの力が結集して成し遂げられた慶び

《住職継職法要・報恩講を無事、勤修し終えて…》

このたびの住職継職法要で、今さらながら気づいたことがある。それは、何か大切なことをしようとする時、数多くの人たちの気持ちと力が集まり発揮されて、はじめて成し遂げられるということだ。けっして一人や二人の力だけでできることではない。しかも、その関わり方の濃さ薄さという尺度で測るものではなく、ほんのささやかな関わりも含めて、とにかく大勢の人の力が網の目のようにつながり支え合ってこそ可能になるのだと、しみじみ教えられたのだった。
法要の何日も前から境内に蔓延る草取りに毎日、足を運んでくださったご門徒さんもおれば、障子紙の張替え、傷んだベンチの補修を手掛けてくださったご門徒もいた。記念品の約150箱を包装紙で包む作業は2,3人がかりで2日間、費やしてくださった。その記念品に掛ける熨斗を仕入れて、150枚分、表書きするのは根気のいる作業だっただろう。新住職の勤行・作法をご指導され、前日もアドバイスに来てくださった組長もご苦労様でした。
法要当日は、司会進行役、送迎車のドライバー、駅改札口でのお出迎え、受付係、駐車場案内、行列の先導、朱傘持ち係、それに楽人さん、計19ヵ寺の法中方――。役員さん方は前日も含めて3日間、法要のために1日中、時間を取ってくださっていた。
もちろん、来賓の方がたをはじめ、この日を楽しみに待ち望んでくださったご門徒さんら、2日間で約150人の有縁の皆さんは法要に欠くことができない存在である。
そんな中、新住職は精一杯勤めてくれました。それが私の何よりの慶びだった。(然)

【新住職コーナー・ご報告】
11月27日に正福寺本堂にて住職継職奉告法要をさせて頂きました。
長期にわたる皆様のご支援があったからこその賜物でございます。改めて有難うございました。法要を通じて、一人でも多くの方にお寺の大切さ・仏教の尊さをお伝えし、日々の活動を通してお寺が寄り所・拠り所となる環境(身近に感じてもらえる環境)を作っていきたく思っております。尚、正福寺便りのコラムは今まで通り前住職が文責となり、続けてまいります。これからも引き続きどうぞよろしくお願い致します。      末本 一久

2021年11月号

受け継がれてきた法灯を第21代・一久住職に!

《住職継職奉告法要を前に前住職のご挨拶》

私こと、末本弘然(本名:喜久次)は昭和59年8月に就任して以来、足掛け38年間、第20代住職として正福寺の護持発展と、人びとに仏のお心を伝えるべく務めてまいりましたが、齢70を過ぎ、息子も社会に出て12年、東京のド真ん中で世間にまみえながら人生経験を積んできてくれましたので、このたび住職を継職させていただくことに致しました。
思えば、兄から住職を受け継ぎ、お寺で次々と新しい法座、講座、集いを月5~7回も催したのに加え、年20回ほどの年間法要・行事を重ねてまいりましたが、老若男女、実に多くの皆様がそれに応えて集まってくださったのが、何よりも嬉しく、有り難いことでありました。あっという間の38年でありました。当初は文字通り、無我夢中の毎日であり、手応えのある日々を過ごしていたことは、私の人生において、かけがえのない思い出であり、財産となっていると思っております。また、この財産は阿弥陀如来さまのお育てで生じたこと、お浄土へとつながる財産であること、必ず仏さまにしていただく財産であることを、身に染みて感じているところであります。
しかしながら、歳とともに、体力、気力も衰えつつあるのが現実の厳しいところであります。おまけにIT時代、人間の行動もデジタル化された中では、私のようなアナログ人間、それも善人ばかりの社会ではとても付いて行けないと思うことがしばしばあります。
そこで、仏さまのお心を仰いで、そのいのちの温もりをいただき、自らの人生を揺るぎない心で生き抜く原動力を得ていただきたいとの思いを、次期住職・末本一久に引き継がさせていただきますので、これからもどうぞ、よろしくお寺の護持発展のご協力と、御自身の聞法に励んでいただきたく、ここに心よりお願い申し上げます。

《末本一久新住職のご挨拶》
令和3年10月14日付で第二十一代正福寺住職を拝命いたしました。
今回住職を継職するにあたり、門徒様始め様々な方にご協力を頂きまして、誠に有難うございました。前住職が培ってきた思いを継承しつつ、自身の経験も踏まえ、「対話」することを意識して魅力的なお寺を作ってまいります。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

2021年10月号

3歳の孫に人の温もりを教えられた気分がした

東京から息子家族が帰ってきてくれました!

小児の痛ましい虐待事件が、相変わらず誌面を賑わせている。そんな昨今だが、わが家の孫の話題を一つ。胸キュンとなること間違いなし!――爺バカ過ぎるますか、な?
それはそれとして、息子の家族3人が9月12日、ついに東京から越してきて無事、寺の離れ家に居を落ち着かせてくれた。帰阪してもう3週間になる。いよいよ来月11月27日28日には、住職継職法要が行われるので、何かと準備に追われ、また息子自身も9月いっぱいは東京勤務なので、一人、東京との間を行ったり帰ったりしている。
そんな中、私も以前の一時帰宅の時のようには孫(今月で3歳)の相手ができず、忸怩たる思いを抱いていた。それでも、寺に戻ってからの孫の成長は目に見えるほどの変わりようだ。たとえば、言葉も単語を発するだけだったのが、「てにをは」が付いて会話ができるようになった。また、人の細やかな気持ちや周りの雰囲気を感じとる力が身に着き、それを行動と言葉で表現するようになった。
例を挙げてみると、ある時、息子と私がお互いの意見が違って、気まずい雰囲気になったことがあった。その時、傍にいた孫は知ってか知らずか、恐竜のフィギュアで静かに遊んでいた。それから後、孫はパパ(息子)に甘えることしきり(当然といえば当然だが…)、遊びをねだる度合いも増したように感じた。後日、私は私の都合もあって、孫と触れ合う時間が取れない状態が続いたが、孫がそっと寺務所に入ってきて、机に向かって書き物をしていた私に、「何してるの?」と遠慮がちに声をかけてくれた。ジージィのことを思ってくれていたことが嬉しく、私は抱っこして膝の上に乗せ、パソコンの画面を見ながらしばらく会話したのだった。
こんなこともあった。小豆を温めて目をほぐす布製の健康用品があって、私はよく使っていたのだが、繰り返し使っていたので、布が薄れてきていた。「そろそろ買い替えなければ」と坊守と話していたのを聞いていたらしく、ママと一緒に買い物に行った際、孫自らが「ジージィの~」と言って、同じ型のものを買うようにママに伝え、私にプレゼントしてくれたのだった。驚くやら、感心するやら、もちろん有り難かった。人の温もりを孫に教えられた気分がした。そんな、今日この頃である。

2021年9月号

さまざまな“障害”――みんな違ってみんないい!

《東京パラリンピックを観て思ったこと》

パラリンピックを観て思ったことがいくつかある。
1つは、水泳にしろ、陸上にしろ、障害の種類や重軽度によって細かくクラス分けされ、クラスごとに同程度の障害がある選手を集めて競っていることにまず感心した。そこに各選手が競い合える素地が生まれてくるわけだ。
たとえば水泳で、視力を失った人と四肢を失った人が競争しても、一方は泳ぐコースと位置を教えてもらわないと逸れたり頭をぶつけたりするし、一方は泳ぎに使う身体機能が不自由なため、身体に問題がない視力障害の選手にはかなわないだろう。同じような条件だからこそ、競い合って自分を高めようとする意欲が生まれるし、困難を克服する力も生まれる。そして、前向きな人生が開かれるというものだろう。
2つ目は、金銀銅というメダル競争は、本人たちは別として、観ている側としてはあまり興味がない。どちらが勝ったかではなく、真摯に競技している姿が素晴らしいと感動するのだ。足の大部分を欠いているのに、残された太股の一部だけを動かして、あるいは胴体を上下させるだけで、あんなにスムーズに泳げるのかと、その動きから伝わる選手の直向きさが心を動かす。その思いは、たとえトップから大きく引き離されていても、揺るぎはない。
3つ目は、健常者にはない、障害を持つ人ならではの独特な競技がある点だ。ゴールボールという競技を観た。ハンドボールのようにチーム対抗でボールを交互に入れ合う競技なのだが、3人1チームの選手全員が視覚障害の上、アイシェードをつけて光を完全に遮断して行われる。ボールはバスケットボールの大きさで重さは約2倍。中に音の鳴る鈴が入っている。攻撃側は3つに分かれたエリアにボールを一回ずつ弾ませて、幅9mの相手ゴールに入れる。守る側は寝そべって上体を起こし、手足を激しく動かしてボールの侵入を妨ぐ。ボールの音に素早く反応し、身体が的確にボールを捉えるかどうかで勝負がつく。障害者スポーツならではの独特な姿勢と俊敏な動きに、人間の能力の奥深さを知った。
最後に、選手の顔が明るく堂々としているのがすばらしい。暗いイメージはない。浄土の蓮華が「赤色赤光、白色白光」と輝くように、人間も「みんな違ってみんないい!」のだ。

2021年8月号

アスリートたちの人間味あふれる姿に感動と力が…

《危ぶまれた東京五輪が開催されて気づいたこと》

 コロナ感染が拡大し、開催が危ぶまれていた東京オリンピックが、無観客という苦渋の形をとって7月23日の開会式でスタートを切った。開催前は、混乱なく競技が進むのか、国民の反応はどうかなど、不安要素が多々報じられていたが、いざ蓋を開けてみると、各テレビ局の手のひらを返したような熱の入れように、世の動きも五輪に靡いたようだ。
 私も靡いた一人なのかもしれないが、ただこれまでの五輪とは違った見方をしている自分に気づいた。これまでは、特別に訓練された超人たちが勝敗を競う、いわば別世界のお祭りという目で観ていた。だが、今回はアスリートの人間味が伝わってきて、私自身との距離間がグッと縮まった感がするのだ。
 おそらくコロナ禍という現況がそうさせたのだろう。アスリートもごく普通の私たちも、皆ともに同じ難題を背負って今、生きている。「コロナにどう立ち向かうかという課題を持っている人間同士」という妙な連帯感が芽生えたのかもしれなかった。
 開幕早々、重量挙げの三宅宏実選手が引退表明した時は「小さな体で、よくここまで重い物を持ち上げ続けてきたね。ご苦労様!その競技人生に幕を閉じる場として東京五輪があってよかった!」と、心からそう思った。
 19歳で白血病に罹り、一時はいのちの危機に晒された水泳の池江璃花子選手は見事、病を克服して迎えた東京五輪だった。リレーのみの出場で、かつ予選落ちの結果に終わったが、その笑顔は終始、天女のように輝いていた。
 柔道の大野将平選手は、優勝後のインタビューで、「(リオ後の)苦しくてつらい日々を凝縮した1日でした」と内面を吐露した後、「(コロナ禍に)我々アスリートの姿を見て何か心が動く瞬間があれば光栄に思う」と語った。大野選手が目ざすのは、勝負を超えて相手も生かす「自他共栄」の柔道だ。その理想と「勝つ」ことが使命とされた現実との狭間で苦悩する姿に胸が打たれた。
 8月に入っても五輪は続くが、アスリートたちの中身の濃い人間模様は、感染に苦しむ人たちを含め、私たちに感動と生きる力を与えてくれるに違いない。また、そうしたいのちの輝きは生死を超えても伝わるものだ。

 もうすぐお盆である。

2021年7月号

健気に育ってくれたミニトマトをいただいて!

《鬱陶しい梅雨とコロナ禍に心温まるお話になれば…》

梅雨とコロナ禍の鬱陶しいこの時節に、心温まる話題を一つご提供しよう。
坊守が3月の誕生日にミニトマトの栽培キットをいただいてきた。私はほんの気まぐれに、育ててみようと思い、小さな種を専用の鉢に入れた人工培養土に撒いた。
鉢はリビングの日当たりの良い窓辺に置いて毎朝、水をやった。
すると、やがて芽が出てきた。初めは2,3本だったが、日が経つにつれて次々と芽を出す。説明書によると芽は適当に間引きするとある。結局、元気な若葉のものだけを3本残して、育てることにした。
そこから私の扱いは乱暴になってしまった。4月の後半、温かくなって成長し続け、1本に成る若葉の数も増えるので、戸外で育てた方がよいと思い、鉢を少し大きめのプランターに換えた。土は市販の培養土を少々、大半は庭の土から取ってきた。本来なら、培養土をたっぷり入れるのが常識だろう。
水分の量もいい加減だったと思う。蛇口から柄杓(ひしゃく)に半分ほどの水を入れ、ほぼ毎日(時には数日間忘れることも…)流し込んだ。今思うと、水分が多くて溺れるようにフニャフニャになったり、また時には渇いて萎れてしまいそうになったこともあったろう。現に3本の内の1本は成長が止まり、葉も枯れていった。
それよりも重大な過失だったのは、たくさん付けた葉を半分以上、千切ってしまったことだ。最初の新芽は2,3本を残して取り除くということだったが、成長する葉も間引きして真っすぐに伸ばすものと勘違いしてしまった。それが原因で、その後は高く大きくなることもなく、成長は止まってしまった
それでも5月の後半には、残りの2本に黄色の花が咲き、やがて緑色の小さな実が成り始めた。説明書では、受粉を促がす行為について書いてあったが、そんなことはせずとも実をつけてくれたのだ。


それからさらに1ヵ月経った今、健気に生き残り、見事に赤く実ったミニトマトが姿を見せてくれている。数日前、そんな実のいくつかを獲って食事の時にいただいた。柔らかくて中身の濃い味がして美味しかった。感謝感激の一瞬だった。ミニトマトさん、貴重ないのちを有り難う!

2021年6月号

人が亡くなる原因、コロナは全体の1パーセント!

《ワクチンの集団接種予約ついに取れなかったけれど…》

市役所から高齢者向けに、ワクチンの集団接種をうながす文書が送られて来たので、予約開始日の4月26日、受付開始時刻の午前9時きっちりに電話とネットで申し込もうとしたが、繋がらなかった。しつこく接続を試みて20分後に電話が繋がる。自分の接種券番号などの個人情報を伝え、続けて坊守の分を頼んでいた時、電話の向こうから「もう一度、かけ直してください」と言われて切れたが最後、いくら掛け直しても繋がらなかった。結局、伝えた情報は登録されずに満員札止め!となってしまった。
次の予約日、5月4日も同様に午前9時に電話とネットで予約を試みた。この時はネットで受付フォーム(申込み用紙)にすべて記入できたが、最後のボタンが凍結状態になり、やがて消えてしまった。これもアウト!
懲りずに3回目の5月25日も試みたが、この時はもう半分諦め気分で、数回試みただけだったからだろう、箸にも棒にもかからなかった。
というわけで、市への不満が募った。限られたワクチンをその何倍何十倍もの人数で奪い取らせることの非情さ。申込者に対して何のフォローも混乱回避もしていないこと。また改善してこなかったことに対する憤りだった。
しかし恨み節ばかりの私の心に、ふと「そこまでして“我先”にワクチンを打ちたいか?」「私よりもっとワクチンを必要としている人がいるだろう」「その人に先に打ってもらいたいと思わないのか?」という問いかけが浮かんだ。それには「なるほど」と頷いて、お粗末な自分を知らされた。
考えてみれば、「ワクチンを打てば感染しない。感染しなければ死なない」と単純に思い込んでいる節がある。しかし、日本では1年間に約138万人が死ぬ。対して、コロナで亡くなった人は1年余りで約1万2千人。総人口からすると1万人に1人、死者数でいうと1パーセントに満たない。ところが、コロナ対策でワクチンを打って亡くなったとされる人が85人(5/16現在)もいるようだ。16日現在でワクチン接種者は600万人だったから、ほぼ7万人に1人が亡くなっているわけだ。
コロナばかりに目が向いて死の恐怖に脅えているとするなら、今一度「人は必ず死ぬ」こと、また「その限りあるいのちを精一杯生きるとはどういうことなのか」を考えるべきではないだろうか。

2021年5月号

受け継がれていくいのちの拠りどころに出遇う…

《連休中に本堂で遊んだ2歳半の孫と仏さまとの出来事》

4月24日から5月5日まで、大型連休を利用して次期住職家族が東京から帰ってきている。8月にはお寺での新生活が始まるので、最後の長期帰省となる。

早いものでその半分が過ぎたが、現住職夫婦にとってはやはり目が向くのは2歳半の孫(男児)だ。毎朝「おはよう!」と声を掛け合い、我われを「ジィージ」「バァーバ」と呼ぶ。その親しげな声が心地よく、また心が癒される。

おのろけになったが、その孫が今、夢中になっているのが恐竜と野生動物のフィギュア(精密な模型物)だ。大小さまざまな形の恐竜や動物がそれぞれ10種類以上は居て、それらを手に持ち、戦わせて遊んでいる。きっと、戦う動物たちの気持ちを想像しながら楽しんでいるのだろう。互いに蹴り合い叩き合いして、片方が倒れると、もう一方の「○○ザウルスの勝ち」となる。

一人でやっても飽きる。そこで「ジィージ」が指名され、片方の動物を受け持つことになる。私の方は大概負かされるので、逃げ回ることにしている。それでもしつこく追いかけてくる。私がトラで孫がシマウマであっても、強さの常識は通じない。とにかく逃げる。それでも孫の気持ちはどうしても高ぶる。

ある時のこと。母親が遊び相手だった。そこでママが担当する動物のところに孫が手に持つ動物がやってきた。戦いが始まるかと思うと否。「こんにちは」の挨拶から始まり「一緒に遊びましょう!」とママの動物が呼びかけた。孫も「ハーィ」とご機嫌よく応えて和やかそのもの。さすが母親!と感心した。

また、本堂で遊んでいた時のこと。外陣の大きな香炉の左右に龍が鋳造されている。左は口の開いた龍、右は口の閉じた龍である。恐竜遊びをした続きに、香炉の龍の話をすると、孫は静かに聞いてくれた。実際に香炉の龍を触ったりして感じたのだろう、口の開いた龍を「怖い」と言った。

「お内陣にも龍がいるよ」と教えて抱っこし、尊前のイスに座った。前卓の左右の龍を指さして「怖いねぇ」と言いながら、孫に語りかけた。「でも龍が怖い顔をしているのは、悪いことをしないで!と言っているんだよ」と。そこから顔を正面に向け仏さまを仰いだ。「仏さまは優しいお顔だね。『こんにちは、快ちゃん』と呼びかけられているよ」と耳元で囁くと、頷きながら、「こんにちは」と小さな声を返した。

2021年4月号

実体ない虚構の世界でのやりとりに生活感は生じる?

《進みつつあるキャッシュレス決済サービスに思う》

現金を持ち歩かなくても電車やバスに乗れて、デパートで買い物ができて、コンビニでおにぎりも買える。一見、便利な世の中になってきたようだが…。
しかし実際、70歳の年寄りには現金が必要で、外出先で食べる日替り定食やカレーの昼食代、立ち寄った書店で買う本や雑誌の類、また自動販売機の缶コーヒー代などは、現金でないとどうも落ちつかない。比較的高い金額の買物にはクレジットカードを使ったり、乗り物には交通系のICカードを使ったりはするが、日常生活では、現金を用いずにものをやりとりするのはやはり限定的である。
ところが、時代はどんどん進んでいるようで、この頃はペイサービスとやらが盛んに宣伝されている。キャッシュレス電子決済サービスというのだそうだ。
これまでのクレジットカードだと、買物をするごとにサインや暗証番号を打たなくてはならなかったが、一度、スマホに登録すると、ごく簡単に購入、決済することができるサービスだという。しかも利用できる範囲は大幅に増え、10円単位のちょっとしたスナック菓子や小物からネットショッピングまで、スマホ一つで生活のあらゆる場面での購入が可能になるという。
ということは、これが普及すれば、現金なしで生活できる、いわゆるキャッシュレス時代に入るというわけだ。
それにしても、私などはその仕組みと使い方がもう一つ理解できていないように思える。「ペイサービス」のほかにも「電子マネー」や「仮想通貨」などの新しい用語が次々と出てくる近頃だが、そうした言葉で表現される機能や想定される空間は、ある条件を前提に、人間が作り上げた実体のない虚構の世界のように思えてくる。
人は、何かかたちあるものを通してその価値を計り、そのやりとりを人と人が対面しながら行って、はじめて安心するのであって、かたちが見えず、心も通わずに、ものの交換だけが頻繁に行われれば、生活感、強いて言えば、生きている実感が生じないのではないだろうか。
まさにコロナ禍社会である。人と人の接触を避けるにはキャッシュレスが望ましいのかもしれないが、やはり、もののやりとりは目に見えるのがいい。「(本願力に遇ひぬれば)虚しく過ぐる人ぞなき」社会でありたい。

2021年3月号

人間ほど自分勝手で物事を捉える生き物はいない!

《ヒヨドリのフンに悩まされ続けた挙句に…》

日射しが明るくなってきた今日この頃、野鳥のヒヨドリに頭を抱えている。毎日、というか、終日、境内のイチョウや松、モチノキなどの高木に留まっては、羽を休めて新芽などを食べているのだ。多い時は10羽ほど、少ない時でも2,3羽は目にすることができる。
キーキーと鋭い鳴き声もさることながら、一番、厄介なのは夥しい数のフンだ。毎朝、山門を開けに行くと、石畳の参道に落下して潰れた黒い円形の塊りがあちこちに点在している。墓石の上や花立ての隙間にもお構いなしに落としているので、掃除するにも時間がかかって仕方がない。
朝だけではない。鳥の活動は昼間も続くので、一度、洗い流して固形物を取り除いても、夕方を待つまでもなく、新たなフンを落とす。したがって、もう一度取り除かなければならなくなる。もっとも、そればかりに時間を費やすわけにはいかないので、汚れたままになっている時が多くなってしまうのだ。
普段からきれいに整えている境内ではないので、強くは言えないが、フンだらけの光景は、けっして気持ちのよいものではあるまい。そう思うと、ヒヨドリが憎らしくなってくる。
ある日、ホースの水で石畳のフンを勢いよく押し流そうとしていた時、イチョウの高い枝にヒヨドリが止まったのを見て、水をかけてやろうととっさにホースの先を上に向けた。ところが、何のことはない。ヒヨドリには届かず、私自身に水がかかってしまったのだ。情けない話といったらない。
それでも、ヒヨドリは頭がいいというか、この頃、私が“危険人物”だとわかってきたかして、近づくと飛び去るようにはなってきた。
こうしてヒヨドリと向き合うようになって、ほんの半月ほどだが、つくづくと思うことがある。
それは、人間ほど自分中心に物事を捉え、他の生き物を選別している生き物はおらないということだ。おのれの尺度で他の生きものを有益か有害かに種分けし、自分たちの都合で、その度ごとに、平気で益か害かを逆転させたりしているのだ。
ヒヨドリもヒヨドリなりに、自分たちの生活を様々に工夫しながら懸命に送っているのだ。フンの中に赤い南天の実を見つけて、彼らの生活する心の一端を身近に感じて、そう思った。

2021年2月号

結局、気持ちのつながりが一番力強い救援策になる!

《一律6万円では持たない飲食業界の窮状を訴え…》

緊急事態宣言が出されて、時短要請に応じた飲食店に一律6万円の協力金が政府から支給されることについて、先日、料理界の重鎮やシェフが「このままではどんどん店を閉めないといけなくなる」と、現場の窮状を訴える会見を開いた。
 会見で、なるほどと思われたのが「店の売り上げに応じて支給額を決めるべき」ということや、「一人、二人で静かに食事するのと、グループで長時間語り続けるのとではリスクが違うわけで、人数や客層を問わずに自粛させられるのはおかしい」と、一律に扱うことに異議を唱えた点だった。
 確かに、1日6万円では店の維持管理費だけで飛んでしまう店もあるだろうし、反対に、自宅の一室を利用して営む小さな店では、閉めるだけで月180万円が入ってくることにもなる。不公平感は否めない。昨年の全国民に一律10万円というのと同じ発想ではある。
 しかし、巨大組織となった現代社会では善か悪か、利益か損失か、賛成か反対か、0か1か、という二者択一で物事を決めて行動するのが基本となっている。そこを、特に不都合な点が明らかで国民の不満が大きく、しかも容易に改善できることになれば修正されるだろうが、時間の制約があり、費やす労力を考えると、きめ細やかで迅速な対応は無理というのが現状だろう。そういう社会の仕組みを根本的に変えないと解決しないのではないかと思う。
それはさておき、組織に頼らずとも、私たち一人一人の気持ちがお互いに通じ合えると、思わぬ力になり、それぞれの生活を改善させる結果が生まれることもある。テレビで観た中では、店に卸す白菜が激減し廃棄することにした生産農家の窮状を知った料理人が、白菜を買い取って新しい料理を作り喜ばれた話や、牛肉の流通を止めてはならないと思った料理関係者が食材に牛肉を使って提供して人気を得た話などが紹介されていた。また、夜営業の店主が、昼営業の他の料理人に場所を提供したり、複数のキッチンを異なる料理人に貸して、それぞれ得意の食事を作って提供してもらうという新しいビジネスが生まれている。さらにその店が必要だと思う人たちが資金を出し合って存続させることも可能だろう。
 結局は人のつながり、気持ちの通じ合いが一番の救援策になるということだ。それは危機的な時ほど発揮されるものだ。

2021年1月号

不安、心配、恐怖に萎縮した心を和らげ包み込む鐘の音

《コロナ禍の中で迎える令和3年のお正月に…》

新型コロナの感染拡大に歯止めがかからない。12月25日現在、日本での感染者は21万5千人、死者は3千2百人。重症者も増加傾向にあり、医療機関がひっ迫している。その上、イギリスや南アフリカで感染力の強いコロナ変異種が見つかり、日本への侵入も確認されたということだ。

 そんな中での令和3年への年越しである。不安材料が増えこそすれ、減る兆しのない現状に、心が萎縮し、自身への感染に恐怖を覚え、将来の心配も尽きることがない。現実生活に深刻な打撃を受けている方も少なくない。

お正月は例年通りに晴れ晴れしく過ごせそうにない年末年始なのだが、逆に「人として何が大切か」をじっくり考える好機になるのかもしれない。

 お寺では、今年も大晦日に除夜の鐘を撞く。正福寺の梵鐘は、先の大戦で「戦時供出」され、昭和23年に新たに奉懸されたものだが、そこに刻まれた銘文が「是生滅法」「寂滅為楽」という『大般涅槃経』の詩句だ。「施身聞偈(諸行無常偈)」という偈文で、詳しくは「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」(すべてのものは無常であり、生じては滅し、留まることがない。これが真実である。この生じ滅すという執着〈苦〉を超えた〈滅した〉ところに、揺るぎない心の静寂〈安定感〉と楽しみ〈充実感〉の世界〈涅槃〉がある)というものだ。日本人だけでも3百万人が犠牲となった第二次世界大戦の後、激変した世の中にあって、当時の住職(現住職の祖父)が思いを込めて刻んだ仏さまのお言葉だったのだろう。

 「これまで築き上げてきたものは何もかもすべてが儚く消えていく」――酷い現実に苦しみ、不安を抱いたのに違いない。しかし、現実は刻々と変わりゆき、いつまでも留まっているわけにはいかない。そして、家族が減り、物がなくなっても、けっして壊れず、いつも居てくださるのが仏さまであり、この私の心を包み込み和らげてくださるのが仏さまの大悲のお心だった。  

祖父にとって「是生滅法」は厳しい苦の現実。「寂滅為楽」は、如来の大悲に包まれてたくましく生き抜く力を与えてくださる希望の言葉だったのではないか。 

新年を迎えるに当たって撞く今回の除夜の鐘は、そんな如来さまの大悲の喚び声が「響流十方(讃仏偈)」と、すべての人びとの心に響き亘り、和らげてくださる音だと味わいたい。

2020年12月号

何のために生まれてきたのかわからない人生ではなく…

《『ふたたび出会う世界があるから』の北畠先生のご縁》

11月21,22日の報恩講に、中央仏教学院の元院長・北畠晃融先生からご法話を戴いた。先生は最近ご病気にかかられ、足が震え、首が俯くなどお体が大変な中で、一言一言、如来さまのご本願をご自身も噛み締められるようにお話くださった。渾身の思いで語られたご法話のほんの一部をお伝えしたい。

「10年ほど前に、学院卒業生の同期会に呼ばれて行ったのですが、そこに、当時、行動力と統率力を合わせ持ったクラス委員がいて、その彼が近況報告で話した言葉が心に残りました。彼は案内状をベッドの上で受け取りました。彼が言うには、1年半前、〈体が動かない。声が出ない。これでお終いだ〉と思ったそうです。その時ベッドでお聖教をめくっていて『呼吸の間にすなわちこれ来生なり。ひとたび…』(『教行信証』行巻)のご文が目に飛び込んできたといいます。〈呼吸が途切れるとこの世におれなくなる。一度、人間世界を離れると、再び戻ることは難しい。ここで如来のご本願をいただかないとどうなることだろうか。しっかりと無常をいただいて、後悔をのこさないように~〉とのお言葉でした。何のために生まれてきたのかわからない人生ではなくて、如来のご本願を聞かせてもらうために生まれてきたんだとその時気づいて、私は救われました。それを皆さんにお伝えしたくて来ました〉というのです。2年後に彼はお浄土へと参りました」

「義理の妹が舌癌になり、手術後に再々発し、余命宣告を受けました。〈誰にも会いたくない〉と面会を拒むほど落ち込んでいましたが、私たちは半ば強引に会いに行き、関東大震災で被災者救済に尽力された九条武子さんの臨終の話をしました。兄上の木辺孝慈・木辺派ご門主(当時)がおっしゃった言葉が〈助けますが如来の役目。助けらるるが衆生の持ち前。お任せしてお浄土へ往ってください。そして仏となって還ってきてください〉でした。すると武子さんは〈ハィ、来ます!〉とおっしゃった。そういう話を妹にしたのです。しばらくすると涙が妹の頬を伝って流れました。筆談で〈そうでした。また還らせてもらえるんでした。有り難いことです〉と記し、2ヵ月後にお浄土へ往きました」

今回のご縁を、本多昭人さん(『ふたたび出会う世界があるから』著者)が私のところに至り届いてくださっていると味わわれる北畠先生だった。

2020年11月号

過剰で極端な情報に溢れる社会に生きている私たち

《ネットで中古車の査定をしようとアクセスしてみたら…》

お参りなどに使う軽自動車に傷みが目立ち始めたことから、新車に乗り換えることにし、その前に、車を査定してもらおうと、インターネットの中古車情報サイトにアクセスしてみた。車種や購入年、走行距離など必要事項を記入し、こちらの住所、氏名、連絡先(携帯電話・メールアドレス)を書いて送信した。

すると、さっそく、発信元不明の電話が携帯スマホに掛かってきた。誰からかわからない時は出ないことにしているので、やがて鳴り止んだ。ところが、またすぐに、今度は異なる番号から掛かってきた。鳴り止むとまた別の電話が鳴り出す(サイレントにしていたが…)。こうしてその日は、同じ番号からのものも含めて延べ何十回、何百回となく電話が鳴り続いたのだった。その後、徐々に回数は減ったものの、ほぼ一ヵ月間、毎日のように何度も電話が掛かってきたのである。

携帯に溜まった通信の「履歴」は、他の必要な番号と混ざると紛らわしいので「削除」するのだが、これもけっこう手間が掛かり面倒なものだ。

結局、メールで査定に応じることを知らせてくれた業者三社にこちらから電話をして、直接出かけるか出張査定してもらって、相場が掴めたのだが、つい安易に、ネット上で価値がわかるものと早合点したのがいけなかった。これほど煩わしくなるとは思ってもみなかったのだ。

それにしても、言葉は悪いが、獲物にたかるハゲワシのように、数多くの業者が1人の顧客をめぐって激しい獲得競争を繰り広げていることを目の当たりにし、改めて現代社会の過剰な情報発信と反応ぶりを知らされた。

間違いなく、情報が氾濫している。その情報は有効に生かされず、必要なところに必要な分だけ届くのではなく、ほとんどがムダになっているのだ。私の場合でも、単に車の今の価値相場を知りたいだけだった。何十社の社員、何百人の労力が必要なわけではない。また、テレビやネットの広告も、注意を惹くためなのか、人を喜ばすためか、よいことばかりを極端に強調する。健康食品、サプリメント、通販の商品にしろ、その誇大な表現は、詐欺まがいにもなりかねない。そして、人びとはその魔力に引き込まれていく。

浮わつくことのない、必要な分だけで足りる社会生活はできないのだろうか?

2020年10月号

如来の光明を浴びて元気だった頃のお姿が脳裏に浮かぶ

《お寺にご縁深きご門徒方、立て続けに浄土に往かれる》

発行が遅れてご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。というのも9月下旬の26日、27日、29日と立て続けにご門徒が亡くなられ、お葬儀等に心を傾けて取り組んでいたのでした。

ともあれ、前のお二人はお寺で葬儀をされたので、一晩に複数のご遺体がお寺で過ごされたことになる。後のお一人は数え年108歳の最高齢女性で、昨日(30日)、前の方の葬儀と還骨勤行を終えてから、ご自宅に伺い、臨終勤行をしてきたところだ。

いずれの方も長年お寺に関わり、親近感をもってくださっていた人ばかりだ。26日に亡くなったMさんは、ちょうど1週間前にご主人の敬老プレゼントを持っていった際に、玄関先まで出てきてくださり、こぼれんばかりの笑顔で対応くださった。実はここ数年、お身体の具合が悪いと聞いていて、お会いする機会がなかった。それだけにお元気な姿が見れてホッとしたのである。そんな矢先だっただけに世の無常を実感した。今となっては、その笑顔が宝物となってわが脳裏に焼きついている。

27日に亡くなったTさんは私の義兄だが、一言ではいい尽くせない多難な人生を歩まれた。それでもブレることなく忍耐強く歩まれていた。「ご苦労さま」と心から申し上げたい。数多くの思い出は消えることがないだろう。

2日連続して本堂で通夜と葬儀が行われたわけだが、そのお荘厳は、本山で戴かれた法名とご遺影をご尊前の左右に掲げ、周りを花花で囲んだ。さらに、灯明をはじめ照明を全開にしてお勤めした。すると如来さまのおられる内陣が眩いばかりに光輝き、亡き人を包み込んで、お勤めしている私たちにまでその光が届いてくるようだった。まるでお浄土と娑婆の境目がなくなり、亡き人も私たちもともにお浄土にいる思いがした。

また本日(1日)、葬儀会館で行われた通夜では、最高齢のKさんの笑顔あふれる写真が掲げられていた。お念仏を大事にされていたKおばあちゃんの手はピースサインを送っている。勤行前に、私も思わずピースサインを返していた。

身体はきつかったが、心は亡き人ともにお浄土の光で潤ったこの1週間だった。

2020年9月号

けっして他人事ではない私自身の「生老病死」の現実

《幼き孫の生き生き感と病院で出遇った老病の悲愴感》

お盆で息子家族が帰省し、お寺が一気に賑やかになった。4日間だったが、私も坊守も生活スタイルが「日常」から「特別」に切り替わり、もっぱら1歳10ヵ月の初孫の動向に目を離せない日々が続くこととなった。

何しろ、じっとしていない。入ってはダメという危ないところへ行こうとするし、触るとケガをするようなものに手を伸ばす。遊び道具も想定された遊び方では遊んでくれず、嬉しさが有り余るのか、掴んで放り投げる。その結果、遊び道具(おもちゃ)はバラバラに分解してしまった。床に落ちた食べ物のカケラを摘まみ上げて食べ、畳の上で見つけた小さな紙片を口に入れたりもする。

つまり、常に動きまわる孫の相手をするということは、こちらも常に動きまわらなければならないということだ。普段の私は、一度ソファーに座ると必要に迫られない限り、動こうとはしない。じっとしているのが一番楽なのだ。それに対して、孫はじっとしていることが苦なのである。身体が自然に動くのであろう。そんな幼児の生き生きとしたエネルギーが、動こうとしない老いの体を突き動かしたというわけだ。

私の体は確かに疲れたかもしれないが、心地よい疲れであり、心的には元気を取り戻せたとも言える。

何より嬉しかったのは、8ヵ月もの間、離れて暮らしていたにも関わらず、再会してすぐに、私に笑顔を振り向けてくれたことだ。記憶の隅に、私の面影を残してくれていたのだろうか。その後も、短い期間だったが、一緒に過ごすうちに慣れ親しみ、私に抱っこさせてくれたり、自ら駆け寄って膝の上に乗ってくれたりもした。私を信じて身をまかせ、安心して遊んでくれた孫の姿に、私は得も言われぬ充実感と喜びを感じたのだった。

孫が東京に帰って数日後、とある精神科病院を訪れた。今度は心の病を抱えたご老人である。入院病棟に上がると、無表情に反復行動する患者さんや近寄り話しかけてくる患者さんに出遇う。病室の縁者は最近までお元気だったはずなのに、今はぐんと老け込み、髪は乱れて目は閉じたまま。弱々しく横たわっておられるだけだった。まさに老病の悲愴感が伝わる。

この1週間で、「生」から「老病死」へと至る一生の縮図を見る思いがした。これはけっして他人事ではない私自身の「生老病死」でもあった。

2020年8月号

“生き死に”を超えたいのちの輝きと絆に出遇えれば…

《コロナ禍で身近に感じはじめた“死”について思う》

先日のTV番組で、コロナ禍の“外出自粛”によって一人暮らしの方の孤独死が急増していることが報じられていた。例えば70代の男性の場合は、普段、病院に付き添ってくれていた弟が、コロナ自粛で付き添いを止め、会うのも避けた結果、男性の遺体が発見されるまで死後3週間が経っていたという。別のケースでは、腰痛で動けなくなった九州の兄を、首都圏に住む妹が心配していたが、“自粛”で会いに行くことをためらううちに連絡が途絶え、警察から連絡があったのは亡くなって1ヵ月後だったという。

コロナ感染で亡くなる以外にも、こうした自粛による孤独死が増えていることは、人と人のつながりが薄れていく社会の現状を浮き彫りにさせると同時に、人びとの意識に「いずれ私も…」と、“死”がより身近に感じられはじめているとも言えるだろう。

そんな中、ウェブ上で「コロナ禍で見つめ直す“最期”」という特集が組まれていた。ある特養の入居者に「延命治療」について聞くと、コロナ以前には、84%の人が「希望しない」だったのに対して、コロナ感染拡大後は「希望しない」が43%に激減し、「希望する」が同率の43%と大幅に増えたという。

この変化に、「コロナは苦しそうだから、苦しまないように治療してあげたい」や「コロナだと最期に会えないので、コロナでいのちを落としてほしくない」といった声が上がったそうだ。これを読む限り、「人と人の関係が希薄」というよりも、人の気持ちに寄り添おうとする心が表れているようだ。

また「生き死に」を考えるサイトがあって、そこの「私の生き方ノート」を使う22歳の若い女性は、死を念頭に入れながら「後遺症が残る治療は望まず、回復の見込みがなければ治療は止めて」と書いたという。それを見た母親の思いはもちろん違っていて「後遺症があっても生きていてほしい」だった。

人はそれぞれ、その時、その立場、心境の変化によって「生き死に」の捉え方や思いは違ってくるだろう。それでも常にそうした今の自分を見つめ続けることは、大切なことだと思う。さらに言えば、そこに“生き死に”を超えたいのち(無量寿)の輝きと絆に出遇えたならば、きっと心の安定した揺るぎない人生が開けてくるに違いない。

2020年7月号

大地に根ざしたいのちが飛び立ち、やがて還っていく…

《お寺の境内ではさまざまな生き物が濃厚接触していた》

ソーシャルディスタンスという言葉が連日、メディアから流れ、巷ではすっかり「人と人との接近を避ける」生活が定着してきたようだ。

そんな折り、梅雨の晴れ間に境内を散策してみると、さまざまな生き物が濃厚接触しているのを目の当たりにすることができた。

松の木の手前にある「ひょうたん池」では、メダカに子が産まれたようで、1㎝ぐらいに成長した“児童”クラスから、5㎜ほどの“幼児”クラス、1㎜ほどの赤ちゃんまで、子どもメダカが大人メダカに交じって、水中を賑やかに動き回っていた。

このひょうたん池には、初めは金魚が泳いでいた。成長し、数も増えたが、目立ちすぎて、捕食動物にやられて全滅してしまった。その後、メダカが棲みはじめた。が、中のスイレンが成長し続け、手入れをしなかったために水は泥沼化し、メダカも減っていった。そこで水を抜いて掃除しようとしたところ、生き残っていたのが一匹。そのメダカをバケツに入れ、池の水を入れ替えはじめたが、運悪く?急用ができて長時間離れてしまい、その間に貴重な一匹もバケツから消えていた。池には半分に減らした泥付きのスイレンだけが残ったのだが、数ヵ月後、水面を泳ぐメダカを発見。恐らくスイレンの根の間に付いた泥水に潜んでいた別のメダカだろう。一匹では寂しいだろうと、この春、市販のメダカを買ってきて泳がせたところ、家族・仲間が倍々増したわけである。

他に、つい先日も本堂の縁にヒヨドリが不時着。近づいても飛ぼうとしなかった。2、3日、縁付近に何度も舞い降りたが、今は姿を見せなくなった。思うに巣作り場所を探していたのだろう。

境内には、数種類の蝶々が花の蜜を求めて、さかんに飛んでいる。色とりどりの花が咲き、その花たちはしっかりと地に根を降ろしている。この日は他にもトンボが飛び、欅の木にカメムシがいた。数日前には、別の欅に特大の毛虫が這ってもいた。ハチやクモがいて、やがてセミが喧しく鳴き始めるだろう。昆虫と花と木と。「彼れがあるから此れがある」――網の目のようにいのちといのちが関わり合い、それらのいのちの根底には大地がある。大地に根差したいのちはまた大地へと還る。人間も「心を仏地に樹て」て生きるのが一番有り難いとつくづく思う。

2020年6月号

直接ふれあってこそ人の温もりと安心を感じるもの…

《国の新しい生活様式の提唱とスーパーシティ構想に思う》

緊急事態宣言がすべての都道府県で解除され、新型コロナウイルスもその勢いを弱めつつあるようで、ひとまずホッとしている。しかし、ウイルス自体が生滅したわけではないので、予防策はこれからも講じていかなければならないだろう。

そこで厚労省は「新しい生活様式」を提唱し国民に呼びかけている。主な内容を見ると、手洗い・マスク・3密(密集・密接・密閉)回避のほか、「人との間隔は2m空ける」「会話は、真正面を避ける」など。買い物は「通販や電子決済の利用」を促し「計画を立てて素早く済ます」という項目もある。いちいち商品の前で立ち止まって吟味しないというわけだ。娯楽・スポーツについては、「筋トレやヨガは自宅で動画を活用」とか「すれ違うときは距離をとる」「歌や応援は十分な距離かオンライン」とある。食事にも言及していて「大皿は避けて、料理は個々に」「対面ではなく横並びで座ろう」と。「料理に集中、おしゃべりは控えめに」というお節介まである。働き方では「テレワーク」「時差出勤」「会議はオンライン」と、やはりこれも、人との接触を避けることがメインだ。

コロナウイルスとこれからどれだけ長く付き合っていくのかわからないが、こんな生活スタイルを続けていると、まるで人間らしく生きることを否定するような生き方なので、心は折れて傷つき、滅入ってしまいそうだ。

にもかかわらず、新コロナ対策の提唱に、輪をかけたような内容の「スーパーシティ法」がつい先日成立した。AIなど最新技術を駆使して、個人を含む人間社会のあらゆるデータを管理し、人や物の流れから、生活全般にわたるサービスをよりスムーズに提供する未来都市構想のスタートとなる法律である。聞こえは良いかもしれないが、これは「人は皆、固有であり、心ある貴ぶべき存在」というよりも、巨大データの中の「一データであり、一構成要素である」くらいの感覚でしかないのではないか。遠隔教育や遠隔医療・介護が普通になり、児童と教師が直接向き合うことなく、患者と医師が生身で接することもない。常に機器を介してデータのやりとりを行い、「適切に処理」されるいくのである。そこに人のためらいや不安といった目に見えない心の動きは伝わるのだろうか。人は人の手に触れ、生の声を聞き、息遣いまでも聞こえて、はじめて安堵し、その温もりと喜びを感じることができる。人としての営みを崩してはいけない。

2020年5月号

勤行を通して感じる阿弥陀仏の大安慰のまごころ

《毎日、朝、昼、夕方の三回、お寺で始めた心潤すお勤め》

拡大を続ける新型コロナ感染で、国が非常事態宣言を発出した前後の4月初旬、何だかじっとしておれなくて、朝・昼・夕の一日三回、本堂の阿弥陀さまの御前でお勤めしようと思い立ち、実行することにした。正直に言うと、これまでも朝・夕には本堂のお扉と山門の開閉があるため、ご本尊の阿弥陀さまにはその都度、ご挨拶していた。しかし、それは偈文といわれる短かいお経を読誦するか、時間がない時はお念仏だけで済ますこともあって、きちんと灯明と線香を供えて「正信偈」のお勤めをするということはなかった。いや、たまにはあっても、なかなか習慣化できていなかったのだ。つまり怠けていたのであった。

それが皮肉にも、コロナのお陰か、もう1か月近く続いている。朝は8時から「正信偈」、昼は正午から「讃仏偈」、夕方は鐘撞き後の6時半(5月は7時)から「重誓偈」と、多少の時間のズレはあるものの続けられているのである。

しかも「仏さまのお心が届け!」とばかりに、読経する私の声をマイクで拾って境内のスピーカーに流し、思い切り音量を上げて道行く人びとに聞いてもらえるようにしたのだ。

残念ながら、未だ人びとの反応は伝わらないが、私の中では、ぐーっと仏さまが近づいてくださっている。私が発する読経の声は、仏さまのお喚び声となって、着実にわが胸中に響いてくる。何とも言えない温もりと安堵感、不思議な時を持つことができている。

先程(4月29日正午)も、「讃仏偈」の後、浄土和讃の「慈光はるかにかぶらしめ ひかりのいたるところには 法喜をうとぞのべたまふ 大安慰を帰命せよ」を拝読し、阿弥陀仏のまごころをいただいたところだ。和讃の大意は「仏さまの慈悲のお心は、光明となって十方世界のすべての者を照らし輝かせる。その光明を浴びた私たちは皆、仏さまの真心を感じて自ずと喜びに満ち溢れる。苦しみから解放させて身も心も安らかにしてくださるそんな阿弥陀仏を心から信頼し依りかかるべきである」と。

この心の世界を人びとと共有したいというのが私の本音だ。有縁の皆様も仏さまのお心に触れるべく、ふらっとお寺にお参りされたらどうだろう。今、真っ赤なボタンが咲いている。

2020年4月号

今も末法の世であることを思い知らせた新型コロナ

親鸞聖人が身に染みて感じられた本願念仏の教えの尊さ

一段と、緊迫の度が増している新型コロナウイルスの脅威である。この文をはじめてご覧になる時に、爆発的感染が起きていないことを願うばかりだ。

改めて感染症の歴史を振り返ってみると、人類の歴史と感染症(疫病)は深く関わっていて、人間の生死を左右する最大要因が疫病だったことを知った。古代ギリシャやローマを衰退させたのがマラリアであり、欧州の中世を終わらせたのはペストだった。また、疱瘡(天然痘)がインドから仏教とともにシルクロードを通じて世界に広まり、日本にも豪族間の闘争が絶えない6世紀に持ち込まれ、仏教による諸国統一を促す後押し役となった。

さらに疱瘡は、平安時代中期(994~995年)、京で大流行し、公卿8人が亡くなるという大打撃を与えた。結果、四男坊の藤原道長が権力を手にした。

その道長も死を身近に感じていたに違いない。万人がいついのちを落とすかわからない人生だったのだ。それに加え、悟りを得る人も行ずる人もおらず、仏教が廃れて心乱れる末法の世に入る(1052年)という末法思想が広まった。

いのちの儚さを知らされ、それでも死の恐怖や苦しみからのがれたいと思う人びとは、死して阿弥陀仏の極楽浄土に生まれることを望んで、浄土信仰が盛んになる。道長も壮大な法成寺を建てて浄土往生を願った一人だった。

その浄土往生はどんな行も不要で、ただ阿弥陀仏の本願(まごころ)を信じ念仏を称えるだけで誰もが救われ、仏になれると説かれたのが親鸞聖人だった。すべての人びとがその恩恵に与れる末法の世に遺された唯一の教えともいわれた。

親鸞聖人は寛喜3年(1231)、高熱に襲われ、意識朦朧とした中で「大経を必死に読誦している」自分に気づかれる。その時、念仏の信心の何が不足で読経したのかと思って我に返られるが、実はこの年、飢饉と疫病がすさまじく「死骸が道に満ちて、数知れず」の状態だった。おそらく聖人の高熱等も疫病に罹られていたからで、周りの惨状も目にしておられたに違いない。そこから、聖人の慈しみの心と、御身で感じられた本願念仏の尊さが私には伝わってくる。

新型コロナは、今も末法の世であることを思い知らせてくれているのかもしれない。人は、帰るところがあれば辛くても今を生きていけるのだ。南無阿弥陀仏

2020年3月号

実態が把握できないもどかしさが不安を募らせる

《新型コロナウィルス感染症が市中レベルに拡がる》

新型コロナウィルスの感染症が、今、世間を騒がせている。当初は、中国での出来事として、どこか他人事のように思っていたが、あれよあれよという間に日本に上陸し、市中感染にまで達して、一気に緊迫感が増してきた。

もっとも、これまでの日本の対応は、はがゆいところが多々あったように思う。一つは横浜に停泊したクルーズ船の扱い。乗客乗員を14日間留め置いたものの、船内の汚染空間と安全空間を厳格に分け切れないままに過ごした結果、多数の感染者を生じさせた。いわば船自体が汚染空間となったわけだ。

われわれにとって一番厄介なのは、巷にどれだけの人が感染しているか、把握できないことだ。たとえ自分が感染しているのではと思っても、近くの医院や病院で新コロナであるかどうかの診断ができないというのだ。PCR検査というのがあって、これは国が認めて、民間機関を動員すれば、大人数の検査が可能になり、疑わしく思っている人たちの検査にも十分対応できるのだという。これは今ようやく国も腰を上げて、迅速な検査が可能になりつつあるようだ。できるのならば、なぜもっと早くしなかったのだろうか。クルーズ船の乗客全員の検査も1日2日で済ませることができただろうに。そうすれば、こんな多くの感染者を出さずに済んだだろうにと思う。

感染者数の把握から、自分が感染の疑いを持った時の行動、それに感染した後の医療の迅速な対応と治療(対処療法も含め)が、依然として具体的に見えてこないのだ。おまけにマスクやアルコール除菌剤も手に入らない。自衛策もままならないのだ。

そんなおぼつかない国の動きの中で、大規模なコンサートや集会の中止要請は目に見えて広まった。逆にいえば、それだけ人びとに不安感が募っているということだろう。しかし、その一方で、否、それよりも感染者の実態把握と情報発信、ウィルスの実体と症状を把握し、正しく冷静に向き合うことが大切ではないか。浮足立つことなく、しかし侮ることなくである。

相変わらず人間の営みの枠内ですべての物事を考えているなと思った時、ふと幼い時に観た映画『宇宙戦争』のラストシーンが頭に浮かんだ。人類が激しく抵抗する中、地球に侵入した異星人が征服寸前になって、免疫のない微生物によって滅ぼされるシーンだ。異星人が今の人類ではないことを願いたい。

2020年2月号

急激に進む地球温暖化で迫られる少欲知足の生き方

《温室効果ガス排出量マイナスの国・ブータンに学ぶ》

この冬は今まで経験したことのないほど“寒くない”冬だ。この時期に近畿の多くのスキー場に雪がないのは、私の記憶にはないし、境内の水溜まりがこの冬一回も氷を張らないのも珍しい。

南半球のオーストラリアでは記録的な猛暑と干ばつが襲い、昨年9月以来の森林火災が今も燃え続け、すでに本州の半分に相当する面積が焼失した。死者約30人。コアラやカンガルーなど10億以上の生命が失われたという。

加えて中国・武漢で発生した新型コロナウィルスによる感染症の拡大である。

そこで思い起こされるのが地球温暖化だ。昨年12月のCOP25(国連の温暖化防止会議)には、日本から小泉環境大臣が出席したものの、5年前のパリ協定に基づいて本年から始まる温暖化対策の実施案が示されず、その後ろ向きな姿勢が非難を浴びた。しかし日本に限らず、中国、アメリカ、インドの温室効果ガス排出量ビック3の国も大した効果策はなかったようだ。

ところが事態は深刻で、予想を上回る勢いで温暖化が進んでおり、21世紀末に平均気温上昇を「2℃未満に抑える」はずが、このままだと約4℃上昇するという予測が出された。そこで温室効果ガス(主として二酸化炭素)の排出量をゼロにする目標が立てられたのだが、これも各国の現状は極めて厳しい。そうした中でも待ったなしに極地やグリーンランドの氷は融け続けていて、日本近海でも海面温度が過去90年間の約2.5倍の速さで上昇し続けているという。猛烈な台風と大雨・洪水、猛暑が頻発し、土地の乾燥化が進む。気温2℃上昇で住民2億8000万人の住居が水没するともいう。人類生存の危機ではないか。

もし希望があるとすれば、温室効果ガス排出量が唯一マイナスの国・ブータンに学ぶことだろう。ブータン王国では国土が72%の森林に覆われ、人の手が入らない多様性溢れる生態系が実現されており、酸素供給も十二分にあるらしい。国の基本理念は国民総幸福量であり、国民総生産ではないのが奇特だ。自然と調和する中で人の幸福度を高めていく姿勢は仏教の理念、少欲知足の生き方そのものではないのか。進歩発展の名の元に、飽くなき欲望の追求をはかる生き方から今、まさに転換する時が来ているのではないだろうか…。

2020年1月号

愚か者~バカもん・アホ~が居れなくなった今の日本!?

山田監督「男はつらいよ50 お帰り寅さん」製作への想い

フウテンの寅さんこと、車寅次郎(渥美清)が22年ぶりにスクリーンに帰ってきた。1969年の第1作から数えて50作目、丸50年となる人気シリーズの完結編的な記念作品「男はつらいよ50お帰り寅さん」の上映である。23年前に亡くなられた渥美清さんも、かつての役を演じる俳優さんらに交じって登場し、存在感を示されているという。「今、なぜ〈寅さん〉なのか?」――米寿を迎えられた山田洋次監督がテレビのインタビューなどで答えられていた内容は、おおよそ次のようなものになるだろう。

「私自身が寅さんに逢いたくなったんですね」「今は、真面(まっとう)に生きなければ許されない、寛容さに欠ける時代になってしまいましたね。戦争を知る世代の私らからすると、生きることは善いとか悪いとかではない。酷い環境の中でも懸命に生きてきたわけですから。善人だけ、強者だけが生きているのではないです」「元来、日本の社会は、真っ当な道から少々外れた者でも受け入れてきた。寅さんは愚か者でバカもんかもしれないけれども、いつでも帰れる所があった。でも今は、寅のような人間が居れる場所はないのではないかな」……。

「そんな今だからこそ、(寅さんが生きていける世の中になってほしい)」と山田監督は願われたのだろう。

改めて、映画を振り返ってみると、主人公の寅さんは、社会の常識とか人の平衡感覚というものを気にせず(気づかず?)、いわゆる“普通”の人とはちょっとズレていて、いつも問題を起こしてしまう。それで旅に出ては、そこで出逢ったマドンナと不思議に仲良くなり、上機嫌で柴又に帰ってくる。しかし、そこでもマドンナとの間にちょっとした心のズレがあることがわかって、また旅に再出発する。それの繰り返しだった。つまり、帰る場所としての柴又には、妹のさくらとその家族がいて、店にも叔父さん叔母さんがいて、気の置けない仲間たちがいてくれる。旅に出ても、伸び伸びと過ごせる空間があったのだ。

人それぞれ、みんな違った固有の人生である。どれが価値があり、どれが不合格なのか、そんな計らいは無用に願いたいと私も正直、思う。画一的、階層的な人生観を打ち破って、笑い飛ばそう。“寅さん”にはそんなメッセージがこめられているのではないだろうか。

2019年12月号

奥出雲の豊かな水と土壌による恵み、そして人の温もりと

《お念仏に育まれ生きぬき浄土往生した法友の背景画》

去る2月に癌を生きぬいて浄土の住人となられた我が法友・本多昭人師の島根県のご自坊に11月初め、伺う機会を得た。報恩講の講師を依頼されていたためだが、前日に島根入りし、宿泊は初めての地・奥出雲に決めていた。

前日の午後5時過ぎ、木次線の宍道駅を出たローカルなワンマン列車は、夕暮れ時ののどかな里山風景を楽しませてくれた。興味を惹いたのは、農家の庭先や田畑の畔で野焼きが行われていることだった。白い煙が山に沿ってほのぼのと立ち上り、ほのかなにおいが車窓を通してしみ込んでくる。都会では見られない光景で、私の脳裏に晩秋の風物詩としてしっかりと焼きついた。

木次駅での待ち時間を利用して駅前に出る。周辺マップで日帰り温泉施設を見つけ、疲れを癒そうと行ってみることにした。ところが、いくら歩いても到着しない。マップと実際とで距離感が違っていたのだ。困ったので地元の男性に訊ねると、車で送ってあげると言う。私にすれば余り遠ければ、今度は駅まで帰る時間がかかりすぎる。そんなためらいを察してか、結局、男性は私を温泉施設まで送り、私が温泉から出る頃にまた迎えに来て駅まで送ってくださったのだった。その親切心に感謝感激。そこまでしてくださる心の温かさに頭が下がった。その上、その男性は本多師の葬儀に行っていたことがわかり、私の弔辞も覚えてくださっていた。奇遇も奇遇というしかない。

終着駅の出雲横田に着いたのは午後8時前。大社風の駅舎は、ひっそりと静まり返っていた。ここ出雲横田は、神話に出てくる奇稲田姫(クシナダヒメ)の出生地として知られる。大蛇ヤマタノオロチに食べられるところを、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が退治し、夫婦になる話は有名だ。近くを流れる斐伊川は氾濫を繰り返し、人命を奪っていた。それがヤマタノオロチということだろう。

翌朝、宿のお女将さんから「仁多米」という超ブランド米(地元限定品)をいただいた。奥出雲の清らかな水と豊かな土壌に育まれて出来上がった極上米である。奇稲田姫の奇は「すぐれた」という意味だ。豊かな環境に包まれた稲田で育まれた優れたお米。そのお米を炊いたご飯をいただく人びとの心も豊かになることだろう。

当日、本多師のお寺に向かう列車から眺めた景色は、窓が額縁となって日本の原風景を描いた絵画のようだった。お念仏に育てられ、お念仏に生き、お念仏で浄土に生まれられた本多氏の背景画がここにあった。

2019年11月号

宮中三殿ご拝礼の意味と「国民に寄り添う」お気持ちと…

《令和の幕開けを告げる即位礼で示された天皇陛下のお心》

令和時代の幕開けを内外に宣言する新天皇の即位礼が東京の皇居で行われた。高御座に立たれお言葉を述べられたわけだが、陛下のみならず出席者一同、身動き一つされない姿勢に、並々ならぬ緊張感と厳粛さが伝わってきた。そんな雰囲気で述べられたお言葉で印象に残ったのは、「国民に寄り添いながら…」という文言だった。そのお言葉を聞いて、避難所で膝をついて被災者に語りかけておられるシーンが頭に浮かんできた。上皇陛下のお心と姿勢を踏襲されたのだ。

午前中に行われた宮中三殿への拝礼も粛々と進んだ。三殿とは、皇祖・天照大神の分身とされる八咫鏡が置かれた賢所、天皇家のご先祖が祀られている皇霊殿、八百万の神々が祀られている神殿の三殿だ。

純白の衣装に身を包まれ、縁廊をゆるりゆるりと歩まれるお姿がテレビで映し出された。ふとテンポの速い現代人にどう映っただろうかと思った。言葉は乱暴だが、辛気くさいと思わなかっただろうかと案じたのだ。

実は、我われの法事でのお勤めも似たようなことがいえる。一緒にお勤めしていただく場合は心配ないが、お勤めの間、じっと座ったまま、お経の意味もわからず、ただ聞いているだけでは退屈で、苦痛ではないかと思うことがある。

幸い、今回の即位礼は好印象だったようだが、それでは、宮中三殿で陛下は何をされていたのか? 形は、即位を内外に宣言することをご報告されたということだが、そこに天照大神と膝をつき合わせて心を通わされたという中身があったはずだ。同じくご先祖の天皇方や、八百万の神々とも向き合われたに違いない。心を通い合わせるということは、いのちのつながりを噛み締めることでもある。皇霊殿では縦のいのちのつながりを、神殿では横のいのちのつながりを、賢所ではいのちの根源とつながっていることを心で受け取られたということではないか。

お仏壇でのお勤めも同じことだ。亡き人や先祖は縦のいのち、八百万の神は横のいのち、仏さまでいえば無量寿と無量光である。そしていのちの根源は阿弥陀仏となろうか。今回の即位礼で、陛下はそうした量りなきいのちのつながりを噛み締める大切さを、私たち国民一人一人に示されたのではないだろうか。

2019年10月号

「バラバラでいっしょ」の世界をラグビーで実感

《スポーツを通じてわかった個人とチーム(団体)の関係》

ラグビーのワールドカップが日本で開催され、私を含め、あまり関心のなかった人たちもテレビ等で観る機会が増えて、注目度が上がっている。特に、日本が優勝候補のアイルランドを破った試合は感動的だった。ラクビーの魅力に初めて触れた思いだ。

頑強な男たちがぶつかり合う迫力、素早く行動する俊敏さ、それらの個人的能力に加え、人と人が阿吽の呼吸でボールを生かしていく連携プレーぶり、つまり個人とチームの連携がほどよく調和された時に、このスポーツの魅力は如何なく発揮されるのだろう。もっとも、これは他のスポーツでも言えることだが…。

それはさておき、ラグビーの日本チームのメンバーを見ていて、実にさまざまな男たちがいるものだと改めて思った。昔は日本人といえば、容姿・顔立ちですぐにわかった。しかし、今は、肌の色や、顔の造りや背格好も、それぞれが異なる人たちが集まって日本のメンバーとして活躍している。民族的な文化や習慣などの背景が違う人たちが、一つのチーム(社会)のメンバーとなり、そこでお互いの心を一つに合わせて大きな力を発揮し、チームと自分自身を輝かせたということだ。

20年ほど前の蓮如上人500回遠忌法要の際に、東本願寺(真宗大谷派)が社会へのメッセージで「バラバラでいっしょ」という標語を使われた(今も使われているだろうが…)。個々人は、誰一人として同じ人はいない。それがバラバラの存在ということだろう。しかし、違う人だけれども、それぞれが皆、共通性を持っている。具体的には皆、地球といういのちの惑星に生まれ、その恩恵に生かされ、そしてその大地なり大気に還っていく、同じ仲間だということが言える。また、誰もが例外なく、独り生まれ、独り死し、独り(この世界から)去り、独り(この世界に)来る、という共通項を持っている。人と人の心が通じ合えば喜びが満ちてくるし、誰からも相手にされないと寂しく落ち込み、生きる希望までなくしてしまう。そうした共通項を抱えながら今、ここに存在しているのだ。

その共通項がラグビーや日本という限定的なものを超えて、すべてのいのちを包み込む無量無限の仏さまだったなら、なお良いなと心から思う。

2019年9月号

京アニのスタジオ近くにお地蔵様が……

《犠牲者偲ぶ献花台が撤去されたけれど》

京阪電鉄の中書島駅で宇治線に乗り換え、六地蔵駅に着いたのは、7月16日午後4時頃であった。「六地蔵」の名の由来になったお地蔵さま(六地蔵尊・重要文化財)がご安置されている大善寺下の写真を訪れるためであった。

その2日後、六地蔵駅から大善寺に向かう途中の京都アニメーション第1スタジオで、凄惨な事件が起こった。70人の従業員が仕事する建物に、男は大量のガソリンを撒いて火をつけ、一気に燃え広がる炎と煙で35人が亡くなり、34人が負傷。無傷で脱出できたのが1人だけという、残酷きわまりない犯行だった。

罪の意識なく突然に、地獄のような苦しみを受けた犠牲者の無念さが想われ、翌日から、多くの人びとが同情と支援と感謝の心を捧げに現場を訪れた。翌々日の20日には線路沿いに献花台が設けられた。全国各地から、またオーストラリアや台湾など海外からも花束や供養の品を携えて訪れる弔問者の様子が、テレビなどで報道された。

手を合わせて真摯に思いを捧げるその姿に、心が動かされる。「なんでこんなことになるの。死ななければならないの!」と涙ながらに悔しさ腹立たしさをぶつける人がいた。「学校が嫌になって、生きる希望を見失いかけていた時に、京アニの作品に出合って、自分を取り戻すことができた。今の自分があるのは京アニのおかげ」と、感謝する学生もいた。また「友だちができずに悩んでいた時に作品に出合い、登場人物の言葉で救われた。友だちは作らなくていい、できるものだからと。今、作品の中の友だちと楽しんでいる」(いずれも要旨)等々。

さまざまな人が、それぞれの思いを抱いて訪れていたその献花台が、先日26日で撤去された。それについても、こんな言葉をかける女性がいた。--「献花台がなくなるのは寂しい。小さなお地蔵さんでもいいから、手を合わせる場所がほしいですね……」と。

おっと、何をおっしゃいますか!1200年前からあるじゃないですか。京都の入口であるこの伏見の地に。地獄、餓鬼、畜生界で苦悩する人びとの真っただ中で、慈愛たっぷりに救い上げようとされているお地蔵さまが。ほれ、すぐそばの大善寺で心をかけてくださっていますよ!

 

2019年8月号

仏さまと過ごした子どもたちはいきいきとしていた!

《「お寺で小僧さん体験」に参加してくれた25人》

例年行っていた7月のキャンプは、予定を変更して、「お寺で小僧さん体験」とさせてもらったのだが、「果たして参加してくれる子はいるかな?」と当初、不安だった。しかし、いざ募集を始めるとすぐに反応があり、数日間は申込みや予約が相次いだ。結局、子ども25人、大人を含めると30人以上の参加となった。

お寺は嫌がられていない。むしろ子どもたちは興味を持ち、楽しいところだと思っている。それがわかっただけで喜びを感じた。実際、1泊2日の日程だったが、終始いきいきとしてくれていた。元気な声でお勤めしている姿は頼もしく気持ちがいいものだ。

お念珠の持ち方や礼拝の仕方、お焼香もしてもらった。計4回の「お勤め」のほか、和太鼓体験、宝探し、ミニ仏壇作り、夕食作りに食事、鐘撞き、アニメ仏典物語の鑑賞、銭湯、本堂での宿泊、掃除、生き物探し、お絵描き等。どれをとっても積極的で、いかにも楽しそうだった。

私が何より嬉しかったのは、仏さまといのちのお話ができ、それをうなずくように聞いてくれたことだった。

特に「生き物探し」と「お絵描き」では、クマゼミ、アゲハチョウ、ハエ、ダンゴ虫などを虫かごに採って観察し、描いてもらったのだが、皆ていねいに、上手に描くのには感心 感心! だから余計に通じたのだろう。いのちは人だけが大切なのではなくて、どんな小さな生き物も、自分のいのちは大切だと思っていること。危険だと思うと、必死に逃げようとするからね、と。ダンゴ虫を描いていた子はきっと同感してくれたに違いない。

いのちは無限につながっている。お母さんのいのち、遠い先祖のいのちへと。また御飯のいのち、魚のいのちも、木々のいのちも、それぞれが目に見えないところでつながっているということ。そのどこまでもつながるいのちの真心が仏さまとなっていらっしゃるのだと…。

突然だが、念仏詩人・榎本栄一の詩(『百年』)をご紹介しよう。

「百年たてば 自分の子や孫もなくなり 泥まみれの私の生涯を 知る人もなくなるだろう 然しそこに 草が繁り 虫が生きていたら 私はうれしいな」

お寺での体験が子どもたちの心に温もりを与えたならばうれしい!

2019年7月号

自国のために個々人を犠牲にする考え方は本末転倒!

G20大阪の開催で知らされた国家と国民の関係

G20がこんな大層なものだったとは、思ってもいなかった。確かに、会議の始まる数日前から警察官の姿がやたらと目立っていたが、前日に至って、お寺周辺の、特に空港入口付近の道路がパトカーや警察官で隙間なく埋め尽くされた光景に接して、ようやくただならぬ事態であることを痛感した。そして鐘を撞く時刻の午後7時頃には、大型ヘリが2機、お寺の真上で爆音を響かせながら旋回し続け、おかげで鐘の音が消されるほどだった。この時、トランプ米大統領が大阪空港に到着し、大阪市内へ移動するところだったようだ。

大阪空港は騒音問題などで発着が制限され、国内便しか飛んでいない。なので外国の首脳らは、関空から大阪入りすると思っていた。だがトランプさんはそういう日本の事情はお構いなし。自国第一というか、自分の意のままということなのだろう。数日前にも大統領専用リムジンが発着制限時間の午後9時を超えて運ばれてきていた。

ともあれ、警察官ら多くの公務員が大量動員され、我々庶民の側は移動の制限や監視の元、仕事や学校を休むなど、その恩恵よりも、支障を感じた人の方が多かったのではないか。

というものの、やはり多くの国の首脳が集まって話し合うことは意義あることであり、実りあることを願うばかりだ。しかし、その実りの恩恵は国家のためにではなく、個々人としての人類のためにであってほしい、と私は思う。

つい最近、国が地上迎撃ミサイルを秋田県に設置しようとしたところ、自衛隊の調査がずさんだったため、県知事が承認しない旨の発言をしたことに対して「(国に協力しないのは)非国民だ」と知事を非難する声が多く寄せられたとの報道があった。何という心得違いの言葉だろうか。一人一人のいのちの尊厳のために、国という組織は何をなすべきか、が大切であって、自国のために、個々人を犠牲する思考は本末転倒である。さらにいえば、個々人は自らのいのちの尊厳も大切にしなければならない。それが民主主義の国であり、主権在民の精神だろう。

如来さまの本願の救いが「十方衆生」すなわち「私」に注がれていることの真意とその有り難さを今一度、味わいたい。日本は和の国でありたい。

2019年6月号

社会から除け者にされても仏はけっして見捨てない!

また起こってしまった児童を狙った大量殺傷事件

痛ましい事件がまた起こった。3人が死亡、17人が重軽傷を負った川崎殺傷事件である。犠牲者とそのご家族、また負傷された方々に哀悼の意を表したい。

今、その犯行の動機や背景がいろいろと報じられ、明らかになりつつあるが、現情報によると、両親は離婚し、伯父母に引き取られて同居していたらしい。しかし、お互いに意思疎通はほとんどなく、「引きこもり」状態だったという。つまり社会とのつながりが希薄だったわけだが、その中で、犯行は計画的で、襲う対象を弱者の子どもたち、それも近くのエリート校の児童に決めていたらしい。

それで思い出すのは、2001年の付属池田小殺傷事件だ。この時の犯人は、すでに死刑が執行されたが、動機の一因として、「(社会から邪魔者扱いされた)自分の苦悩を、できるだけ多くの者たちにも味合わせてやりたい。名門の小学校の方が社会の反響が大きいやろ」と考えたという。

今回の事件も池田小の事件同様、犯人が社会から厄介者扱いされ、あるいは迷惑がられ、あるいは無視されて、人との心の絆を結べない状態に陥っていた可能性が高いと言ってよいのではないだろうか。

そして、そういう心境にある人たち、すなわち、生きる希望を見出せず、社会の営みから除外されたかたちになった人、あるいはそう思っても不思議ではない人を、現に、今の社会はどんどん増やしていっているように思えてならない。

今回の事件ついて、次のような論評(一部)がネットに載っていた。――「近所に危ない奴がいる、異常な雰囲気の奴がいる、そんな奴がいたら、近所の大人たちが常に警戒しておくか、警察に届けて…。偏見を持って近所で噂しあい、警戒しておくことが必要だろう」というものだった。

警戒のあまり、心の「門」を閉ざし、ガードを固くすればするほど、その境目が明確となり、疎外感を産み出していく。選ばれし者と余計者と、そういう範疇や意識を作ってはならない、というのが仏の教えだ。

阿弥陀仏の本願は「一切善悪凡夫人」が救いの目当てだ。「誰一人として除け者にはしない」という仏の大悲心が我がいのちに、わが人生に注がれていることを、すべての人たちに知っていただき、味わってもらいたいものだ。

2019年5月号

令和に聖徳太子の「和を以て尊し」の仏教精神が

《新元号を良き安らぎの社会へと転向していく機縁に》

新年号「令和」の時代が始まった。一か月前、官房長官から発表された時、私は「令」の字の音にも、文字そのものにも、違和感を覚えた。「れい」という響きが冷たい感じだし、読み方も、典拠となった『万葉集』と同じ時代の政治制度「律制」の「りょう」が、まず頭に浮かんだ。「りょうわ」ではないかと…。また「令和」の印象も、上からの「命令」で「平和」を強いるみたいで、乱暴な言い方をすれば「黙って言うことを聞いて、おとなしくしておけ」みたいで、馴染めそうになかった。だが、マスコミで報道されるのは「いい年号だ」と褒める声ばかり。私はよほど捻くれているのかと、自問自答することしきりだった。

そんな折、発案者とされた万葉学者の中西進氏が、テレビで、令和への想いを語られているのを聞き、味わいが一変した。中西氏は「和」という言葉から、聖徳太子の『憲法十七条』の「和(やわら)かなるをもって貴(とうと)しとなし…」(第一条)が想い浮かんできますと、語られたからだった。

聖徳太子と言えば、宗祖・親鸞聖人が「和国の教主」と仰がれたように、日本仏教の先導者であり、仏教精神により日本国を平和裡にまとめられた卓越した政治指導者でもあった。

太子が掲げられた政治理念が『憲法十七条』だが、そこには大きな柱として仏教が据えられている。まず第一条で「和」の尊重を述べられているが、和は「打ち解けてお互いに和み合うこと」で、「和合僧」からきている。第二条には「篤く三宝を敬ふ。三宝は仏・法・僧なり」とある。つまり打ち解け和むには、心の基盤に仏法がなければならないということだ。敬うべきものが見当たらない社会は殺伐感が募る。また敬う対象を見誤るとトンデモナイ暴走が起こる。それは過去の歴史を見ても明らかだ。

そして、第十条には「我必ずしも聖に非ず、彼必ずしも愚に非ず、共にこれ凡夫のみ…」とある。自らを賢者(善)とし、相手を愚者(悪)として貶すのではなく、お互いに間違いをしでかす愚か者同士だと弁え、人びとの言うことをよく聞くことが大事というわけだ。この賢愚の見方は親鸞聖人の悪人観に受け継がれ、如来の絶対救済のみ教えにつながっていく。

ともあれ、自らを善とし、相手を悪として、怒りや対立を深める傾向にあるこの時代、仏教の和の精神で良き社会へと転換してほしいものだ。

2019年4月号

平成時代を象徴する漢字一文字は「災」

元号の名に込めた願いと ままならぬ世の現実 に思う

平成最後の月を迎えた。30年を振り返る企画がいろいろと試みられているが、ある生命保険会社のアンケート調査では、「平成」を表す漢字一文字を尋ねたところ、もっとも多かったのが「災」だったという。得票率21.0%で、2位の「変」7.1%の3倍近く上回ったという。

阪神淡路大震災や東日本大震災などの大きな自然災害が印象に残るが、人災面でも、地下鉄サリン事件をはじめ無差別殺傷事件や、子ども、高齢者、障碍者ら社会的弱者を狙った虐待、いじめ、誘拐、詐欺などの民衆レベルでの災難が相次ぎ、現在進行形でもある。

「変」もあまり良いイメージではないだろう。確かに科学技術の進歩による恩恵はあるものの、便利になったが故の悩みも生まれた。ラインというインターネット通信を使うと、一々返答しなければ仲間外れにされたり、いじめに遭ってしまう恐れがあるという。自分を発揮するはずのものが、他者から縛られる道具へ変身してしまうのだ。

IT革命は、人間生活の隅々にまで変化をもたらし、人間の営みのあらゆる分野において記号化、数量化して捉える傾向になってきた。組織においてもそうだ。形や枠だけを見て、その形の中身や、形と形をつなげる肝心の心が置き去りにされかねない変わりようだ。

上位10文字までの内、4位の「平」と9位の「和」以外は、どれも苦難のイメージを連想する漢字だった。因みに、それらを挙げると「乱」「激」「難」「苦」「震」「動」である。二文字続けると、「激変」「激動」「変動」「動乱」「激震」「苦難」…。どれも心は落ち着かない。

「昭和」もそうだったが、元号には、人びとの「平穏で心安らぐ生活」への希望が込められている。しかし、現実は、人間が持つ煩悩(欲と怒りと愚かさ〈自己中心的ものの見方〉等)の発揮により、さまざまな不都合が生じてくる。ままならない世の中を、自分の煩悩(心)を転じることなく、思うようにしようとすればするほど、混乱と苦悩は深まっていくことだろう。結局は、人間、心の依るべき所がどこなのか、大いなる真心に到る道を見極めることが何より大事だと思う。それが私たちにはお念仏である。

自省の念を抱きながら、単なる数字の西暦年ではなく、やはり元号にその思いと願いを込めたいものだ。

2019年3月号

末期ガンの5年間、仏のいのちを生き抜いたわが法友

《『御堂さん』「癌を生きる」の筆者・本多昭人師が往く》

津村別院が発行する『御堂さん』に「癌を生きる」というタイトルで、丸4年間、生と死の狭間で生きる心中を飾ることなく、また乱れることなく綴ってくださった本多昭人師が、2月11日、亡くなられた。

本多師とは、私が本願寺新報社に勤めはじめた昭和53年から40年以上、お付合いいただいているもっとも信頼し合う法友であり、先輩でもあった。たびたび彼の下宿に行っては仕事のこと、私生活のこと、仏教の将来のことなど語り合ったものだった。島根県大東町(現・雲南市)のご自坊に帰られてからも、幾度か訪ねたことがある。行くといつも一見ニヒルとも感じられる静かな笑いで歓迎してくれた。本当は、こぼれんばかりの温かさを持っておられるのだが、はにかみ屋さんなのか、表情はおとなしかったようだ。

それはさておき、本多師がステージ4の末期ガンだと私が知ったのは、診断のあったほぼ1年後、平成26年3月に送られてきた自著『燈炬』を読んだ時のことだった。そこには、癌の深刻さを告げられた本多師が病院を出た時のことが書かれていて「見慣れているはずの光景が、まるで違って見えた」と心情を吐露されていた。これに私はある種の衝撃を受けた。その前年、私も大腸癌の手術をしたところだったこともあったのだろう。他人事とは思えなかったのだ。

そこで私は、編集委員をしている『御堂さん』に連載してほしいと、島根まで頼みに行った。快く引き受けてくださって平成27年4月号から平成31年3月号まで、見事に欠けることなく、完結してくださったのだ。連載中、反響は全国から寄せられた。ご自坊まで訪ねて来られ、御礼を申される方もおられたという。読者は毎号毎号、自分のことのように心配し、安堵し、その生き様に感動されたのだった。

亡くなる4日前、電話でお話していた。本にする話が纏まったことを伝えると、苦しい息遣いの中で「有り難いことです」とおっしゃってくださった。

最終の3月号に本多師は「死ぬ気がせんのです。私はお浄土に往き生まれるのです」ときっぱり言い切っておられた。また棺の中の本多師は半眼ですべてを見通しているようなお顔だった。

今はお浄土に居を移して、私をいつも見守って下さっているように思う。

2019年2月号

時空を超えて今に届くいのちの歌を聞こう!

《北條不可思さん、4月に来寺し縁絆コンサート開催》

歌うお坊主さん、こと北條不可思さんが18年ぶりに正福寺に来て、コンサートを開いてくださることになった。9年前に病に倒れられ、重篤状態からは持ち直されたものの、今も、後遺症に苦しみながら“いのち”の讃歌を発信し続けられている念仏者だ。

北條さんの活動拠点である神奈川県の蓮向寺が、相模原布教所として首都圏開教を始めてから40年となり、記念冊子が上梓されて私にも送って下さった。

そこには、昭和54年、私が取材で訪れた際に撮影した写真が載っていて、自転車に乗って、チラシを他家のポストに投函される不可思さんの父・了介ご住職(当時)のお姿が写っていた。

写真を見ると、改めて開教の難しさと、その目的に向かって揺るぎなく挑み続ける了介さんの信念が感じ取れて、今でも心が動かされる。なにしろ、隣近所に誰一人として知人はおらず、浄土真宗にご縁の薄い住民方ばかりの中で、他所から来た怪しげな格好の人物が繰り返し、郵便受けに意味不明?の法語や、集いの日時を手書きした紙切れを入れて回るのだから、不審感や苦情が絶えなかったのも無理はない。抗議の電話はかかるし、不可思さんの言葉を借りると「罵倒され、拒絶され、時には小石も飛んできた」という。

しかし、了介さんは投函を止めなかった。「それでも父は伝えたかったのです。…聞法の道場が生まれたことを。どんな所業にあっても、本願他力につき動かされ、腹の底から沸き起こる仏恩報謝のチラシ配りでした」と不可思さん。

了介さんの言葉から―「愚かなものです。またしても如来さまに背を向けて一人のたうっております 勿体ないことです 必ず必ず如来さまのおまことが 呼びもどして下さるんです ご恩の光りの中に なまんだ仏 なまんだ仏 …」

不可思さんには重い障害を持つ一人息子の慈音さんがいる。不可思さんが病に倒れ、絶望の淵に立たされた奥様(慈恩さんの母)に対して、慈音さんが了介さんの言葉を文字盤で伝え、励ましてくれたという。―「心眼を開いたら一人じゃない」と。不可思さんは述懐する。「祖父が孫に伝えてくれた言葉がたった一つの揺るぎない確かな光明だった」と。時空を超えて今に届く真実信心のいのちの歌(言葉)を、ぜひ皆様と一緒に聞きたいものだ。コンサートは4月13日(土)午後2時から正福寺・ナムのひろば文化会館で催される予定。

2019年1月号

苦悩する者に寄り添い、痛みに共感された天皇陛下

《日本国民統合の象徴として平成の世を歩まれる》

平成最後のご誕生日に記者会見された天皇陛下が、自らの人生を、涙声となりながらも、切々と語られるそのご様子に感動した。特に、日本の平和と繁栄が、先の大戦で亡くなられた多くの犠牲の上に成し遂げられたことを述べられた時には、思わずもらい泣きしそうだった。きっと、天皇陛下の命で戦場の露と消えていった兵士や、爆撃で犠牲となった市民の泣き叫ぶ姿を目に浮かべられたからに違いない。ご自身も疎開先から焼け野原となった東京に戻ってこられた時には、戦争の悲惨さを肌で感じられたことだろう。

沖縄を11回も訪問され、激戦地のサイパンやパラオに慰霊の旅を決行されたのも、戦没者の思いを聞き、現地の人びとの苦難の人生にお心を寄せるためでもあったろう。

日本国憲法に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と記されている。会見では「象徴としての天皇の望ましい在り方を求めながら務め」てきたと語られた。象徴の「象」は「かたち」であり、動詞の「象る(かたどる)」は、「形のないものをなにかの形にうつしかえる」(『広辞苑』)である。「徴」は、「しるし」「あらわれる」とある。また象徴は英語の「シンボル」の訳語である。意味は「バラバラに投げられたもの(bole)を合わせて一つにする(sin-)」ことらしい。つまり、国民一人一人は個性ある別々の存在であるが、その一人一人に共通する目に見えない尊厳(人格)を漏らさず統合し、形ある一人の人間となったのが「象徴」としての天皇ということだろうか。しかも、それは国民の上に位置する支配者ではない。国民と同質で対等な存在なのだ。

天皇陛下は、民間から皇太子妃(ご成婚当時)となられた美智子皇后に労いのお言葉もかけられた。その時も涙がこぼれそうになられていた。私の思いだが、従来の上から目線ではなく、国民と同じ目線で、人びとに接することができたのも皇后のおかげだろう。

被災された方や障害ある方、苦悩多く、困難な生活を強いられた人びとの元に率先して訪れ、膝を折り曲げて語られてきたわけだ。そのお姿がまさに国民に寄り添い、心の痛みに共感する象徴天皇の姿なのかもしれない。しかし私には、それがどうしても仏の慈悲心と重なり合って見えてくるのだ。人間天皇であられると同時に、そのご行為は、仏さまのお心がはたらいていると思えて仕方ないのだった。

2018年12月号

ゴーン氏を捨てた日産と、ゲノム編集ベビーの誕生

《神仏なき人間の尽きることがない欲望の先には…》

11月後半に入って、時代を象徴する大きなニュースが二つ報じられた。一つは、日産自動車が検察当局と協力して、窮地に陥った日産を蘇らせた功労者のカルロス・ゴーン氏を、有価証券虚偽記載容疑で逮捕、解任した出来事。今一つは、中国の研究者が、受精卵のゲノム(遺伝情報)を編集し、子どもを誕生させたらしいというニュースだ。

ゴーン氏の逮捕劇は、日本では法律を犯して大金を得しめた強欲な男という印象を与えたが、問題はそう単純ではなさそうだ。日産対ルノーの利権争い、もっと言えば、日本とフランスの経済的主導権争いという側面もあるようなのだ。すなわち、ゴーン氏に主導権を握られていた日産の幹部が、日本人主導による日本の会社を目指してゴーン氏の排除に成功したのに対し、フランスのルノー社は、自国政府と協力し、フランスの国益のために日産を取り込み、国際競争に勝ち抜こうと、ゴーン氏の手腕に委ねた。その司令塔を失うことになったということだろう。ここから見えてくるのは、勝ち抜くためには手段を選ばず、会社を助けた「恩人」でも、邪魔になれば消すといった自己中心の煩悩が、巨大組織、いや国家レベルまでも、露骨に発揮されるということだろう。

ある評論家がいった言葉が印象的だった。「ビジネスというのは、いかにより多くの利益を上げ、より多くの報酬を稼ぐか、です。ゴーン氏はそれをやったまでです」―。今、世界中が、そのビジネス社会の真っただ中にあるのだ。

人間の際限なき欲望は、先進医療にも及んでいる。今回、中国人研究者が行ったゲノム編集は、エイズウィルスに感染した男性の精子を体外で注入した受精卵をエイズウィルスに感染しにくいように遺伝子改変して母体に戻し、双子の女児を誕生させたという。この結果がどうなるかは未知の領域ということで、科学者の暴挙と言われるゆえんだが、一昔前、疑問視されていた試験管ベビーが今ではごく普通に行われることを思えば、ついに、親の好みに合わせて子どもを作る「デザイナーベビー」への道が開かれることになる。

人間の尽きることのない身勝手な欲望の先は、破滅しかないことを、普遍なる神、仏のみ心に触れて、いい加減、気づいてほしいものだ。

2018年11月号

みほとけに抱かれたいのちのバトンタッチを体感!

《本願寺前執行長とのお別れと、わが初孫の誕生と…》

イノベーションという聞きなれない横文字を掲げて、20年前、宗門の表舞台に出られ、その改革に尽力されてきた本願寺の前執行長・本多隆朗師が10月21日、75年の生涯を閉じられた。

個人的にも、40年来のお付合いをいただいた人生の大先輩だった。私がまだ本願寺新報の記者をしていた頃、ワイドショー番組のプロデューサーだった本多さんをテレビ局にお訪ねしたところ、待ってましたとばかり、紙面の企画を提案され、今話題の女優を紹介する「ハッスル女優」なるコーナーが実現することになった。浄土真宗の教えや宗門内の動きが紙面の大半を占めていた当時の新報では、異質のコーナーだっただけに違和感や反発もあったが、それは今に続く本多さんのイノベーション(変革)の始動を告げる企画だったように思う。その後も「御堂さん」や、本山で活躍されることになるが、実は亡くなられる4日前にお会いし、人生最期の言葉を聞くことができた。「もうお浄土にいるような安らぎを感じている。出会いの一つ一つが身に沁みて、感謝の気持ちでいっぱいや」――。

衰弱され、寝てばかりの状態から、あえて私に向き合い語ってくださったことに感謝感激だったが、同時に、仏さまに身も心もゆだねておられる本多さんの信の世界に触れたようで、有り難かった。葬儀の日、お別れに際し、棺中のご遺体の額に触れてみた。とても冷たかった。しかし、その思い出は私の心に、いつでも温かく蘇ってくることだろう。

近しい人との別れがあれば、「はじめまして」の出会いもある。わが息子に待望の第1子が誕生したのは、翌10月22日の午後だった。5日後の27日、東京の病院まで出かけて初対面させてもらった。

体重2,560gの小さな男の子だ。ベビーベッドに寝かされた乳児は、まだ眼が見えないらしい。しかし、声に反応し、手足、特に指をしきりに動かしている。何を思っているのだろうか。これからこの世界でさまざまな出来事に出会い、体験していくことだろう。恐る恐る抱っこしてみた。小さいけれど、ずっしりと重い。それはいのちの重みでもある。わが孫の体温が頭を支える掌から伝わり、とても温かかった。いのちのバトンタッチを体感した1週間だった。

2018年10月号

人間のサバイバル力を取り戻す必要があるのでは!?

―長時間停電で思い知った“物”に支配された生活―

久しぶりに、生命の危険を感じるほどの暴風雨に見舞われた。9月4日の台風21号だ。私自身は、昭和36年の第二室戸台風以来の怖い経験だった。ヒューという唸り声とともに物凄い風圧が建物全体にかかり、屋内に入る私も力が入った。何かが飛ぶ音も聞こえる。そんなことが繰り返し起こったのだ。

結果、離れ家の屋根に取り付けられていたテレビアンテナが飛ばされ、道路沿いの電線に引っ掛かったのをはじめ、屋根瓦が数十枚めくれて落下、一部はマイカーに当たり、ボンネットに穴が空いてしまった。ベランダの波板もほとんどが剥がされ散乱していた。さらに、本堂地下の物置部屋の底から水が染み出て、多くの備品が水浸しになっていた。

そんな被害の中で、一番つらかったのは2日間にわたる停電だった。台風が最接近した午後2時半頃、テレビ画面が何回か途切れた後、完全に切れてしまった。電池式のラジオを持ち出して聴いたが、全く場違いの音楽やおしゃべりが続くだけで、今ほしい台風情報は得られない。

冷蔵庫は使えず、風呂も沸かせない。電話は通じないし、携帯電話の充電もできないから、1日経つと切れてしまう。そこで、電池を求めてコンビニに行くが、すでに売切れている。やがて日が暮れると、内も外も暗闇に包まれるのである。トイレに行くにも、食事を採るにも、いちいち灯りが必要なのだ。

今さらながら、私たちの生活がいかに電気に依存しているかがわかった。電気だけではない。水も食料も、衣服や住居も、交通や情報手段も、考えてみれば皆、自分の手の届かないところから供給されている。それらが止まったら生きていけない生活を、私たちはしていることがわかった。

かつてお寺で子どもサバイバルキャンプというのを毎夏、行っていた。そこに転がっている石を皆で集めて釜戸を作り、枯れ木の枝葉で火をおこし、岩の間から流れ出る水を使って料理をして食べた。自分たちの周りにある自然の恵みを活かして生きる知恵を、子どもたちの身につけてもらう行事だった。

災害続く昨今、人間の手が届かないところの“物”に支配される生活の覚束なさを知ると同時に、一人一人が自分の知恵をはたらかせて逞しく生きていくサバイバル力を取り戻す必要があるだろう。台風24号では…?(住)

2018年9月号

沖縄の大地から染み出るいのちの叫びが聞こえてきますか!?

《保守系政治家だった故・翁長知事が反戦反基地を貫いた心とは》

翁長沖縄県知事が8月8日、膵がんで亡くなられた。「反戦反基地反辺野古移設」を掲げ、真正面から政府と渡り合ったその姿勢と行動に感動を覚えたのは私だけだろうか。

辺野古の埋め立てにストップをかけるために手を尽くして抵抗し、亡くなった直後に開催された「移設反対の県民大会」にも、病床から抜け出て参加する予定だったという。日本政府だけでなく、ワシントンへ飛んでは米国政府や議会に基地の矛盾と沖縄県民の思いを伝えようと奔走した。だがその間も癌は進み、がっちりした体格だった翁長氏の頬はこけ、体は痩せ細り、動きも弱々しい状態になっていった。それでも言葉は淀むことがなかった。どこまでも“沖縄のあるべき姿”の実現に向かって歩み続けられた。「平和と自然豊かな美ら島の暮らし」である。

翁長氏は元々、保守系政治家だった。米軍基地やその移設等についても、協力することで沖縄の経済振興が図れると思っていたようだ。ところが、革新系の元沖縄県知事だった太田昌秀氏に出会って、太田氏の沖縄への深い思いに心動かされ、政治家としての使命に目覚める。そこには保守も革新もなかった。ただあるのは沖縄の人びとの心と暮らしだった。

そして沖縄の大地に帰られた数限りない多くのいのちだった。そのいのちの叫びと願いの声に耳を傾けた時、またその声が聞こえてきた時に、人は揺るぎない信念をもって突き動かされる。翁長氏もきっとそうだったに違いない。日本を守るためとか、中国の脅威に対するためとか、そういう次元の話ではない。沖縄は日本の領土であるとか、中国のものになるかもしれないとか、そんなことよりも、戦争によって多くのいのちが木っ端みじんに抹殺されたことがどれだけ深刻で悲しむべきことか、だ。

たまたま本願寺の『宗報』7月号に目を通していると、水俣病を描いた『苦海浄土』の作者、故・石牟礼道子氏の話が載っていた。「海が人々を生かし、いのちを生かしてきた。そういった関係が人間の欲望によって破壊され、多くの被害が生じたことを、彼女は見てきたわけです」。そこで論者の小原克博氏は海を含めた「大地」に言及されていた。その「大地性」が忘れ去られている現代人の心に、再び、その重要性を思らせてくださった翁長前沖縄県知事だった。

2018年8月号

もうすぐお盆、あらゆるいのちの重みを考えたい!!

《本堂の天井裏にアライグマが棲みついていた!》

6月の大阪北部地震に続いて、7月には西日本豪雨で各地に甚大な被害がもたらされた。相次ぐ天変地異に人間が翻弄されている感が強いのだが、そんな中、身近なところで、思ってもみなかった事実が判明した。本堂の天井裏にアライグマが棲んでいることがわかったのだ。

きっかけは、2,3日降り続いた豪雨の後、入口に近い外陣正面の天井から水のような液体が零れ落ち、床に広がっていたことだった。その時は、雨漏りではないかと思ったが、翌日になると、雨が降っていないにもかかわらず、同じところの床が濡れており、別の2カ所にも「水溜まり」ができており、これは何某かの動物の尿ではないかと疑った次第だ。

それではと、天井板を外し屋根裏を覗くと、隅の桁木の上でモゾモゾしているアライグマの姿が懐中電灯に照らされ浮かび上がったのだ。見た目は確かにつぶらな瞳で可愛いといえば言えるかもしれない。でも、ここに居ついてもらっては困る!―そんな思いから、市役所に相談に行くと、捕獲用の檻を貸してくれた。苦労して天井裏に設置し、エサを撒いて誘導しているのだが、二週間経った今も、檻に入ってくれてはいない。

考えてみると、以前から庫裏の天井裏で足音がしていた。それとは別に、境内で飼っていた金魚が大量に消えたことがあった。最近も、生き残っていた大きな金魚が襲われ、2匹が息絶え、後の2匹が口の部分を食いちぎられた。容疑者としてネコやカラス、アオサギが上がったのだが、今にして思えば、アライグマなら合点が行く。

本堂の屋根を調べると、堂内に入れるわずかな隙間を発見、設えてある金網がめくれていた。ここから出入りしているのに違いない。屋根の間の樋には排便の後もあった。長く棲みついていることがこのことからも推測できた。

彼(?)も一生懸命に生きているのだと思うと、ある種の情が湧いてきて「檻に入ってくれ」と「入らなくていいよ」という気持ちが複雑に交差する。

もうすぐお盆である。ご先祖をはじめ、あらゆるいのちのかけがえのなさを、尊敬の念を持って味わう伝統行事だ。オーム真理教の死刑囚13名のいのちが国家によって抹殺されたことも合わせて、いのちの重みを考えてみたい。

2018年7月号

大自然の営みの圏外に人間はけっして身をおけない!?

〈ある朝、突然起こった震度6弱の大阪北部地震に思う〉

先月18日の朝、M6.1の地震が大阪北部を襲った。高槻市、茨木市、箕面市、大阪市北区などで震度6弱を観測。大阪の震度6弱は観測史上初ということらしい。

しかし、私自身の体感や、わが寺と周囲の被害状況を比較すると、23年前の阪神淡路大震災の方が数段、強かったように思う。

とは言え、その時間、私はちょうど本堂から境内に降りて、水撒きの準備をしていたところだったが、突然、フューという音を伴った強風が吹いたかと思うと、ダカダカと揺れ始め、立っていてもバランスが取れないほどだった。ヤバイと思い、ナムのひろばの方へ走って逃げた。「本堂や鐘楼堂が倒れたら身が危い」――そんな咄嗟の判断だ。建物から離れて振り返ると、大きな本堂が左右に揺れている。「倒れるかもしれない。倒れたらどうしよう。えらいことになる…」――そんな危惧が脳裏をかすめる。幸いすぐに揺れは治まった。だが、心臓はドキドキしている。すると鐘楼堂の鐘が突然鳴り出した。ともに揺れていた鐘と撞き棒が鉢合わせしてぶつかったのだ。坊守が庫裏から飛び出し、声をかける。お互いの無事を確認、ひとまず安堵したのだった。

落ち着いてから見回ってみると、本堂の白壁に一筋亀裂が入り、瓦の幾枚かが壊れたり欠け落ちたりしていた。寺務所の書類棚は豪快に倒れ散乱している。後日わかったことには、庭の石灯籠が二基とも転倒していた。その他は言うほどのダメージではなかった。被害は微少と言ってもよいだろう。

それにしても、「天災は忘れた頃にやってくる」とはよく言ったものだ。少なくとも「今日この瞬間に大地震が起きる」などと、微塵も思っていなかった。今でこそ、再び大きな余震(本震)が起こるかもしれないと警戒し、いつでも持ち出せるようにと必需品をリュックに詰め置いているが、この緊張感がいつまでも続くとは思えない。続けると心が持たないからだ。人間は鈍感になることによって、生きていけるとも言える。

その上で、覚悟として「いつ何時、大きな災害がわが身に被ることになっても何の不思議でもない」と心得ておくべきだろう。大自然の営みの圏外に人間は身をおくことはできないのだ。

2018年6月号

日大アメフト部の過激タックルで露見したいじめの構図

集団で個人を追い詰め、逃げ場を失わせる恐ろしさ

アメリカンフットボールの試合で、日大の選手が関学の選手に猛烈な反則アタックをして、ケガをさせたことの顛末が連日、大きく報道されている。日大の監督とコーチが通常では考えられないほど、酷い行為を選手に指示していたことが次第に明らかとなり、それをあくまで隠そうとする監督や日大に対して激しい非難が続いている。

その一方で、ケガをさせた加害選手は個人で記者会見を開き、過激行為に至った経緯とその心情を包み隠さず語ったことから、被害選手も含めて、人びとに好感を持って受け取られているのが実情だ。

そもそも、こうしたハレンチな行為を起こさせた元をたどれば、たぶん監督の当該選手に抱いたちょっとした印象からだったのではないか。練習やこれまでの試合を見て、彼には素質はあるが、人が良すぎておとなしい。だから攻撃に迫力が生まれないのだろう。こんな調子では、せっかく日本一を勝ち取ったのに、また関学に取り返されてしまう――。もし、そんな風に思ったとしたら、初めはそれとなく攻撃力が足りないことを指摘、示唆したのではないか。それで効果がないとわかると、徐々にか、あるいは一気にか、是が非でも思い知らせねばならないと、言動がエスカレートしていったのではないか。増してや、監督は絶大な権力を持ってチームを統率してきた人だったようだ。コーチも異議を唱えられず、歯向かう人などいない。そんな監督とコーチに、選手は従うよりほかに道はなかった。他の選手にも見せしめ的に、試合に出させず、日本代表をも辞退させ、そして今回、常識を逸脱した暴挙を指示するまでになってしまった――。あくまで推測だが、そんなことが考えられる。

監督の心の真ん中にあったのは、己れのチームが勝つことであり、個々人の人間的な心の成長を育むことではなかった。自分の思い通りに人を動かすことであり、個々人の個性を伸ばすことではなかった。己れの立場が強いほど、人をコマのように動かせて、おまけに集団で標的の個人を追い詰めることもできるのだ。

追い詰められた個人はその世界で孤立し、行き場を失ってしまう。

いじめの構図が、今回の事例で見えてきたようだ。これはけっして日大だけの話ではない。

2018年5月号

“善人”でなければ生きていけない日本社会の閉塞感

《一方で“悪人”金正恩委員長が韓国民を感動させる》

日本はギスギスした社会になっている、と最近の出来事を見てつくづく思う。

財務省の事務次官が、セクハラで女性記者の心を傷つけたとして辞任に追い込まれたこととか、人気グループの一人が、女子高生にワイセツ行為をしたとして書類送検されたこととか、少し前のレスリングのパワハラ騒動や相撲界での暴力事件やその後の諸々の出来事についても、マスコミを含めた第三者が“加害者”を追い込んでいくさまは異常で、まるで鋭利な刃物のように思えたのだ。

その言い分は、“加害者”の犯した過ちや悪質性を明らかにすることによって、それらの行為を抑止する、ということなのだろうが、現実として「悪」のレッテルが貼られ、組織から排除され、栄光の人生からどん底人生に突き落とされてしまう。つまり、その世界で生きることが許されなくなるのだ。

だから、体裁を大事にする人、自分独自の考えを表明できない人、また持たない人が増えてくる。そこに淀み、閉塞感が生まれてくる。

上に挙げた出来事にしても、問題の根はもっと深い。人間の本質論や、出来事の奥に隠れている真相を明らかにすることの方が、実は大事なことのように思う。またあえて言えば、“加害者”と“被害者”の心の隔たりをどう埋めるか、その融合と信頼回復の作業こそが、本人とともに社会にも求められているのではないか。

今、社会の仕組みが変わりつつあると思っている。組織の下に個人がある見方から、個々人の思考や独自性が組織を動かしていく見方へ。そういう発想転換の時期にきていると思う。

それはさておき、人を“善人”“悪人”と色分けすることが大事なのではなくて、私の中に“善”と“悪”が合わせ存在しているのであり、もっと言えば、条件が重なれば“悪だらけ”になる存在だと知ることが肝要だろう。それを、親鸞聖人は「罪悪深重の凡夫、火宅無常の世界はよろずのこと、皆もって空ごと戯ごと、まことあることなきに…」と自身とこの世のありさまを喝破された。

折しも、朝鮮半島の南北首脳会談が板門店で行われた。友好ムードの中、日本では“悪”の権化みたいに扱われた金正恩氏の言葉に、感動で涙する韓国民衆の顔が映し出された。我われは今、ともに生きるかけがえのない人間なのだ。

2018年4月号

年を取れば取るほどほんものに出遇いたくなる

人の世の虚しさ、はかなさを思い知らされた「証人喚問」

人が何気なく思ったり、行動していることをよくよく考えてみると、二つに分類されるようだ。一つは、取るに足らない、どっちでもよいこと。もう一つは、かけがえがなく、貴重に思えてくることだ。前者はテレビを観るとか、何某かのこだわりや趣味、人付き合いとそれに伴う悩みとか…。仕事も含めて、毎日繰り返している大半のことが該当する。ところが、それらの中でキラリと光る何かを感じ取った時、その一つ一つが後者の分類に瞬間移動する。

たとえば、ご門徒さんの話だが、介護施設におられるお祖母ちゃんを、ある日、お孫さん夫婦が幼い曾孫を抱いて訪ねられたそうだ。すると、ご門徒さんが言うには「私らがいつ行っても、施設のお年寄りたちは誰一人としてあいさつも返されず、知らん顔されているのに、赤ちゃんが行くと、途端に誰もがにこやかに微笑み、手まで振って喜ばれたそうですよ」と。つまり、“ほんもの”の赤ちゃんを目の前にして、お年寄りたちは瑞々しいいのちを感じ取り、そのかけがえのなさに目覚められたのだろう。生き生きとしたお年寄りたちの表情が目に浮かぶ。

そんな話を聞いた数日後、テレビで「証人喚問」が放映された。長々と前置きの説明があり、いよいよ注目の証言が聞けると思った。しかし、その数分後、思わずテレビのスイッチを切ってしまった。言葉は悪いが「あほらし!」という気持ちだった。エリート中のエリートといわれる財務官僚で出世街道を歩んでいた人物が、事の重大さもわきまえず、論理的にも体をなしておらない言葉を恥ずかしげもなく発したのだ。“ほんもの”に出遇えない人間の愚かさ、哀れさ、世のはかなさのようなものまで感じられて、虚しく切なかった。

若い頃詠んだ、念仏詩人・榎本栄一さんの詩を思い出した。

「この仏像の眼は 何十年しか生きない 人間の愚かさ 愛しさを まばたきもせずに 見てござる」(『眼』)

「残りのいのちが すくないので よみたい本だけよみます 耳がわるいので きこえる話だけききます おゆるしください」(『おゆるし』)

年を取るとキラリと光る“ほんもの”にひとしお出遇いたくなるものだ。

2018年3月号

平昌オリンピックで知ったこと

人と人との心がつながった時、感動が生まれる

北朝鮮との友好ムードで始まった韓国の平昌オリンピックだったが、政治的なことはさておき、オリンピック自体に興味が湧き、日本選手の活躍もあって、数々の感動を味わうことができた。

特に印象的なシーンを挙げてみると、

①ジャンプの高梨沙羅選手が銅メダルを取った時に、年上でライバルでもあった伊藤有希選手が駆け寄り、沙羅選手に「よかったねぇ!」と声をかけて強く抱きしめたシーン――。伊藤選手は実力がありながら、沙羅選手の陰に隠れがちな存在だった。この日も9位という不本意な成績だったにも関わらず、沙羅選手のメダルを自分のことのように喜び、また讃えたのだ。沙羅選手が前のオリンピックで悔しい思いをし、その後も重圧と戦い続けてきたことを、誰よりも身近に感じていたのが伊藤選手だったのだろう。心が通い合うことの素晴らしさを知らされた。

②スピードスケート500メートルで、小平奈緒選手が金メダルを取った時のシーン――。1000メートルで銀だった小平選手が念願の金を取り、喜びに浸り切ってもおかしくないところだったが、小平選手の目は、銀となって涙を流している韓国の李相花選手に注がれ、近づいてそっと肩を抱き寄せ、労りの言葉をかけたのだった。過去二度のオリンピックで金メダルを取り、韓国民の期待を背負っていた相花選手の無念さは親友の小平選手にも伝わったのだろう。二人のウィニングランはもっとも感動的なシーンとして世界中に伝えられた。

③フィギュアの羽生結弦選手が金メダルの演技を終えた時、ケガをした右足に手をやったシーン――。「よく耐えて頑張ってくれたね。ありがとう!」と、そんな思いだったのだろう。心は人と人をつなげるだけでなく、人と動物、人とモノ、また人のパーツ(部位)にも伝わるものだ。垣根なく心は伝わるものだ。

ところで、これも気になった―極寒の中、開会式を裸で行進したトンガの選手。クロスカントリーに出て119人中114位だったそうだ。出場したのは貧しい子どもたちに希望を与えるためだとか。その笑顔はきっと世界の子どもたちに通じたことだろう。因みに競技の時は服を着ていたという。

2018年2月号

極寒期にいのちの不思議さと多様性を知る

氷の下の金魚に、水飲む小鳥たちに、ピンクの蕾の梅花…

文字通り“大寒”の日々が続いている。毎朝、山門を開けるために本堂を下りるのだが、このところ、向拝横の天水桶にはいつも分厚い氷が張っている。27日の朝には、氷に加えて雪が積もっていて、境内全体がまっ白に染まっていた。確かに体は寒さで震えそうだが、心は逆に清々しくて気持ちいい。

7年前にも凍てつく池の金魚の話をしたのだが、極寒となった今年の冬もやはり、金魚が気になった。今は庫裏の西側の犬走に水槽を置いていて、生き残った4匹の金魚を育てている。4匹といっても、尾っぽまで入れると25㎝はあろうかという大物を筆頭に、一番小さな赤い金魚でも10㎝はある。つまり、皆んな大きくて、よく食べるのである。私が近づくと、水面に顔を出して、パクパク口を開けてエサの催促をする。それが日課になっていた。

ところが、その水槽も凍ってしまって、エサがあげられない。氷の下の金魚たちもジーッとしているので、恐らくエサは必要ないのかもしれない。そうは思うものの、冷たい水の中でエサももらえず、ただじっと耐えるしかない金魚の気持ちを考えると、何かしてあげたくなる。そこで、水槽の氷を割って取り出し、水中の金魚たち目掛けて、エサを勢いよく投げ入れたのだった。はたして金魚たちの反応は……。依然として動きは鈍いまま。エサは必要ないのかもしれないし、動きたくても動けないのかもしれない。ここは金魚たちにお任せするしかないだろう。

金魚の水槽がある前栽の庭には手水鉢があって、絶えず少量の水が流れ込んでいる。陽が高くなり、手水鉢の氷が解け始めると、連日、たくさんの鳥たちがやってくる。ヒヨドリにスズメ、その他、名前の知らない数種の小鳥たちが、替わる替わるやってきては、解けた水をおいしそうに飲んでいくのである。言葉は聞こえないが、鳥たちはお互いに「ここに水があるぞ!」と知らせ合っているに違いない。

そうかと思えば鐘楼前の梅が、蕾をピンク色に膨らませているのに気づいた。寒い中で、さまざまないのちが躍動し、その不思議さと多様性を発揮しているのを知った。

 

2018年1月号

確かなるもの〈仏の大悲心〉に抱かれて歩もう!

邪見・驕慢の悪衆生、人間のお粗末さが見えてきた

本年で最後の年号となる平成30年を迎えた。昨年は、政治家の暴言や不適切言動が世間を騒がせたが、経済界でも自動車や鉄鋼の大手メーカーが、不正な検査や不良商品の販売を行っていたことが発覚、メイド・イン・ジャパンの信用を損ねた。新幹線の重大トラブルやメディアの偏向も気になる。

日本は法治国家といわれるが、その法の網に綻びが生じてきているようだ。もとより法の規制だけで人間の心をコントロールできるはずもない。だが、それが可能であると錯覚し、「善良な」人びとのみを社会構成員とみなして作られた組織や制度に、ただ胡坐をかいていただけだったのではないか。

組織の上から人間を俯瞰しても、人の心は見えない。しかし実際には欲望、不満、怒り、嫉み、驕慢など醜い心が内在している。表面上、法律・規則を順守する「善良な人」であっても、縁があれば、先の煩悩が頭をもたげて「不善なる者」に変身させる。人間はいのちの尊厳とともに、そうしたドロドロとした煩悩を合わせ持っている存在なのだ。その煩悩が今、制度や組織の隙間からドンドンとこぼれ出ているのだ。

さらにいえば、個々の人間関係が破綻する事例も数多い。親が子どもを殺め、子が老いた親を殺める。先生と生徒、先輩と後輩、友人、恋人でもそうなのだろう。大相撲界でもそうだった。暴行事件の背後に、後輩を思う心と、先輩や集団を気遣う心があって、その間で心が揺れ動いたのではないか。それが最悪の形となって表れた。「勝つことがすべて」という論理が罷り通っていたとすれば悲しい。心を翻弄させた遠縁になったともいえよう。

要は、人間の「お粗末さ」が露呈した一年だったということだ。まさに「邪見驕慢悪衆生」である。そんな私たちができることは何か-?善人ぶるのではなく、自己放棄するのでもない。ただこれに依って生き、これに依って死ねる確かな依り所を持って歩むことだ。その依り所が「仏の大悲心」という真心だ。親鸞聖人の和讃に「弥陀・観音・大勢至 大雁の船に乗じてぞ 生死の海に浮かみつつ 有情を呼ばうて 乗せたまふ」がある。「み仏の呼び声」が念仏となって私を包んでくださる。それを念頭に、今年を歩もう!

2017年12月号

その土地土地の自然と暮らしを大切にしませんか!?

《天皇陛下の離島ご訪問で思う地方再生のあり方》

「地方の時代(をめざそう)」――と叫ばれて久しい。しかし、現実にはそれとは真逆で、大都市、特に東京一極集中がますます進んで、歯止めが効かなくなっている。

一応、政府は、地方創生担当大臣を置いて地方重視の姿勢を見せているが、どうも基本的な発想が、都会の論理をそのまま地方に移しただけのようで、自然豊かな土地に近代的な施設を建てたり、都会と同じような科学・教育・文化機関等を誘致して、自然と共生してきた住民の生活を結果的に壊しているように思えてならない。国家戦略特区と銘打ち建設されている愛媛県今治市のあの加計学園・獣医学部の巨大な学舎は、その象徴的存在だろう。

私自身、最近訪れたいくつかの地方都市のターミナル駅がどれも皆、同じに見えたのも、残念なことだった。新潟、仙台、青森、札幌、旭川、鹿児島中央、金沢……。駅構内の施設も駅前風景も皆、似たり寄ったりで、つまり同じ発想から生まれているのだ。それは利便性、機能性、安全性(セキュリティー)、デザイン性などだろうが、そこからは、その土地の匂いが伝わってこない。人間味が伝わってこない。地元の商店街が廃れ、駅ビルの大規模店舗に人が集まる仕組みができてしまった。それらの地方都市に降り立っても、東京や大阪と雰囲気として少しも変わらない。つまり、その土地に来たという実感が沸かないのだ。

そんな中で、11月中旬、天皇皇后両陛下が(東京から)遠く離れた奄美群島の離島を訪問された。一昨年、大噴火で避難した口永良部島の島民にねぎらいのお言葉をかけられ、今の暮らしぶりについても尋ねられたようだ。また与論島では、伝統の舞踊を鑑賞され、沖永良部島では、地場産業である黒砂糖作りをご覧になられた。過疎の暮らしを営む島民たちの感激と喜びが目に見えるようだ。

遠隔地や島々への旅が「天皇の象徴的行為として大切なもの」と感じておられる陛下の思いは、その土地土地の自然なり、暮らしを大切する生活であってほしいということでもあろう。それを行動で表されたのではないか。

「発展」の名の元に価値観を均一化、同質化していくことへの危惧と、さまざまないのちの個性と持ち味を尊重していくことの大切さを、改めて思い知らされた陛下の離島ご訪問だった。

2017年11月号

超大型台風で呼び覚まされた大自然への畏敬の念

《人間の力に対する過信と驕りへの警鐘とともに…》

何十年ぶりと言っていいだろう、風の威力に身の竦む思いがしたのは―。日本列島を襲った超大型の台風21号のことである。お寺にほど近い大阪空港の観測地点では、23日午前1時過ぎに最大風速23.7m/s、最大瞬間風速36.5m/sを計測し、40年前に観測を始めてから過去最大の値を記録した。横殴りの激しい風雨に道路標識や電線が大きく揺れ、夜空をヒューヒューと鳴り渡る風音に不気味さを感じたが、幸い、お寺では大した被害にはならなかった。もっとも、被害に遭われ方、犠牲になられた方にはお見舞いとお悔やみを申し上げねばならない。が、全国的に見ても、甚大な被害にまでは至らなかったようだ。防災意識と対策が進んだからだろうか。

振り返ってみると、私が子どもの頃は毎年、大きな台風が来ていたように思う。中でも、昭和34年の伊勢湾台風と同36年の第二室戸台風は恐ろしかった。我が家がメリメリと音を立てて揺れ、屋根が吹っ飛ぶのではないかと心配するほどの強烈な風だった。上陸する前から、玄関から続く一番安全な部屋に、家族全員が集まり、布団を被りながらローソクの灯を頼りに、ひたすら台風が過ぎ去るのを待った。自然の巨大な力を目の当たりにして、人間は慎ましく振る舞うしかなかったのだ。

とは言え、台風は我われに心的苦痛や物的損害だけを与えるものではなかった。私の場合、休校になった喜び(解放感)?もさることながら、家族が一つ部屋に長時間、一緒に過ごせたことが何よりもうれしかった。今でも、その時の家族の連帯感というか、温もりが蘇ってくる。

さらに、人間の力や人間の目線を遥かに超える自然の大いなる営みに、間近に接する機会を得たと言えよう。その威力と厳粛さは、一種の感動を伴って畏敬の念を呼び覚ますものだった。

今、防災設備や技術も含めて、人間の力の成果は日進月歩している。しかし一方で、人間の能力への過信から、驕りの心が頭をもたげているように思えてならない。だが、どう頑張っても、威勢を張っても、大自然の摂理や営みに人間が太刀打ちできないことを知るべきだろう。人間が自然を超えたと思ったその時、人間そのものの消滅が待っている。

2017年10月号

イソップ童話「北風と太陽」から学びたいこと

《力で抑えるのではなく、相手の恐れる心や不安を取り除く心がけを!》

子どもの頃、読み聞かされたイソップ童話「北風と太陽」が蘇ってきた。核・ミサイル開発を強引に推し進める北朝鮮に対し、敵意を募らせて、緊張を高めているアメリカと日本のことを思ってのことだ。
このまま対立を深めて「力には力を」の論理を押し通せば、やがては「武力には武力を」となっていくのではないかと危惧される。過去の歴史を見てもそうだろう。恐れが脅しとなり、不安が暴力を生む。その元となる「恐れ」「不安」を相手の心から取り除かなければ、根本問題は解決しない。
北朝鮮を旅人に例えるのは少々無理があるかもしれないが、その旅人にどう向き合うかという点に絞って冒頭の童話を見ると、北風が旅人の上着を脱がそうとして、冷たい風をいくら吹き突けても、旅人は頑なに上着を纏い続け、逆に、太陽が温かい光で旅人を照らすと、旅人はみずから上着を脱いでくれたという話だ。つまり、力を使って相手を承服させようとすると失敗し、力ではなく、誠意で相手を包めば、自ずと心を開いて、同調してくれる、ということだ。子ども心に、私は「なるほど」と感心したものだった。今もその印象は変わらない。力で押さえつけるのではなく、力を入れずに、真心で接触し続けて相手を安心させることだ。
この28日、国会が解散され、総選挙へと動き出した。安倍首相は、この解散を「国難突破解散」と名付けたそうだ。何を指して“国難”というのかは知らないが、もし北朝鮮の脅威に対してなら、国民の敵愾心を高め、武力への備えに向かわしめる効果を狙っていると勘繰りを入れたくなる。
しかし、もし国民生活が“心豊かな暮らし”から遠ざかりつつあるという危機感を表現したものであれば、今後の社会福祉の充実に期待したい。
お釈迦さまの晩年、滞在しておられた大国・マガダ国の王が、小さな隣国・ヴァッジ族の国を攻め落とそうと企んだ。その時、お釈迦さまは「ヴァッジ族の皆が話し合いで物事を決め、法を尊び、他所から来た修行者も敬い、お年寄りや女性を大切にして、心穏やかに暮らしている。そうしている限り、国は滅びることはないだろう」と告げられた。それを聞いたマガダ国の王は、征服を諦めたと伝えられている。今、世界に望まれている心だと思う。

2017年9月号

人は「生きている時がすべて!」なのか?

《無量のいのちに願われている私だとしたら…》

漫画家で人気タレントの年配男性が、日頃会うことの少ない息子さんと一緒に旅する番組がテレビで放映されていて、たまたま観ていたのだが、旅の終わりに、父親のタレントが息子に語った言葉が気になった。-「(親である)僕のことは忘れて、自分の家族だけを見て生きていけばいい。(やがて)死んでいく者に思いをかけても、死んだら何もかもなくなるから、放っておけばいい。生きている時がすべてなんだから…!」と。これは、息子に「(自分のことで)煩わさせたくない」という気持ちを表したものとも思われるが、それならば、遠慮せずに、正直な本音を言えばいいし、それよりも、生きていることにしか価値を見出せない人生観に、寂しさと危うさを感じた。

確かに、最近は「(息子や嫁に)迷惑はかけたくない…」という声をよく聞く。「子に遠慮する」というのと、特に老後の介護については「自分が惨めになる」という理由を上げる人もいるかもしれない。

しかし、誰もが経験しなければならない人生の「生・老・病・死」をもっとも近い肉親を通して、目の当たりにし、関わることによって、自分の問題にすることができるというものだ。「嫌だから、鬱陶しいから、関わりたくない」と思っても、「明日は我が身」である。こうした希薄な人間関係は親子だけでなく、人間関係全般に見られるようになってきている。亡き人の御恩を思い、亡くなってもなお、消えることのない心の絆を確かめる「葬儀」の意義や厳粛さも感じず、亡き人や先祖の願いを聞き続けて自己の人生の糧とする縁作りの「仏壇」や「お墓」、そこで営まれる「仏事」も疎かにされる傾向にある。それで、いのちの不思議さ、かけがえのなさ、尊さ、そして有り難さを、自分自身の心に刻み付けることがはたしてできるのだろうか。

阿弥陀如来は、すべてのいのちが生死を超えてどこまでもつながり合い、生かし合い、支え合い続けていることを、光明と念仏となって、一人一人に知らせ、大悲の心で目覚めさせようとはたらいてくださっている。

その量りなきいのちのまこと心に願われ、照らされている人生だと知れば、きっと生死を超えて、多くのいのちの御恩を喜び、麗しく生きることができる身になることだろう。

2017年8月号

奥深い心の苦悩は、仏の真実に触れて安堵へと変わる

《最後の叔父の逝去で移りゆく“いのち”の営みを思う》

先日、私にとって五人いた叔父の中で、最後まで残っていた母方の叔父が、この世を去った。満88歳だった。寂しさは募るが、私も66歳になっていることを思うと、現実を受け入れるしかない。それどころか自然の摂理というか、移りゆく“いのち”の営みを目の当たりにしているようで、心の引き締まる思いがする。

と同時に、これまで繰り返し、教え諭されてきた「浄土往生」の死生観の確かさを、私自身、改めて味わうご縁ともなった。

叔父が亡くなる1週間前、新しく移った病院へお見舞いに行った。数ヵ月ぶりのお見舞いだったが、その時は、まだ元気そうで、約1時間、いろいろとお話することができた。病状や治療の話、日常の過ごし方の話のほか、政治や社会、経済の話までが話題となった。一通り話した後、私は持参した御厨子型ご本尊を取り出し、病室に置いてもらえたら有り難いと、遠慮がちに言うと、叔父はすぐに反応し「毎日、手を合わせて、阿弥陀さん、よろしゅう頼みますと拝んでいたんやで。これは有り難い!」と、心から喜んでくれたのだった。「阿弥陀さまがおられることで、安心と温もりを感じる日々を送ってほしい」-そんな私の願いが届いたようで、うれしかった。

日ごろ、話すことのない、内面の奥深いところにある心、肝心カナメのところが、実は、苦悩し、つねに揺らいでいるのが私たち人間だ。表面的な対処法では太刀打ちできない。根源的、本質的な真理、真実に触れることによって、私たちは初めて苦悩が安堵に変わり、迷いに希望の光がさしてくる。そして孤独から、つながりと共感へと変わることになる。

そんな言葉を実際に述べたわけではないが、阿弥陀さまの話題を通して、叔父と私は、お互いの内なるこうした心を確かめ合うことができたと思っている。最後には、手と手を固く握りしめて何度も上下に振りながら、言葉にはならない思いを交わし合った。気が付くと私の眼からは涙が流れ出ていた。

葬儀後の収骨の際、叔父が晩年、悩まされ続けた胆嚢がんの痕はかけらも見当たらなかった。ただ白骨のみがそこにあった。叔父の心は、すでにお浄土で私の母や祖母に会っているに違いないと思った。(住)

2017年7月号

海老蔵夫人・麻央さん、人びとに感動与えて“往く”

《現代の「天人女房」のごとく「只人には非ず」ならば…》

歌舞伎役者・市川海老蔵夫人の麻央さんが亡くなられた。

結婚して7年、幼い二人の子どもと愛する夫を残して、34歳の若さで「往って」しまわれた。麻央さんは、進行性の乳ガンと知ってからも、現実から目を逸らさず、自分の思いをインターネットのブログで語り続けて、同じ病気で苦しむ人たちはもちろん、多くの人びとに勇気と感動を与えてこられた。悲劇的状況の中で、最期まで明るさと健気さを貫かれた人生は、現代のヒロインであったといえよう。

翌日行われた海老蔵さんの記者会見を聴いて、私は、麻央さんが「天人女房」に思えてきた。天女が地上に降りてきて水浴びをしている間に、近くにいた男が羽衣を盗んで、天女の自由を奪い、自分の妻にして、子どもを儲ける話だ。やがて、妻は羽衣を見つけて、天に帰っていくのだが、概して、先立たれた妻を持つ世の男は、少なからず思い当たる節があろう。

つまり、あらゆる可能性を秘め、希望に満ち満ちた若い娘を、男は自分の妻にすることによって自由を奪い、自分だけに愛情を注がせ、縛り付けてしまうのだ。その妻の愛がひたむきであればあるほど、男は、身に染みて懺悔と深謝の念を抱くのではないだろうか。妻の死は、単に天女となって帰っていくだけではなく、堪えようのない辛さを、男にもたらすことになる。

海老蔵さんの会見はそれを如実に表していた。一つは、麻央さんが最後に「愛してる」といって息を引きとったことを、胸の奥深くで受け止めるかのように語ったことだ。暴行事件を起こした時もずっと寄り添っていたことを、海老蔵さんは思ったかもしれない。それが「(麻央は)私を変えてくれた人」という言葉になったのではないか。さらに、「人ではない。何か…、すごい人だなぁ―」とも語った。海老蔵さんにとって、自分を一人前にさせるために天から舞い降り、そして帰っていった「只人ではない」存在だったのだろう。

奇しくも、7月7日は七夕である。天女であった織姫を妻にした牽牛が、年に一度、天に戻った織姫に会いに行ける日である。麻央さんが「只人には非ず」だとすれば、天国ではなく、お浄土の菩薩さまだったとも言える。そうなれば、これからも何時だって会えることだろう。

2017年6月号

苦を超えていく人生の歌声が、心を震わす

小脳梗塞発症後も音楽制作続ける北條不可思さん

お寺にご縁のある人なら、「北條不可思」という名を覚えておられる方も多いことだろう。もう20年近く前になるが、我が寺の報恩講や大阪市内のホールなどで何度か「縁絆コンサート」なる催しを行って、心に沁みる歌を聴かせてくださった「歌うお坊さん!」だ。

仏の大悲心を浴びて、照らし出された己れの姿と心を、詞と曲に乗せて発信し続けていた最中の7年前、突然、小脳・脳幹梗塞で倒れ、生死の境をさまよわれた。幸い、命を取り留めた不可思さんは自宅に戻り、療養を続ける傍ら、ギターを持って、再び音楽制作活動を始められる。月に一度のレコーディングを繰り返され、このたびCD「Documentation Series Vol.1」(5枚セット)を完成された。

その間にも、脳性マヒの一人息子さんが心肺停止に陥り、在宅医療となって奥様が24時間看取り続けられているうちに、今度はその奥様が静脈血栓・肺塞栓や重度の貧血、子宮筋腫になるなど、危機的な状況が相次いで起こった。後遺症で何もしてあげられない不可思さんにすれば、そんな無力な自分を責め続けられたに違いない。否応なく襲う人生の試練?に遇われながらも、不可思さんは「今できることは、歌うこと」「本願念仏に遇えた不思議なご縁に生かされている――恵まれた命を精一杯に生き抜くこと」と、ぶれない“佛地”に自分自身の心根を置いて曲を作り続け、歌い続けられているのだ。

その渾身の歌を少しでも多くの皆様に聴いてもらいたいと思う。私の心を打った数多くの曲の中から、一曲、その詞をご紹介しよう。曲名は「風が葉を揺らす」(シリーズNo.5「聴聞」より=   https://www.youtube.com/watch?v=f1VTvknklvY )

♪風が葉を揺らす 姿見えねど

命が揺れている 確かに揺れている

Ah-Ah- 夢物語

切なく哀しい無常の物語

雨は降り続く 乳飲み子は泣きやまず

それでも風は 葉を揺らす

すべてを超えて

風が葉を揺らす 姿見えねど

風が葉を揺らす 命が揺れている※

どこかで鐘が鳴る 姿見えねど

命を呼び覚ます 産声をあげている

Ah-Ah- 夢物語

切なく哀しい無常の物語

雨は降り続く 乳飲み子は泣きやまず

それでも風は 葉を揺らす

すべてを超えて

風が葉を揺らす 姿見えねど

風が葉を揺らす 命が揺れている♪

聴いているうちに目はじっと我が心の奥を見つめ、その心は震えていた。

2017年5月号

自己本位を押し通すと他者の心が見えない!?

〈{高速道路催眠現象」で思うこと〉

大型連休に入る直前に、テレビで「ガッテン!交通事故から家族を守りたいSP」という番組が放映された(NHK)。連休には、人びとが一斉に出かけて混雑と混乱が生じるわけだが、交通事故も毎年一万件ほど発生しているらしく、特に高速道路では近年、逆走やブレーキとアクセルの踏み間違い、接触事故、追突事故が多発している。それも高齢者だけでなく、どの年齢層でも起きているというのだ。

最近の研究でその原因がわかってきて、我々人間の目と脳の仕組みにあるという。結論をいうと、一点だけを見つめていると、周辺部の認識が疎かになり、そこにある物を映像では捉えているものの、脳では(その危険度の)判断ができない状態になってしまうという。「高速道路催眠現象」というのだが、ともあれ、目に入る視界全体を満遍なく捉えてこそ、異常な(あるいは関心を向けるべき)動きに瞬時に反応することができるというのだ。剣道の達人が相手のどんな動きに対してもすばやく反応するのも、将棋や囲碁の名人が相手を唸らせる妙手を直観的に打つことができるのも、局面全体を見通しているからこそといわれる。

考えてみれば、今の日本には、「スマホ歩き」をはじめとして、自分がしていること以外に関心を向けない傾向にある。自分の周りにいる人びとがどう感じ、どう行動しているかに目を向けず、ただ自分の関心事の一点だけに目を奪われて、周辺で何が起こっているか、その重要度や、自分との関わり具合を認識し、適時に判断する能力が欠けてきているように思えてしかたがない。

これは日本社会全体の深刻な問題だろうと思う。一つのことにこだわり、「これが正しい」と自己本位な執着心を押し通すと、取り返しがつかないほどの大きな犠牲が生じることにもなる。一人一人の国民の意識の問題だけでなく、国家という組織でも同じことがいえるのだと思う。

すなわち、一つの存在なり、その行為に対して、敵とみなし、憎悪を増大させ、力によって排除していく方法は、いわば「一点しか見えない」現象だ。昭和天皇や今上天皇が、切に願われ、また願っておられる「平和国家」の在り方を、人類や地球規模で見通せるか、それが今、国民一人一人に問われている。

 

2017年4月号

正福寺に「春が来た!」

大自然の息吹を感じることの大事さ思う

毎朝、山門を開けに本堂から境内に降りるのだが、この時期になると、境内の様子が日に日に変化するので、楽しみになる。

枯木のようだったモミジの枝々に赤い芽が付き、やがてどんどんと膨らみ始める。カリンの木は、すでに若草色の青葉を広げ、空に向かって延び続けている。つい10日前までは、姿かたちもなかった土筆が、ここ数日で一気に頭をもたげ、あちこちに群生している。特に北側の溝沿いはラッシュアワー並みの混雑ぶりだ。鐘楼堂の下では、早い時期から梅の花が咲き、次いで、赤いボケの花が満開を迎え、もう散り始めている。

意外だったのは、ナムの会館の東南隅に置いてあった10数個の小さなポリポットの菜ノ花たちだ。なんと容器を突き破って地面まで根を伸ばして成長し、鮮やかな黄色の花を咲かせているのだった。間違いなく陽光は明るくなり、空気も和らいでいる。その微妙な変化が心地よい。

「春が来た」という童謡が心に浮かぶ。

♪春が来た 春が来た どこに来た

山に来た 里に来た 野にも来た

四方を見渡して、どこにでも春が来たことを感じれる風景がそこにはある。

二番、三番の歌詞では、花が咲き、鳥が鳴く。すなわち、到る所で春を感じるのだ。こうした自然の営みを通して、いのちの息吹を味わえるのは何とも有り難いことと言わねばならない。

都市化が進んで、人工物ばかりに囲まれている現代人の生活、ギスギスと尖った心になるのも無理はない。そんな環境の中で、いかに大自然の息吹を感じていくか、これが実はとても大事なことのように思えてきた。境内から本堂に上がり、阿弥陀さまのお顔を拝しながらお勤めをする。その穏やかな一時(ひととき)は、ぜいたく極まりないということなのだろう。

2017年3月号

風が舞い、雪が舞い降る北国の静寂と温もり

物騒な雑音ばかりが聞こえるご時世に、雪と温泉の青森へ

この冬、1泊だけお休みをいただいて青森まで出かけた。雪見たさと温泉に浸かるのが目的だったが、青森行きの飛行機が欠航したため、仙台まで飛んで、そこからは新幹線で青森入りすることにした。

当然のことながら大幅に遅れて、新青森駅に着いた頃には、とっぷりと夜の帳が下りていた。宿へは、在来線の列車で弘前まで行き、さらに乗り換えて碇ヶ関という小さな駅まで行かねばならない。まだ2時間近くはかかる。

予定は未定になるのが旅の常だが、それが却って、思わぬ収穫を得る場合もある。というのも、新幹線に乗ったおかげで、東北地方の風景が「明」(陽射)から「暗」(降雪)に変わりゆく一瞬を目にすることができたし、新青森駅の在来線ホームに降り立った時の凍えるばかりの静寂感も得難かった。飛行機なら体験できなかっただろう。

それにしても、目に入る光景の一つ一つが、街中の風景とは違っていた。風が舞い、雪が乱れ降る。しかし、なぜか温もりがある。その感覚は、弘前、碇ヶ関へと列車が進むにつれ、増していった。車内は通勤・通学客が大半を占め、手に傘を持ち、長靴を履き、コートを着て、ある人は眠り、ある人は本を読んでいた。スマホをいじっている人はいない。家路に着く前のつかの間の暖を車内で取っているのだろう。外窓には、かき氷みたいな細かな雪の塊が無数にへばりついていた。

終点の碇ヶ関で降りたのは三人。よそ者は私一人である。しばしホームに佇み、一面の雪と静けさを噛み締める。心の奥深いところで情感が蠢く。映画「駅ステーション」の一シーンが目に浮かぶ。冬の増毛町の飲み屋で高倉健と倍賞千恵子が出会う場面だ。八代亜紀の「舟唄」が流れる。「♪お酒はぬるめの燗がいい」―屋外の寒さと店内の温もりと、その二つが心の中で交差する。雪景色と人の温もりを同時に感じさせる歌が今一つある。森進一の「北の螢」だ。「♪山が泣く風が泣く 少し遅れて雪が泣く… 赤い螢が翔ぶでしょう… ♪ホーホー螢翔んで行け…」―白い雪と赤い螢(情念)が、これまた私の心を揺り動かす。

物騒な雑音ばかりが聞こえるご時世、温泉に浸かって、「♪しみじみと」人の情の温もりを味わうことができた。

2017年2月号

トランプ大統領だけじゃない「やられたらやり返す」世界に…

「押されたら引いてみる」―譲り合いの精神の復活を!

トランプ米大統領が就任早々、次々と大統領令を発して、アメリカ第一主義を推し進めている。日本にもトヨタを名指しで、日本車がいかに“厚かましく”乗り込んできて利益を貪り、アメリカに不利益を被らせているかと不満を述べ、「やられたら、やり返す」姿勢を鮮明にしている。

しかし、攻撃的なのは、何もアメリカに限ったことではない。北朝鮮をはじめ、中国、韓国、そして我々日本国も、国の威信や安全を持ち出して、お互いに隣国を批難し、警戒や対抗意識を高めているのではないだろうか。

日本の防衛論が憲法改正と合わせて、語られ始めているのがその表れと言える。もし、北朝鮮が弾道ミサイルを発射して、はたして自衛隊は防衛できるかという話で、宇宙空間に達した時と、再び大気圏に突入してきた時の二度にわたってミサイルを撃ち落とす迎撃ミサイルが一応あるとしながら、安全が保障されるかと言えば、ほとんど無理で、より安全性を高めるには、もっと超高速のミサイルを多数配備する必要がある、ということらしい。

それ自体、「力には力を」「+には+を」と、頭突きの応酬と同じ発想だなと思った。攻撃に対して、同じように攻撃し(迎え撃っ)たのでは、双方が破壊されてしまう。力で押してくれば、引いてみることだ。拳を突き出せば、掌で受け止めればいい。「+には-で」対応する。男と女のように、だ。

不空羂索観音菩薩という仏さまがおられる。羂索というのは、獲物を捕まえる縄とか網のことで、悪道に赴く私たち凡夫を、縄や網(羂索)でもれなく(不空)救い取って安心の絆で一つに結んでくださる観音さまのことだ。この縄や網は破壊する武器ではない。攻撃しても、やんわりと受止め、逆におとなしくさせてくれる用具と言えよう。ミサイルが飛んできても、網のようなもので包み込んで、何事もなかったかのように静かに収まっていく、そんな攻撃を無力化する兵器?の開発に取り組めばいいのに、と心から思う。

国のことではない。人と人の関係でも、自分の主張を通すことに躍起になっている昨今だ。相手を攻撃するばかりではなく、時には少し下がって、譲り合ってみてはいかがか?―2月12日は「ダーナ(布施)の日」である。

2017年1月号

ここまで進んだIT,BT革命、さて人間どうなる?

〈人が人を改造し、あげく知的ロボットに使われるハメに~〉

年の瀬に、現代思想の動向が知りたくて、久しぶりに大型書店に寄ってみた。店頭に山積みされた多くの本の中から『100年時代の人生戦略』と『いま世界の哲学者が考えていること』の2冊を買って帰り、今、読み始めたばかりなのだが、内容を見ると、人類社会の変動の速さと、それが招く事態の深刻さに、驚きと戸惑いの思いを禁じ得なかった。

たとえば、『いま世界の…』では、AI(人工知能)が近い将来、人間の知能を超えるとされ、そうなると、ロボットと人間の立場が逆転。知的ロボットに人間が使われることになるだろうという話とか、何より怖いのは、BT(生物工学)革命が進み、人間の意思で遺伝子を組み換え、都合のよいような人間を生み出す?ことが、現実になりつつあるというのだ。つまり、ナチス時代の国家による人種政策とは異なるものの、個人レベルにおける優生学(優れた遺伝子を使って人類の進歩を促す考え方)が語られ始めているという。また、不老不死が絵空事ではなくなるとも―。

読んでいると、ここで語られる人間は「健康で、能力が発揮でき、社会に役立つ存在」を前提にしているようだ。

ともあれ、科学技術は、すでにそこまで進んでいるのであり、それにどう対応するのか、活用の是非と選択が今、人類に問われているのだ。つまり、何を重んじ、何に価値を見出すかだが、それは多分に宗教の問題でもある。

「有能で社会に役立つ」人間――で思い出すのは、昨年の相模原・障害者施設殺傷事件である。重度障害者を「社会のお荷物」視し、凶行に及んだ被疑者とその背景にある社会に対して、あるテレビ番組で語った知的障害者の言葉が心に沁みる。「むちゃくちゃ怖い。でも絶対生きていかなあかんし、生きててしかたがない人なんか一人もおらへん!…」

いのちの重みを感じているのは、果たして「どちら」だろうかと思う。

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雪がチラついていた今朝、鐘楼堂前の梅がピンク色の蕾を着けているのに気がついた。前年は、移動させたからか、花は咲かなかった。それが二年越しに咲くわけだ。いのちの不思議、自然の営みのすばらしさを感じた。(住)

 

2016年12月号

死んだ本物の魚を氷漬けした上を滑った気持ちは?

あらゆるいのちを尊ぶ日本人の心を取り戻そう!

死んだサンマやカニなど、本物の魚介類5000匹を凍らせ、その上を人が滑るという「奇抜なアイデア?」のスケートリンクが北九州に登場したが、利用者らの不評、反感を買って、開業後、わずか半月で中止に追い込まれたというニュースが先日、報じられた。

あらゆるいのちを慈しみ、尊ぶこころが日本人にはまだ残っているのだと思う一方、ややもすれば、人以外、あるいは自分以外のいのちは、「物」や「道具」のように見、そして扱いかねない危険性も高まっているのだろうとも思った。

現に、企業側は「海の上を滑る感覚を味わってもらおう」と、臨場感を演出する「道具」として、本物の魚の氷漬けを思いついたようだ。また、この出来事を紹介したテレビ番組の司会者も、「楽しんで滑っている人が多ければ、中止する必要もないのでは?」と、中止を残念がるようなコメントを発していた。

しかし、やはり、これはいのちをどう見るかという大切な生命観、人生観の問題であり、その点、皆が注目し、考える機縁になればいいと思えるニュースだ。

中止後、この業者は魚を取り除いて「供養する」という。日本では、昔から、私たち人間のために役立たってくれたさまざまな生き物に対して、仏教の供養になぞらえて「○○供養」と名付け、感謝の気持ちを捧げてきた。魚供養に、カニ供養、虫供養に、クジラ供養…。人形供養や針供養といった無生物に感謝する行事まである。今回の供養も、その延長上にある行為なのだろう。

日本人のいのちを尊ぶこころは、毎日のお仏飯のお供えと、食前の「いただきます」の生活習慣によって受け継がれてきた。私を生かしてくれている多くのいのちに対して、手を合わせて頭上に戴くのであり、そのすべてのいのちの象徴として仏さまがおられた。そのこころを取り戻すきっかけになればと、心底思う。

奇しくも、このニュースが報じられる前日に正福寺の報恩講があり、その中で聖歌隊の皆さんが仏教讃歌を歌ってくださった。「生きる」という曲だ。「生かされて生きてきた。生かされて生きている。生かされて生きていこうと、手を合わす 南無阿弥陀仏」――その詞が、私の胸にジンときた。

2016年11月号

しくじっても、傍に来て心底支えてくださる方がいる!

今の日本は、二極化が急激に進んでいる社会である。人の有り様についても、富める者と貧しき者との格差、然り。能力・地位・肩書といった目に見えるものさしでランク付けすること、然り。“善良な市民”と“社会を乱す悪者”に色分けされた人間観も、然りである。しかも、“善人”だったはずの人物が、一つの悪事が露見すれば、一気に“悪人”に転落してしまう世の中なのだ。

そうした人間を単純化して見る社会では、自己の内なる本心はなかなか表に出てこない。出ないどころか、見つめることなく、無意識に自分を“善人”の部類に入れてしまいかねない。これでは、人間の深みが見えず、うわべの薄っぺらな人間観しか生まれてこないだろう。

そもそも人間は、誰でも善と悪を併せ持ち、心はその間でつねに揺れ動き、翻弄されている――そんな存在なのではなかろうか。親鸞聖人の「さるべき業縁の催さば、いかなる振る舞いをもすべし(人は縁が重なれば、どんな恐ろしいこともしかねない)」というご述懐も、そのことを物語っている。

宮沢賢治の詩に「雨ニモマケズ」がある。私ははじめ、その“善人ぶった”内容に反発していた。「…欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている」―そんな人間はいないだろう。内心そう思っていた。「あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず」―有り得ないことだと。「東に病気の子どもがあれば 行って看病してやり 西に疲れた母があれば 行ってその稲の束を負い…」―延々と“善人”の所業が述べられている。そして最後に賢治は「そういう者に 私はなりたい」と締めくくる。私はこれを、単に人間の理想像を語っているにすぎないと思っていた。しかし、この詩に語られた人生を送った人物が、実際に賢治の近くにいたのだ。その人物は周りから虐げられ、のけ者にされながらも、ひたすら人間を愛し続けたのだった。賢治はそれを見ていた。そして、その人物のようにできていない“情けない”自分が見えてきたのだろう。そう思うと、最後の言葉に込められた賢治の切なる思いが伝わってきた。

改めて思う。たとえ善が全うできなくても、悪でしくじったとしても、この私を根底から支え、心から受け入れてくださるお方がいること、それだけで人はたくましく生きていける。私の、そのお方はアミダさまである。(住)

2016年10月号

お坊さんが語った「病」を超えていく道

《生も死も超えて届けられる限りない真心の温もり…》

病気への不安や関心が高まっている昨今、先月25日には、ナムのひろば文化会館で池田市仏教会の第3回公開セミナー「お坊さん“病”を語る」が開かれた。「病」を「悪」として忌避しようとする世間の見方とは異なる仏教的視点に、集まった聴講者の反響は大きく、主催者としても、社会への仏教発信に大いなる手応えと自信を感じさせてもらった。

内容は3宗派の僧侶4人が、「病」についてそれぞれの思いを語ったのだが、最初に登場した日蓮宗・本養寺副住職の難波見真さんは、『法華経』に出てくる喩え話「良医治子」を引用し、「医(者)」は仏さま、「子」は悩み多き我々のこと、「治(薬)」は仏の教えであると説明した後、病も、仏さまの教えという適切な薬をいただくことによって、病気そのものというよりも、その苦しみから解放されると述べられた。そこで何よりも大事なのは、仏さまへの「信」とされた。

次に、浄土真宗本願寺派・託明寺前住職の葛野勝規長老は、病が人生の大きな問題となるのは、死を意識するからだと分析された後、病も死も、それを避けることはできないが、転じ超えていくことはできる。その道が仏法であり、お念仏であると、自らの豊かな聞法経験から力強く話された。

曹洞宗・自性院住職の原弘昭さんは、僧侶も皆さんと同じように悩み、苦しんでいる。もちろん修行はしているけれども、例えば、病に苦しむ姿は皆さんと変わらない。しかし、迷いや苦悩に振り回されずに生きる方向性だけは見失うことなく、心はいつもそこに向けられている。修行という実践を伴った生き方をするのが僧侶のかたちだと思うと、語られた。

最後は、私の話だったが、初めは、高血圧で倒れた時の死を意識した恐怖感と不安感、それに、後に残るであろう家族を思って絶望感に襲われた体験や、二度の癌手術では、これも失敗する可能性を思うと、細かな一つ一つの(治療)行為に心が動揺したことなどを語り、それでも病気になって有り難かったこと。それは「さまざまなないのちと人の温もりを感じたから」という心境をお話させてもらった。

4人の仏教者に共通するのは、「私」を超えた普遍的な真実(まこと)を人生の芯に据えているということだろう。それは、生も死も超えて限りない真心の温もりとなって届けられる。仏の大慈悲心である。(住)

2016年9月号

リオ・オリンピックの選手たちの流した涙に感動!

涙が印象に残ったリオデジャネイロオリンピックだった。苦しみながらも銅メダルを獲得した女子卓球チームの福原愛さんは、勝利の瞬間、涙が溢れ出て止まらなかったし、金メダルを獲得した柔道の大野將平選手は、井上康生監督と合ってやっと涙を流し、その井上監督は選手たちの活躍に、インタビューの場でも涙で顔がくしゃくしゃになり、言葉にならなかった。レスリングの伊調馨さんは、最後の最後に大逆転して四連覇となる金メダルを掴んだが、その喜びの涙の中身には「お母さんが助けてくれた」と、二年前に亡くなったお母さんの存在があった。もう一人の女子レスリングの女王・吉田沙保里さんは、最後の最後になっても逆転の機会は生まれず、銀メダルに終わり、「皆に申しわけない」と泣き崩れてしまった。これほどの悔し涙はなかろうと思うほどの涙だった。

ほかにも、ブラジルの貧民街で暮らす女性が柔道で金メダルを獲ったり、同じブラジルの貧民街で亡命生活しているコンゴ出身のミセンガ選手も、メダルこそ獲れなかったが、歯を食いしばって戦った。六歳の時、紛争で目の前の母が殺され、今も消息不明の父や兄弟のことを思い続けながら試合に臨んだという。「どこかで自分の姿を見てくれていればいい…」-そんな思いが涙となって頬を流れた。

涙は、悲しいときにしか出ないのではない。辛いときにしか出ないのでもない。

うれしいときも、喜びが込み上げてくるときにも出るということを今回、改めて気づかせてもらった。

そう言えば、『今昔物語集』で、決まり文句のように使われる言葉がある。「涙を流して喜び貴びけり」、「涙を流して悲び貴びけり」という表現だ。いずれも、感極まって感動するさまを表しているのだが、そこには、大いなるもの、尊きものの存在や営みが、必ず背景にある。その大いなるはたらきによって〈真実、真相に触れ、また人が輝く〉ことを知らされ、感動するという意味合いだ。

今回のオリンピックで見せてもらった涙は、喜び、悲しみ、悔しさ、無念さなど、表の顔はさまざまだが、いずれも、その奥に、目には見えない大いなるいのちといのちのつながり、心と心のきずながあり、それが人を輝かせ、感動させるということを、私たちに教えてくれたように思う。

2016年8月号

相模原大量殺傷事件で考えさせられた「いのちの尊厳」

酷い事件が起こってしまった。7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者福祉施設で発生した大量殺傷事件のことである。容疑者は元職員の26歳の男で、一人で施設に侵入し、重度障害者だけをねらって次々と刃物で切りつけ、犠牲者19人、重軽傷者26人を出す大惨事となった。
何より恐ろしいのは、障害者は不幸を作る存在と決めつけ、そのいのちを抹殺することを正当化して犯行に及んだことだ。容疑者が衆議院議長に宛てた手紙が公表されたが、そこには凶行に及んだ理由の一端が伺われる。
元の職場で容疑者の目に映ったのは「保護者の疲れきった表情、職員の生気の欠けた瞳」だった。しかし、そこから思考が一気に飛躍し、「世界経済の活性化」や「第三次世界大戦を未然に防ぐため」などと、障害者の存在を、財政問題や国防問題と結びつけて捉える。その手前勝手な理屈、言葉を換えれば、愚痴と偏見と虚妄が見える一方、肝心の一人一人の「いのちの息遣い」が聞けていないことがわかる。
私は、この事件を初めて知った時に、ドストエフスキーの『罪と罰』を思い浮かべた。貧しさゆえに世の片隅に埋もれている有能で心優しい青年が、強欲で庶民を苦しめている金貸しの老婆を殺害する小説だ。「人びとを(高利の返済で)苦しめている一人の老婆を無き者にすることで、多くの人びとの生活が救われ、自分自身も(借金から解放されて)、能力を発揮する場ができ、世の中に善(幸せ)をもたらすことができる」と、老婆の殺害を正当化しようとするのだった。しかし、現実は、いのちを殺めた罪の意識と虚妄の生活に疲れ果て、自首することになるのだが、そこに「人間とか何か」「生きるとは何か」の基本命題とともに「いのちの尊厳」が描かれていると思うのだ。
現代社会は、白か黒かをはっきりさせ、単純に一方を取り、一方を捨てる傾向が強い。しかし今回の事件は、一人の特異な人物による特異な犯罪として切り捨ててはならない。障害のあるなしではなく、すべてのいのちは量りないいのちと心でつながっていることを、私たち皆が噛み締める、そんな機縁とすべきだろう。

2016年7月号

メダカのいのちと、テロで奪われた人びとのいのちと

梅雨の晴れ間のある日、植木屋さんが境内の樹々を消毒しに来られた。準備を始め、門と本堂の間にある金魚池や、メガタのいるひょうたん池には、いつも通りビニールシートを覆って、消毒剤が池に入らないようにしてくださったのだが、もう1か所、覆うべきところがあるのを、言い忘れてしまった。

この春新たに、南前栽の手水鉢にメダカ5匹をひょうたん池から移して飼っていたのだ。気がついて前栽に走った時には、ちょうど消毒剤を周りの樹に掛け終わったところだった。「急いで水を替えてください!」と叫んで、入れ替えてもらったのだが、次の日、改めて手水鉢から水草を除いて覗いてみると、白くふやけて浮かぶ2匹のメガタを発見、あとの3匹は見つからなかった。

ボウフラが沸いて、水も赤茶けていた手水鉢に、ひょうたん池で増えたメダカを少し移し、メダカの好む水草も入れて飼ってみると、見違えるように水が澄んできて、メダカも快さそうだった。それなのに、うっかりミスで一瞬のうちにいのちを奪う結果となってしまった。残念無念。何よりメダカが可哀想だった。

2匹だけでも埋めてやりたいと思い、手で掬い、スコップで掘った樹々の間の土中に置いた。小枝の一節ほどの小さな2つの遺体に土を被せ、その上にアマリリスの小鉢を置いて、手を合わせる。メダカのいのちが土に染み入り、やがてアマリリスの根を通って花を咲かせるかもしれない。おぼろげながらも、そんな期待が私の中にあったのだろう。だが、切なさで心が痛んだ。

目を世界に転じてみる。すると、英国のEU離脱ニュース。経済問題もさることながら、中東やアフリカからの難民・移民急増が一因であることは間違いない。その中にテロリストが潜入する危険性も増大する。そう思っていたら、またトルコで自爆テロ。背景に紛争と貧困があるとわかっていても、これは惨い。世界各地で自分たちの利益、主張、損得を優先する動きが顕著になっている。反比例して、他人のいのちの重みや苦しみを感じる心がマヒしていくのだろうか。今、人間は飽くなき欲望と偏見にブレーキがかからなくなっている。それが何とも恐ろしい。(住)

2016年6月号

オバマ大統領の広島訪問

核戦争の夜明けではなく、道義的な目覚めの始まりに

オバマ米大統領が広島の原爆慰霊碑前で述べた声明は、深い感銘を与えてくれた。戦後71年、原爆投下した国の現役大統領として初めて足を踏み入れた意味は大きいが、それよりも、声明に込められた一つ一つの言葉に、オバマ氏の真摯な思いが込められていて、他人事としてではなく、私自身の胸に諄々と染み込んでくるように感じられたのだ。

オバマ氏は言う。「彼ら(原爆犠牲者)の魂は私たちに語りかける。もっと心の中を見て、我々が何者なのか、どうあるべきなのかを深く考えて…」と。

人類は、科学を発達させ、生活を向上させてきた。しかし一方で、自分たちの損得のために、あるいは権力者の支配欲のために他国・他民族と争い、力で排除しようと戦ってきた。つまり、戦争が絶えた時代はなかったのだ。今も世界各地で戦争が繰り広げられている。「人を傷つけ、殺してやろう」と、生まれた時から思っている者はいないだろうに。誰だって仲良しになりたいだろうに。なのに、起こっているのだ。

先の大戦では、約6000万人の犠牲者を出す蛮行となった。人間の愚かさ、矛盾が露呈したと言えよう。そして、あのキノコ雲に至る。

オバマ氏は言う。「科学や諸能力の発達が、我々に不相応な破壊力を与えて」「人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを示した」―それが広島、長崎の原爆投下だった。そこには勝者・敗者はなく、謝罪も通じない世界だ。

「暴力的な競争ではなく、平和的な協力によって、我々の相互依存を深化させること」「広島と長崎は、核兵器の夜明けではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして知られなければならない」ともおっしゃった。

もう戦争を問題解決の手段とすべきでないこと。今でも欲や手前勝手のために競争し、殺し合っている状況だが、そこから、いかに核兵器を減らし、根絶させる道筋を見つけ出せるか―「それが我々の未来だ」とも。

演説を聴いていた被爆者の坪井直氏と森重昭氏の笑顔と感涙の表情が、奇しくも人の心の大切な部分を浮き彫りにしてくださった。それは、ともに悲しみ、ともに心の絆を深めることが、どんな苦しみを抱えていても、その心を和らげ、豊かにしてくれるということだ。そこに私は、仏さまのお心を見た。(住)

2016年5月号

いのちのネットワーク社会へ

熊本地震で見えてきた災害救援のあり方

4月中旬、震度7の激震に二度襲われ、その後も揺れが続く熊本地震、まずは被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

さて、一連の地震により、一時は18万人以上の住民が避難所に移り、現在(4/28)も3万人以上の方がたが不自由な生活を強いられているという。

たとえば、生活に欠かせない水や食品、トイレ用品などの救援物資が送られてきても、長蛇の列ができ、体力的に並べない人や、品切れでもらえない人も出たことだろう。しかも、物資が届けられるのは指定の避難所なので、別なところに避難しているともらえない。

今回の地震では、揺れが続くので自宅を避け、車中泊する人も多いと聞く。それでエコノミック症候群を患い、亡くなる方も出ているらしいのだが、車が避難所の駐車場ならば、救援物資を得られようが、別な場所で車中泊しておれば、受け取る機会がない。さらに被害に遭いながら自宅で過ごしている方も、相当数おられることだろう。それらの人に、はたして救援・支援物資や救いの手は届いているのだろうか。

要は、把握できているのは、指定された避難所や救援・支援物資の窓口である市役所など公の場の情報だけである。したがって、被災者全体の実態把握と、それを踏まえた具体的で正確な救援・支援活動は、限定的な受皿と小さな窓口のため、有効にはたらいていないのではないか。現に今、熊本市では、支援物資の受け入れを中断している。「(届けられている)救援物資を必要とされるところに届けることに全力を挙げる」ためだと、市のホームページでは説明しているのだ。

これが、もっと大きな規模の災害になれば、公的な窓口に頼る限り、停滞と混乱を招くことは目に見えている。

幸い、SNSというネットワーク通信が行き渡りつつある。ネットワークは直訳すると「網の目」である。誰でもが網の目のように関わり、縁ある人に情報を発信し、情報を得た人が必要な動きをする。まるで「縁起の法」そのものである。四角四面のシステムを脱却して、心も含めて、柔軟で迅速な網の目社会に向かうことが、災害時の救援・支援を有効なものにする道だと思う。いのちのネットワークが機能する社会の実現を期したい。

2016年4月号

ナムのひろばフェスタ盛会裏に終える

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〈子どもたちの喜ぶすがたに手応え感!〉

ナムのひろば文化会館の活動が始まって丸3年が経ったこの春、3月26日~28日の3日間にわたって、「ナムのひろばフェスタ」を開催することができました。各教室の先生方の協力を得て、受講者の日ごろの活動ぶりや成果を発表していただくとともに、縁ある方がたにも呼びかけて、フリーマーケットやフリーパフォーマンスに参加していただき、それぞれに個性を発揮し、交流していただくというものでした。地域の人びと、縁ある人びとが心を寄せ合って(ナムの心で)、活き活きと生きることを実感していただく…。そういう場にしていただけたらと思いました。

おかげさまで、スタッフや支援者の献身的なお世話とご努力により、無事、初めてにしては盛会裏に終えることができました。初日の人形劇団の公演では過半数が小さなお子さんが占め、大人も含めて55人ほどの参加でしたが、子どもたちの大喜びする表情を見ていると、心から、やってよかったと思いました。

また、27,28日の催しでは、出店数43店舗、出演数17ステージ、来訪者は2日間で計500人はおられたと思います。私たち素人が行ったフェスタにしては、上出来でしょう? 一歩一歩あゆんできたナムのひろば活動に、一つの節目をつけた形となり、手応えを感じています。

特に印象に残ったことは、チンドン隊を結成した若い女性グループが自分たちの出番以外に、お寺の周辺や駅近くまで出向いて、陽気に楽器を奏でながらフェスタの宣伝をしてくれたこと。子どもたちがきちんと靴を脱いで、手を合わせ、仏塔に上がって楽しく遊んでくれたこと。本堂での閉会式も、10人ほどのお子さんたちが大人と一緒に礼拝し、焼香もして、仏さまの前でお話を聴いてくれたこと。現代では、そんなご縁はなかなか作れるものではありません。うれしい限りでした。

関わってくださった皆さまに、仏さまに、心から御礼申し上げます。な~む!(住)

2016年3月号

子育てに、不安と孤立感を深める母親たち

《共同養育で、安心と信頼を確立する社会が求められる》

子どもへの虐待が問題となっている昨今だが、先日、児童福祉施設「るんびに学園」理事長の藤大慶師のお勧めで、NHKスペシャル「ママたちが非常事態」を観ることができた。子育てに戸惑い、孤立感を深めるお母さんたちの現状を紹介するとともに、最新科学により、明らかになった子育ての有るべき姿を浮き彫りにした番組だった。

番組は、多くのことを教えてくれた。まず一つは、お母さんが、「子育て失格!」と思ってしまいそうな幼児の夜泣きについて。夜泣きの原因が、母親のせいではなく、幼児がまだ胎内にいる時に、子が母の体を気遣って、母親が休んでいる(眠っている)夜に動くことにより、母親の体力消耗を少しでも減らそうと、子が親に気遣っていたためであり、誕生後も、その習性が残っているからだというのだ。「子どもの気持ちがわからない」と自分を責めたり、子どもを責めたりするのは、お門違いということなのだ。

また、もう一つ母親を困らせるものに、「イヤ、イヤ」と自分の思い通りにならないと、完全拒否する行為がある。しつけや社会のルール、また必要な習慣を身に付けさせようとする親にとっては、大いに悩んでしまうものだ。しかしこれも、まだ3歳ぐらいまでの人間の脳は、自らの欲求を自制するはたらきが未発達状態だからで、未成熟な脳に、無理に抑制させようとすると、また別な問題が起ってくるとも言える。あくまで、子どもの発達過程で生じる拒否反応だと知ることが大切なのだ。

人間の赤ちゃんはなぜ、このように未成熟なのかといえば、それは二足歩行したことにより、骨盤が小さくなり、脳が小さいうちでなければ生まれることができなかったからだという。だから、母親一人だけでは育てられないのも当然であり、人間は本来、皆で協力して育てる「共同養育」が行われていたというのだ。今、ママ友がさかんなのも、そう考えれば頷ける。

このほか、子育てには、母親だけが行うのではなく、父親がしっかりと母親(妻)に向き合い、心を共有することが重要だとのデータも示された。何より、家族を核とした人間関係の信頼が確立されることが大切なのだろう。信頼と安心感、それを失いかけた時、親子に限らず、人間の将来は暗いといわねばならない。(住)

2016年2月号

心の温もりを知って、新たに歩む道が見えてきた

〈大雪の車中で困っている人たちに住民が食事を提供して…〉

数十年ぶりの厳しい寒波が先日、西日本を襲い、九州や中・四国の各地に大きな被害をもたらしたが、そんな中で、心温まるニュースも報じられた。

大雪のため、佐賀県のJR有田駅で特急列車が動けなくなっていることを知った地元住民が、困っている乗客らを助けようと呼びかけたところ、多くの人が同調し、おにぎりや飲み物を届けて、乗客に喜ばれたという話だ。

夜、佐世保に引き返した乗客たちからは「おいしかった。ありがたかった」と感謝の声が上がったという。おいしかったのは、食べ物もさることながら、人の心の温もりだったことだろう。

愛媛県の八幡浜の国道でも、大雪と路面凍結でストップした車やトレーラーの運転手に、近くの喫茶店夫妻が温かいコーヒーやおにぎりを差し入れして、喜ばれたという。人は、窮状の時に、声をかけてもらうだけでも救われた思いになるもの、それが一番必要なものが与えられたのだから、その有り難みが身に染みるというものだろう。

もう一つ、最近の困った?傾向に、死に場所の問題がある。病院で約8割の方が亡くなり、自宅では1割というのが現状だが、本心はというと「自宅で死にたい」と願う人が8割に上るという。やっぱり、いつもの住み慣れたところで最期を迎えたいと思うのは当然だろう。その心情にどれだけ同感し、動けるかが今後問われてくるだろう。医療の問題だけではない。まさに我々宗教者が向き合わなければならない大事な問題だ。

先日、遅きに失する思いもあったが、3年ぶりに、長期入院されているお年寄りのご門徒を見舞いに行った。ご家族から「(私のことが)もうわからないと思います」といわれていたが、病室に入って、「住職ですよ」と呼びかけると、ビックリされると同時に、「よう(私のこと=ご門徒)、覚えてくれたはりました!どうしましょう」と、驚きと感激の表情で迎えてくださったのだ。そして「元気になって、もう一度お寺に参りますから…。お頼み申します!」と、私の手を額に押し当てられながら、はっきりと申されたのだ。声にならない感動の涙がお互いにこぼれ出ていた。

「まだ、お待ちの方が大勢おられる」―どこまでやれるかわからないが、私の新たな道が見えてきた思いがしている。

2016年1月号

今、日本は一つの価値観で動こうとしている!?

「人のいのちは国の有る無しにかかわらず尊くかけがえがない!」

新しい年が明けて希望を見出そうとしている時に恐縮だが、「火垂るの墓」という優しさ溢れる作品を生み出す一方、「四畳半襖の下張」事件でわいせつ罪に問われたり、政界のドン・田中角栄元首相に選挙戦を挑み落選するなど、破天荒な人生を歩んだ野坂昭如氏が、先日亡くなった。善きにつけ悪きにつけ、人間の覚束なさと、ピエロのような儚さ・悲しさを、私に教えてくれた面白き人物の一人だった。

もっとも、その「面白き魅力的な」個性は、自分を型に嵌め込んで、すまし顔で生きている“現代人”には、理解できない人間像かもしれない。そう思うと昭和は遠くなりつつと実感される。

たまに東京に出かけることがあるが、東京駅周辺にしろ、新宿や赤坂・六本木にしろ、似たような高層ビルに囲まれて、地面が見えない。どこも空間の同質性が漂い、個性がなくなっているのだ。人びとの心も見えない。ホテルでも、食堂でも、タクシー乗り場でも、皆きちんと列を作って並び、長い時間でも待っておられる。そこへ、声を上げたりすると白い目で見られてしまいそうだ。だから、気安く人に話しかけられない。いのちの温もりが感じられない環境なのだ。

今、日本社会は、一つの価値観で動こうとしている。「経済成長」は当然のことと信じ、「国の防衛」や「沖縄の基地」移転問題も、それらを報じる「メディア」も、一つの価値観に染まりつつある。グローバル化の中で、日本は国力を高めて国際競争に勝ち抜くことが人びとの生活には不可欠で、国民のいのちを守るためでもある、という論理だ。

しかし、それが、無意識にしろ「自主的国民統制」への動きであることに気づいているのだろうか? 国があって人のいのちがあるのではない。人のいのちは国の有る無しに関わらず尊くかけがえがないものだ。

お参りしたお宅で96歳のおばあちゃんが仏壇のある狭い部屋にベッドを置いて寝ておられた。お勤めの間、目を瞑り、済んでお声をかけると、細い両手を胸の前に合わされ「ありがとうございます!」と御礼を申された。その両手を私の両手で包まずにはおれなかった。そういういのちの触れ合いが涙を誘い、「いのち大切にね!」と願わずにはおれなくなるのだ。いのちとはそういうものであることが、今、忘れられているのではないか?(住)。

2015年12月号

円なる人生は、どこをとっても出発点であり、終着点!

現代を代表する尼僧・青山俊薫老師のご法話を聞いて

大阪府仏教会の50周年大会が先日、ホテル日航大阪で開催され、曹洞宗の青山俊薫老師(愛知専門尼僧堂堂長)が記念法話された。俊薫師は、満82歳の現代を代表する尼僧で、瀬戸内寂聴師ほどメディア登場はないが、今も著作、講演活動を精力的にこなされ、仏教の普及に努めておられる。終始柔和なお顔をされていたが、話はずばり物事の本質をおっしゃる厳しさを持ち合せたお方という印象だった。講題は「今ここをどう生きる―人生を円相で考える」。味わい深いお話だった。

仏教は円の教えだといわれる。それは、「円のどこをとっても、そこが出発点であり、終着点でもある」-俊薫老師はそんな捉え方で、人生を考えることの大切さを説かれた。

また、人間を四タイプに分けられ、人生を〈闇から闇〉、〈闇から光〉、〈光から闇〉、〈光から光〉へと歩む人がいることを述べられた後、「ほんのわずかな闇であっても、それをいつまでも引きずることで百倍にも闇が深まる下手な生き方もあります。逆に、闇としか思えないことを踏み台にして、光に変えていく生き方もあります」と、人生の闇を光へと変えていけるのが人間だと説かれ、「変えていく主人公は、ほかならぬこの私であり、今日ただいまの生き方にかかっている」と付け加えられた。

幽霊の話もおもしろかった。幽霊には三つの特徴があるという。一つは〈おどろ髪を後ろに長く引いている〉、二つは〈両手を前へ出し垂らしている〉、三つは〈足がない〉ことだ。

「おどろ髪を後ろに引く」というのは、済んでしまってことを、いつまでもくよくよと引きずること、すなわち心が後ろばかり向いている状態である。「両手が前」は、まだ来ていないのに、来たらどうしようと余計な心配ばかりして、不安を募らせる状態を指す。そのように過去と未来に心を飛び巡らせ、今この一瞬が見えず、足が地に着かない状態を「足がない」で表現しているというのだ。そこで、「幽霊は、私の浅はかな姿に他ならない」と気がつくわけである。

「今救われているか?」-お念仏を如来の大悲のお心と仰がれた親鸞聖人の教えと共通するところが多々あると思ったご法話だった。(住)

 

2015年11月号

私たちの心の杭が届くゆるぎない精神的地盤

〈強固な地盤に杭が届かなかったマンションのニュースに思う〉

10月中旬、横浜の大型マンションが、基礎工事の際、データを改ざんして杭打ちを行い、結果、強固な支持層に届かない杭がいくつもあったために傾斜したことがわかり、その後の対応も含めて、連日大きく報じられている。

建設・販売会社を信用し、大金をはたいて買った待望の我が家が欠陥住宅であり、いつ崩れるかもしれないとの不安を抱きながら暮らさなければならないとすれば、住人らの気持ちはたまったものではない。憤りは収まることがないだろう。

文字通り、生活の基盤となるのが我が家である。その住居を建て替えるにしろ、妥当な額を返金してもらって別な住居に移るにしろ、また、どんなかたちになるにしても、住人は多大な労力と気苦労を背負うことになる。

住人だけではない。建設・販売に携わった会社自体も、どれだけの損失を被ることになるだろうか。不信と実害以外の何ものも生じないように思われてくる。

それを、少し角度を変えて見れば、「信」の重要性が、こんなかたちで浮き彫りにされた、と言えるのかもしれない。「必ず安全なところで暮らせるように致しますよ。任せてください!」というマンション提供会社と、そこではたらく人たちを「信じた」からこそ、一生ものの買い物ができたのだろう。それが「裏切られた」となると、こんなにも生活が不安になり、人生そのものが台無しになりかねない事態となるのだった。いかに信が大切で、それに応えることが大切か、がわかるだろう。

今回のことで言えば、それがまさしく「固い地盤」への信だった。しっかりとした地盤に住まいの土台が根づいていたかどうかがキーポイントとなった。あたかも、私たちが、ゆるぎないしっかりとした精神的地盤に心の杭が届いている人生を歩んでいるか、それを問い直してくれたような出来事だったのではないだろうか。それを思うと、今回の出来事はマイナスばかりとも言えない。

そこでやっぱり、私には如来のけっして崩れない、また裏切ることのない大慈悲心の「信」が、有り難く思われてきたのだった。(住)

2015年10月号

死生観と“信”の大切さ再確認させてくれた癌

昨年から今年にかけて、芸能人の癌(がん)発症と死去のニュースがやたら多い印象である。高倉健、菅原文太、坂東三津五郎、今いくよ、今井雅之、そして川島なお美など、次々と頭に浮かんでくる。芸能界に限らない。私に近いところで言えば、ここ二ヵ月足らずの間に四件のお葬儀があったが、いずれの故人も、死因は癌だった。

2人に1人が癌になる時代といわれる中で、今年は3人に2人がなっているという話である。

それだけ身近な癌だが、私も一昨年の大腸に続いて、今度は腎臓にでき、9月3日、腹腔鏡手術で切除してもらった。約6時間を要した手術だったが、お陰さまで無事終了し、12日に退院。その後も順調に快復し、法務等も行っているのでどうかご安心あれ―。

それにつけても、主治医の先生や看護師さんらに大変お世話になり、またわが身を按じてくださった多くの皆様のお心が何よりの励みとなった。改めて御礼と感謝を申し上げたい。「有り難うございました」。

ところで、私が癌になったことで、自分自身の心境はやはり多少の変化が生じたと思っている。一つは、「死」の危険性をつねに孕みながら、私が生きているということだ。考えてみれば当たり前のように思われるが、しかしそれまでは、やはり「死」は他人事であった。人は、自分の身の上に「死」が迫っていることを知った時、はじめて「生きている」ことの有り難さが身に染みてくるものではないだろうか。私にとって癌は、自分が限りあるいのちを生きていることを知らしめてくれたように思う。

今一つは、「死」によっても消えることのない「いのちの絆」の確認だった。私の場合は、言葉でいえば「阿弥陀さまの大悲の心に包まれ、ご縁ある多くのいのちと私の心がけっして途切れることなく通い合う世界、お浄土に生まれていく」ということだが、単純にいえば、心の絆と温もりが溢れる世界が私にはあるんだ、ということだ。

いずれにしても、癌が私の死生観と「信」の大切さを再確認させてくれたことは間違いない。(住)

2015年9月号

仏祖の尊前で麗しき家庭を誓う2人を静かに見守りたい

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正福寺現住職の私・末本弘然(喜久次)の息子で、次の住職を継承する予定の一久(27歳)が、8月29日、池田の託明寺住職・葛野明規師のご司婚のもと、正福寺の仏祖の尊前で結婚式を挙げさせていただいた。お相手は、同じ職場(JTB)の同僚で、千葉県出身の羽田野彩さん。

ご両親の実家はともに大分県の浄土真宗のご門徒ということで、お寺とのご縁もなかったわけではない、と言えよう。当面は、東京で今の仕事を続け、近い将来(数年後?)、大阪に帰って、正福寺の法務・活動等に携わってくれることになっている。

それにしても、時は刻々と移り変わっていることを実感させられた。いつまでも子どもと思っていた息子が、社会人となって仕事に明け暮れる毎日を送り、その間に伴侶も見つけて、家庭を築こうとしている。私の知らないところで、どんどん成長している息子に、ついて行っていない自分がいたのだ。

「いつまで子ども扱いしているんや。構いすぎたらあかん!」――今回も、さまざまな場面で息子に叱られてしまった。

そんな中で、葛野ご住職が法話で、詩人・中川静村の詩「生きる」を新郎新婦にプレゼントしてくださった。

生かされて生きてきた

生かされて生きている

生かされて生きていこうと

手を合わす なもあみだぶつ

これからは、一歩退いたところから、息子たち二人を、静かに見守りたいと思う。(住)

2015年8月号

自己の正当性を主張すればするほど…

元戦闘指揮官と、情緒障害児治療施設長の言葉の共通点

殺らなければ殺られてしまう。それが戦争なんです!――『御堂さん』8月号の「戦後70年特集」で、中国中南部の最前線を転戦された陸軍中尉が、万感の思いで語ってくださったのがこの言葉である。「戦争は理屈ではない」、「この愚かな行為は二度と繰り返してはならない」とも語られる94歳の元戦闘指揮官の言葉は、途轍もなく重い。

つまり、机上で「何が善で、何が悪か」とか「どちらに正当性があるか」とかいった議論や思考など、木っ端微塵に吹っ飛んでしまい、勝者も敗者もなく、ただ人のいのちの奪い合いになるのが戦争というわけだ。第一、「同盟国(味方)」と「敵国」に色分けすること自体が対立的なとらえ方であり、そこに憎しみや不平等感が加わると、戦争への道を辿りはじめる。そういう意味で今、危険性が増していると言えるだろう。

対外的な面だけでなく、個人の内面についても、危うさが増しているように思う。日常生活において、お互いのいのちを尊び、敬い合うという心が行為となって反映されているだろうか? 損得、利権に目を奪われ、自己主張ばかりが飛び交う世の中は、鬱憤やストレスが溜り、溜まったものが爆発して、破壊的になる。そういう精神状態を生み出しやすい環境ではないだろうか。かく言う私も大いに反省しなければならないのだが…。

その点、7月のナムのひろば文化会館での特別講演は、溜飲が下がる思いがした。綾部市にある情緒障害児短期治療施設「るんびに園」園長で、臨床心理士でもある高橋正記氏が、心を乱した子どもたちを体全体で受け止め、立ち直らせてこられた経験から、人間関係について次のようなことを語ってくださった。

①上からモノ申しても聞いてはくれない。大人が描くようには子どもは動かない。力で従わせようとすればするほど、困らせる行為をとる。②夫婦、親子問題は、直接、当人同士が話し合っては余計にこじれる。中に入る人が必要。③ほどほどで折り合いをつけることが大切になる。

自分の胸に手を合わせ、「なるほど」と思うことしきりだった。

人は、自己の正当性を主張すればするほど、他者の「気持ち」を聞く耳を欠いてしまうものだ。それは国家間でも、個人間でも共通していると思った(住)。

2015年7月号

河瀨直美監督作品『あん』が伝える人間の値打ち

「私たちはこの世を見るために生まれてきた」

カンヌ国際映画祭で数々の受賞作を送り出している河瀨直美監督の最新作『あん』を観に行った。

久しぶりの映画だったが、樹木希林さん演じる主人公の「いのちへの共感」と「生きることの喜び」が、キラ星のごとく輝いて私の胸に届き、感動で震えるほどだった。

シーンは、桜咲く春、一人の老女が小さなどら焼き屋の店員募集の張り紙を見つけて、働きたい旨、店長に頼むことから始まる。

身なりや年齢から見て、店長は端から相手にせず断るが、翌日、老女が作った餡(あん)を食べた店長は、その絶妙な味に感心し、雇うことにする。無味乾燥の毎日を送っていた店長の男も、老女のあん作りを手伝いながら、その姿勢に刺激されて、どら焼き作りに精を出すようになる。明らかに味がよくなったどら焼きに客も気づいて、行列ができるまでに繁昌する。

しかし、やがて、老女の手が不自然に曲がっていることに不信を抱いた者が「らい(ハンセン病)」ではないかと噂し、それが広まって客足がパタリと止まってしまう。

老女は、その状況を見て、自ら店を去り、療養所生活に戻る。老女への思いを募らせる店長と常連客だった少女が療養所に彼女を訪ね、しばし心を触れ合うが、その後ほどなくして、老女は亡くなり、療養所内の墓地に葬られるのだった。

誤解、偏見によるハンセン病患者や元患者への不条理な差別が社会に根強く残っていることを映画は知らしめてくれるが、にもかかわらず、主人公の老女が見せる穏やかな表情と豊かな心はどこからくるのだろうか―。その答えが真のテーマなのだろう。

老女は、風に揺れる満開の桜の花に手を振り、語りかけ、煮ている小豆に「がんばりなさいよ」とやさしく声をかける。そんないのちの共感が心和ませてくれる。

また、人生を振り返って語る言葉、「私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきたんです」は、凄みがあるほど重い言葉だ。人間存在の値打ちの原点が、名利や貢献や能力とは別次元にあることを教えられる思いがした。(住)

2015年5月号

境内のショウブ開花に母の面影浮かぶ

《 2015.6月号 》

本堂前の境内に、昔、火鉢として使っていた3つの大きな鉢があり、ショウブの株が植えられている。新緑の季節になって、細長い葉っぱが何本も勢いよく伸び、やがて鉢はショウブの葉で所狭しと埋め尽くされるようになった。毎朝、境内を散歩していて、それらの中に、先端が膨らみはじめた葉(茎)がいくつか現われているのがわかっていた。

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5月30日の朝、そのうちの一本が鮮やかに開花した。眺めていると、いのちの息吹を感じるからだろうか、うれしくて、心が和む。ほとんど形らしきものがなかった寒い冬の時期から、緑が芽吹いてどんどん大きくなり、紫色の見事な花を咲かせた。開花という華やかな結果を生み出すまでの、実に地道な営みに感心させられる。と同時に、いのちの素晴らしさは、そういう目に見えない、また目立たない営みがあったればこそだ、とも感じる。それに気づいたときに、いのちの尊厳や、敬意が生じるものなのだろう。

そういえば、この花ショウブを火鉢に植え、育てていたのは、亡き母だった。今は母のすがたはないが、ショウブの花が咲いたとき、母の面影が私の脳裏に浮かんだ。鉢を移動させたり、水を遣ったりして、ショウブの世話をする在りし日の母である。日常の当たり前の風景としてあった母の営みは、今はもうない。しかし、ショウブの花が、母の存在を再び、私に呼び戻してくれたような気がする。

母が遺した一句

花菖蒲 紫紺去年(こぞ)より あでやかに (平成11年)

今日5月31日は、亡き人を偲ぶ永代経法要である。(住)

2015年5月号

戦争に勝者敗者なく、いのちすべて尊し

 第2次世界大戦の終結から、今年で丸70年が経つ。その4月、天皇陛下は切望されていたパラオ訪問を実現され、壮絶な戦いが繰り広げられたペリリュー島で、日本人1万人を含む、西太平洋地域の戦争犠牲者が祀られている慰霊碑の前で拝礼され、献花されただけでなく、米軍慰霊碑や、米兵の死体で浜辺が埋め尽くされたオレンジビーチでも、深々と頭を下げられたことに、深い感銘をおぼえた。
  なぜなら、戦争で亡くなられた人びとを敵味方の区別なく、皆、等しく尊い存在として見ておられることが、伝わってきたからだ。先の戦争では、日本は天皇陛下の名の元に戦い、命を捧げていった。そのことに一番心を痛めておられるお方が、天皇陛下あろう。
  ペリリュー島での陛下の米軍犠牲者へ拝礼は、どんなことがあっても戦争を起こさせてはならない、なんとしても平和を貫くようにとの願いが溢れ出たご行為だった。戦争に勝者敗者はなく、ただ命を抹殺し合う悲惨さだけが残ることを忘れてはならないだろう。
  改めて、6年間(日中戦争から言えば8年間)の戦争犠牲者を調べたところ、世界で6000万人以上、アジアだけでも約3000万人に上ったとされている。このうち、もっとも犠牲者が多かったのはソ連(現ロシア)で約2000万人、次に中国が1000万人~2000万人(ともに推定)だ。この2国ですべての犠牲者の半数を占めていることに正直、驚いた。というより、私の認識から抜け落ちていたといっていい。
  日本人の犠牲者が約300万人。それよりはるかに多くの中国人、ロシア人が犠牲になっていたという事実。それを考えると、両国の指導者が今なおしたたかで、強硬姿勢をとる理由がわからないでもない。ともに戦勝国とはいえ、日独に侵攻され、甚大な犠牲を被ったわけなのだから…。
 今、日本では、中国や韓国に対する不快感が増しているように思う。なぜだか、メディアを含めて各界がそういう感情を煽っているようにも見える。主張するところは主張するにしても、感情に流されず、何が大切かしっかりと押えておかなければならないと思う。
そんな折の天皇陛下のパラオでのご行為は、意義深いものだった。

2015年4月号

お知らせ

*4月の勤行は「仏説観無量寿経」です

*同朋の会の総会が4月26日午後1時半から開催されます。会員の方は同封ハガキで出欠のお返事を!またその際、会費(門徒5,000円、有志2,000円)をお納めください。

*ナムのひろば一体に、今年はじめて土筆が生えました。小さないのち、愛おしく感じられます。来寺の際、ご覧ください。

2015年4月号

大勢の人が集まっても、心の虚しさは解消しない…!?

《 人で溢れる道頓堀を歩いて思ったこと 》

ナムのひろば文化会館の活動が始まって、早いもので3年目になる。「地域の人たちに心の潤いを!」と、張り切ってスタートさせたものの、至らぬことばかりで、思うように成果が上がらない。人がなかなか集まらないのだ。思いが伝わらないようだし、伝えようとすると、引かれてしまい、余計に伝えづらくなる。そんな繰り返しで今日までやってきた。人の心を惹きつける要素が足りないのはわかっているのだが、わかっちゃいるけど、できない。第一に、ていねいに向き合えない自分がいるのだ。

そんな浮かぬ状態で、先日、久しぶりに道頓堀界隈に出かける機会を得た。地下鉄なんば駅から戎橋筋に上がると人、人、人で、前へ進めないほど溢れかえっていた。道頓堀に入っても混雑ぶりは変わらない。以前は、賑やかながらも、多くが観劇や買い物、食事に来ている関西人で、親しみと安心感があったが、今は状況が一変。交わす言葉が中国語に韓国語、英語…と「ここはどこ?」といった状態。人数も半端じゃなく多い。さまざまな国や各地からやって来た観光客らが、いくつも点在するたこ焼き屋の前に長蛇の列を作り、シャレた土産物店では大阪名物を買い求め、ごった返していた。

「何でこんなに人が集まるの?」-ふと、そう思った。素朴な疑問だった。しかし、次の瞬間「別に深い意味があるわけでもないか…」と思った。情報に誘導されて「何となく行ってみたい」「楽しいことがあるかもしれない?」と感じて行動しているに過ぎないのではないか。結果、人が集中していても、それで心が満ち足りているわけではないのだ。単に疲労感と虚しさに襲われる人だっているだろう。

一方で、独り暮らしのお年寄りに声をかけると、喜んでしゃべり出す人がいるかと思えば、無愛想ですぐに扉を閉める人もいる。要は大勢の中にいても、独りでいても、人は皆、何がしかの寂しさ、虚しさを感じているのだ。

そう思うと、「集める」よりも大事なことが見えてきた。と同時に、親鸞聖人の「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」(高僧和讃)が頭に浮かび、自信喪失ぎみだった私の心は安らいだ。(住)

2015年3月号

醜さ・汚さの中にこそ本当の値打ちが隠されている!

《 歌舞伎役者・坂東三津五郎の死に思う 》

このところ、身近な人や有名人らの訃報が相次いでいて、人のいのちの限りあることをより一層、痛感させられている。2月21日に亡くなられた歌舞伎役者の坂東三津五郎さんも、その思いを募らせてくださったお一人だ。
たまたま、2月27日のテレビ(BSプレミアム「美の壺」)で三津五郎さんの生前、最後のお姿を見ることができた。収録は2月8日となっていたので、亡くなられる十日余り前のことである。
すでに亡くなられたことを知っていたので、番組の内容よりは、もっぱら三津五郎さんのお姿やお顔の表情を見ることに終始してしまった。
見るからにしんどそうだった。「死相が顔に出る」というが、まさにそんなお顔だった。私よりは5歳も若い年齢にもかかわらず、眼は落ち込み、肌は染みが異様に目立ち、白髪混じりの頭髪は乱れ気味で、
口を開けてしゃべるのもつらそうな状態だった。
しかし、ご本人はそういう素振りを見せまいと懸命に装っておられるようだった。その振舞いに、なぜだか心臓がドキドキした。限りあるいのちを「必死に生きよう」とするお姿に、
人間の尊厳を感じたからかもしれない。「大したお方だ」と感服すると同時に、諸行無常の理の厳粛さに、戸惑いと不安を感じたからかもしれなかった。
元より「老病死」の苦は誰も逃れることができない。老いは心身共に萎れて醜くなる。病は、悔恨と苦痛をともなう。また死は、恐ろしくて、思うだけでも辛い…。
それでも、誰もが通らなければならない道なのだ。
だが昨今の状況は、人間の都合で他の生命を取捨したり、好きか嫌いかで人生が選択できると思っている節がある。汚いものは捨て、好きなものはいつまでも手元に置いておきたいと願うのは勝手かもしれないが、
人のいのちは好き嫌いや、綺麗か汚いかで取捨選択するものではないだろう。きれいごとしか見ない人生は薄っぺらなものになる。
自分にとって都合の悪いこと、醜さ・汚さの中にこそ本当の値打ちが隠されているものだ。そのことに気づいた時、人生に深みと感謝の念が自ずと生まれてくるのだと思う。(住)

2015年3月号

お知らせ

*3月の勤行は『正信偈(草譜)』です
*春季彼岸会が3月21日午後1時半から営まれます。その頃になると少しは暖かくなり、桜の蕾も膨らんでいることでしょう。待ち遠しいですね。皆さま、どうぞお参りください!
*同朋の会役員会 日時 3月21日(土)午前11時~。
◆同朋の会ならびに婦人会の役員はご出席ください。
*豊島南組同朋研修会 日時3月30日(月)午後2時~4時
◆テーマ=「先師に聞く戦後70年・いのちの話」
◇講師=岩田隆一師(信行寺)・葛野勝規師(託明寺)
◆会所=豊中市立花町の信行寺(岡町駅から徒歩10分)

2015年2月号

“心の絆”が実感できる社会が来ないものだろうか!?

《 高齢者の5人に1人が認知症になる時代 》

厚生労働省によれば、10年後の2025年には、65歳以上の5人に1人の700万人が認知症になるという。私もその中に入る可能性があるわけだが、今でも500万人近くの7人に1人が認知症になっているらしく、
けっして他所ごとではないのだ。
政府では、予防策やら、若年の認知症患者支援などの対策に取り組むようだが、どれだけ実行に移せるかは、社会全体の、また国民1人1人の姿勢にかかっているといえそうだ。
これまでの社会は、無駄をなくし、いかに効率よくものごとを進めるが、が重要視されてきた。高品質と迅速なサービスが喜ばれ、そのために努力していく社会であった。
また、グローバル化の中で世界の競争相手に勝ち抜くために、経済発展は不可欠とされてきた。
その流れの発想で言えば、リニアモーターカーであり、東京オリンピックであり、大量のマネー流入がはかれるカジノ誘致案などである。
そうした成果を上げるためには、きちんとルールを守らなければならない。「信号は赤で止まり、青で進む。一方通行の道を逆に走ってはいけません。
それらをきちんと守らなければ、社会は乱れ、迷惑がかかります」―そう教えられてきた。
しかし、この頃、一方通行どころか、高速道路を逆走する車が増えてきた。信号を守らない人たちも多くなった。認知症の人すべてがそうするわけではないが、
規則や法律が機能しなくなる可能性は大きくなってくることだろう。ということは、ルールを守る“善良な”市民ばかりで構成されるべき社会が崩壊していくことになるのではないか。
すなわち、規則や数値で価値をはかり、成果を求める社会からいかに脱却するかが、今問われていると思うのだ。
最晩年、介護5で、息子の私さえ認識できなかった母ではあったが、手を握るとその手の温もりが伝わり、何ともいえない安らぎと尊さを与えてくれた母だった。
認知症であろうが、重い障害があろうが、今あるいのちの尊さが伝わってくる生き方ができる社会、心の絆が実感できる社会、そういう社会は来ないのだろうか!? (住)

2015年1月号

移りゆく人生の向こうにある崩れない世界…

《 高倉健さん、菅原文太さんが遺した人生訓 》

前号で、私は「諸行無常の真っただ中にいる」と現在の心境を述べましたが、言い残したことがありました。それは、11月に亡くなられた二人の大物俳優の人生訓についてです。
言うまでもなく、一人は高倉健さん、もう一人は菅原文太さんです。ともに、やくざ映画全盛期のスターであり、八十歳を超える長き人生を歩まれた方です。そのお二人の「人生を語る」言葉は、鮮やかなまでに私の胸にスーッと入ってきました。
「何が悪で、人間どうあるべきか」を、スクリーン上だけでなく、現実社会とそこに暮らす人びと、さらには自分自身をも見据えた上での言葉であり、ぶれない人生観に裏打ちされた言葉だったからでしょう。説得力があるのです。
高倉健さんは、少年期に迎えた終戦の日を振り返り「その後何度となく味わった人生が変わる一瞬。諸行無常。この時が初めての経験だったような気がする」とおっしゃいました。
「諸行無常」という仏教語を使って、この世には何一つ確かなものはなく、人の心さえも変わっていくことを、身をもって味われたのでした。そうした浮き世で生きるいのちが、しかし、かけがえのないことも感じ取っておられました。だからこそ「今を精いっぱい生きる」という信念で生きられたのでしょう。座右の銘が「讃仏偈(『仏説無量寿経』)」の最終行「我行精進 忍終不悔」を引用した「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」だったそうです。健さんの生きる姿勢が見えてきます。
菅原文太さんも、晩年、農作業に勤しみながら、実に明快に自分の信じるところを披歴されていました。「大事なことは国民を飢えさせないこと、そしてもっと大事なことは、戦争をしないこと」という切なる訴えの言葉が印象に残っています。原発反対もそうですが、文太さんの言葉の間からは、いのちの根源的な尊さ、かけがえのなさがにじみ出てくる思いがしました。
心迷い、人生の往くあてもわからず生きている人が多い世の中です。お二人の生きざまを通して、移りゆく人生の向こうにある崩れない確かな世界を見る目の大切さを思いました。(住)

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